「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

西武七里ガ浜住宅地では通りの名前がなかなか定着しない

2009-01-11 09:58:59 | あちこち見て歩く
本日七里ガ浜小学校でどんど焼きが行われた。正月のお飾りを焼き、先着200名にお汁粉が振舞われるのだ。8:00amから始まるらしいが、私は行かなかった。お飾りを持って小学校に向かう人々は多く見かけたが。妻が着物を着てはるばる東京まで初釜(お茶)に行くというので、彼女をクルマでJR鎌倉駅に送って、帰りに開店直後の西友七里ガ浜店に寄って買い物しただけである。

本当は西友開店時間までまだ1分ほどあった。七里ガ浜の朝の気温は1度前後で、入口の前で寒そうに立っていると、従業員の方が見かねて中に入れてくれたのである。規則を守らざるを得ない大手スーパーとは思えぬ牧歌的臨機応変の対応。こうした面ではやや地元の個人商店化している良い店である。



さて当住宅地に住む人なら誰もが知る桜のプロムナード。商店街前の通りのことである。その北には緑のプロムナードというのがあって、その2つを区別している人は少ない。どちらもクルマが進入できない歩行者専用道路である。新聞配達のバイクは本来は車輌扱いだが、まあお目こぼしでOKということらしい。とにかくこの2つを総称して皆が「プロムナード」と呼び、その呼称はおおよそ定着している。



この名前もかなり定着している。テニス通りである。テニスコート3面を持つ我が住宅地自慢のテニスクラブがあるからだ。こうした何かシンボルのようなものが実在する通りは、それを名前にすると、人々の生活にも通りの名前が定着しやすい。



話がそれるが、テニスコートがあるあの広い土地の名義は誰のものなのだろうか。個人でも団体あるいは企業でも、誰かしらその所有者が固定資産税を支払っているはずだ。所有者が何か公的団体等、テニスクラブ以外の者であるとすると、あの広い土地をテニスクラブが占有する状態が続くことについてこれまでに問題が生じているであろうから、おそらくはテニスクラブの所有なのだろう。テニスクラブが所有しているとすると、テニスクラブの会費でそれがまかわれていることになるのだろうが、そんなことが可能なのだろうか。また現在は可能だとしても、将来会員数が激減してそれが不可能になった場合、あの土地は市によって差し押さえられるのだろうか。西武があの土地を開発した時に、それを有償あるいは無償で誰に譲渡したのだろう。謎が多い。知らないのは私だけか。誰か知っている人は教えて欲しい。



話を戻す。こちらもかなり定着した名前である。名前のとおり郵便局に面した通りである。郵便局という誰もが使う公共機関の建物が面しているから、覚えやすいのだろう。

日本では○○県○○市○○1丁目1-1というように住所を表す。欧米では例えば17 Cherry Tree Lane (Mary Poppinsが家政婦を務めたBanks家の住所であって架空のもの。実在しない), London SW1A 1EF (=zip code) UK のような形式である。書く順序がまったく逆なのである。日本は大きなくくりから小さなくくりへ。欧米はその逆である。加えて日本は○○1丁目のような広い範囲でくくった上でその範囲内の家々に、1-1などという各戸の番号を与える。欧米は発想が異なる。通りにはすべて名前があり、その通りに沿って各戸に番号を与えるのである。だからロンドンでは通りの名前を知らなければどこにもたどり着けないし、逆に通りの名を言えば、中心街でならタクシー・ドライバーは瞬く間にそこへ連れて行ってくれる。

この点日本の中で最も欧米的な街は、意外にも古都京都である。彼ら彼女らは街の縦横、東西南北の方向や主な通りの名前も常に意識し、それを住所で実際に利用する(大阪人もある程度そうである)。2つの通りの名前を出して「堀川丸田町の交差点で待ち合わせて」などという言い方が通用する。また住所で「烏丸通り仏光寺上ル二畳半敷町○○」などとも。烏丸通りを仏光寺から上がり(かつて天皇のおられた方角に向かって北上することを指す)、そこにある二畳半敷町(これまたスゴイ町名)の○○という番地なのだ。



翻って我が住宅街の通りの名前。日本では通りの名前が住所の一部となることがないため、通りの名前を覚える必要がまったくない。だからテニスコートや郵便局のようなシンボリックな建造物等がない通りに「夕陽が丘」や「富士見」と名をつけても、その通り沿いに住む人々を除いてあまり定着しないのである。そもそも夕陽が丘と呼ぶなら、誰もが知るその「丘」と呼ばれるスポットがどこかに存在しなければならないが、それがない。



漠然とした名前の東通り、西通りもそうである。まったく定着していない名前だ。住民の誰もこうは呼ばないだろう。然しながらこの2つの通りは、クルマの通行には重要な役割を果たしている。先ほど掲げた「富士見坂」は鎌倉山から我が住宅街に降りて来ることの出来る唯一の車道(ただし一方通行なので、こちらから鎌倉山に登ることは出来ない)である。ところが鎌倉山からこの富士見坂を我が住宅街に向かってクルマで降りてくると、先ほどの車輌進入不可である「プロムナード」にぶつかる。そのため、クルマは皆それを迂回するのである。迂回方法は様々だが、プロムナードと平行して南(海方向)に向かう東側の道が東通りであり、西側が西通りなのだ。



JR鎌倉駅西口からクルマに乗り我が住宅街に入る最短コースは、「鎌倉山経由」である。タクシー・ドライバーに「鎌倉山経由で」と頼むと必ず先ほどの富士見坂から住宅街に入ってくれる。その時「その先で東通りを入って」とか「西通りを入って」などと言っても、まったく通じない。実は、この場合「かえで通り」、「高山通り」と言うとスグに通じるのである。どちらもその通りの近くにかえで幼稚園、高山商店(私がお世話になる酒店)があるからだ。これらはタクシー利用者とタクシー・ドライバー間では、間違いなく通じる。通りにシンボルがあればそれを通りの名前にすると実際に使われるが、そうでなければダメという好例である。

日本のほとんどの場所においては住所を表すのに不要ため、普段の生活で通りの名を使うことがない。加えてその通り沿いにシンボルになるモノがあり、その名を冠しでもしない限りは、通りの名前はまず定着しないのである。

七里ガ浜商店街Quiz:
上の高山商店の画像で今日現在の状況とは決定的に異なる部分があります。それはどこでしょう?
コメント (12)
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