「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

藤野英人著「投資家みたいに生きろ(ダイヤモンド社)」を読む@鎌倉七里ガ浜

2020-07-19 04:00:16 | 本/音楽/映画
悪天候が続くなぁ。

まあ、サザンオールスターズでも聴いてください。明るいから。



今回話題にしたい本の著者、藤野英人さんは著名ファンド・マネジャーだ。

野村出身で外資系資産運用会社をいくつか経験し、自分の投信会社を立ち上げた人。

それはひふみ投信という。とても個性的な投信会社だ。

藤野さんはおそろしく多彩で、楽しい人でもある。

逗子市内の丘の上、逗子湾を見下ろす最高のロケーションに藤野さんは住んでおられるらしい。

我や妻が時々こうやって逗子湾でドガティ君を遊ばせているのも、藤野さんに見られているかもしれない。



これは2年前の画像だ。寒い5月の早朝。逗子湾っていいですよ。

藤野さんは愛犬家でもあるらしいしね。すばらしいな。

画像(↓)は藤野さんの愛犬ではなく、我が家のアイドル、ドガティ君。



これから散歩に出かけるところである。

朝の散歩のためレインコートを着せられてしまったので、外は雨であることが彼でも理解できて、憂鬱になった顔つきだ。

彼は雨が嫌いなのである。そして憂鬱になったり、関心が失せると目が細くなる。

しかし興奮したり、興味が強くなると、目が真ん丸になるのである。

話がそれた。

資産運用業界の人たち、あるいはそのお客様である機関投資家(保険会社や年金基金など)である人たちの中にも逗子や鎌倉に住む人がいて、横須賀線で見かけることがある。

藤野さんもそのひとりだ。

こちらが藤野さんが昨年出した本である。私は先週になってやっと読み始めた。



これは「投資家になろう」という本ではなく、「投資家みたいな生き方をしよう」と主張する本である。

投資家たって、以下のように2種類のグループがあると思う。

● 保険会社、年金基金、投資信託委託会社などで、他人から集めたお金をまとめて何かに投資している人たち
● 自分自身が大金持ちでそのおカネを何かに投資している人たち

藤野さん自身もかなりのお金持ちだろうが、基本的に彼は前者である。

ヘッジファンド界の巨星ジョージ・ソロスは前者でもあっただろうが、後者でもある。それも桁違いにデカい資産を持つ。



でもまあとにかく、全部ひっくるめて「投資家」と呼ぶのだろうね。

藤野さん自身は多才だし何にでも関心を持つタイプの人なので、この本は、まるで藤野さんが「あれもやりましょう、それもやりましょう、そしてこれも・・・」と言っているみたいに、多くの人に散漫に見えてしまうかもしれない。

しかしこの本の最初の方に、面白いことが書いてあった。 藤野さんによれば日本人は2つのグループに分かれるという。

● 失望を最小化する人たち(圧倒的多数派)
● 希望を最大化する人たち(少数派)



前者は将来を悲観し、何をしたところでどうせろくなことがないのだから、なるべく将来の失望を小さくしたいと考える人たちである。行動パターンはリスクの最小化になりがちである。例えばその人たちは、現在の勤務先がどんなにひどいところでも、転職も起業もどうせろくなことにならないと考え、そのままずっと同じところで働こうとする。それは藤野さんが挙げた例に過ぎないが、とにかくそうした行動パターンに陥りやすい人たちだそうである。

後者は将来が明るいと考え、自分を成長させるため、あるいは社会に貢献するために、自分に出来ることにチャレンジする。変化を好み、自ら動いて希望を最大化しようと試みる人たちを指す。何もしないことは希望を最大化できないことにつながるので、それは逆にリスクであると考え、消費行動や投資行動も前向きに考える。先ほどの例で言うと、こういう人たちは前者の逆で、転職も起業もチャンスがあればやるのでしょうね。

藤野さんは、日本人のほとんどがリスクを避ける傾向が顕著な前者だと言う。しかし当然ながら投資家は後者であるわけだ。前者に比べれば後者の投資家は活発に行動する人たちなのだが、決してやみくもに行動しているわけではなく、あれこれ世の中を見渡してリスクを勘案して得失を確率的に期待値で考え、普段の生活における様々な決定をしているということのようだ。で、そうした投資家のように生きるための習慣や思考について語るのがこの本なのである。



株式投資(あるいは間接的に株式に投資することになる投資信託への投資)も投資家的行動のひとつである。それは個人にとって、単なる蓄財の手段でもあるのだろうが、自分が良いと思う民間企業の活動を自身のおカネをリスクにさらして応援することであって社会貢献のひとつでもある。もしそうした人がたくさんいなければ、企業活動も機能せず経済はストップし、世界中の人が飢え死にするのだから。



「失望を最小化する人たち」は、FacebookやTwitterなどのSNS発信にも消極的だと、藤野さんは言う。トモダチ(と言ってもいろいろあるけど)が広がると傷つくことも多くなるし面倒が増えるし。。。ってことらしい。

一方「希望を最大化する人たち」のひとりである藤野さんは、SNSによる発信を皆に強く勧めている。SNSを使って発信することのコストはゼロに近い。しかしもしそれが仕事に関することだったりすると、その発信から思わぬ人的つながりが生まれたりするわけで、そうなると経済的効果は計り知れない。



それにそうした発信行為は、自分を律することにもつながるだろうね。誰が見ているか知らないが、とにかく「私はこう考える」「私は今からこれに挑戦します」と公言してしまうわけだから、それを発信するに先立ってあれこれ考えるし、調べるし、発信したあともそれにしたがって行動することになる。ダメならダメ、あるいは間違っていたと正直にまた発信すればいい。別に誰も笑いはしない。むしろそこに手を差し伸べてくれるトモダチが現れるかもしれない。

そうした意味においては、ブログだって結構いいと思うんだな。例えば「私は外国籍のヘッジファンドを購入する!」とブログに一旦書いてしまえば(実際私は1年前にそう書いたが)、その後は英語の分厚い書面と格闘し、海外と何度もやりとりし、最後に日銀報告を出すまで一定期間は頑張らざるを得ない。また購入した後のヘッジファンドの運用結果やその時点の金融市場環境も、ただ漠然と考えているのとは違い、それをブログで説明しようとするとあれこれ調べるし、頭の中でいろんなことを整理するし、結果的にはとてもスッキリして役立つのですよー。

先日ここに掲載した、こんな単純なグラフ。



こんな単純なグラフだって、そのデータを取るには、まず米国労働省のHPに行かねばならない。

でもそこには膨大な量のデータがあって、その中から自分が欲しいものを見つけ出すのが大変だ。



やっと見つけたデータをひとつダウンロードして来て、適当な形のグラフにする。しかしそのままだとグラフとしてはあまりに見にくいものなので、軸の位置や数値の単位や色や線の種類をあれこれ調整して行く。データはひとつじゃない。そんな作業をいろんなデータについて何度も繰り返してたくさんのグラフを作って行くうちに、全体を通じて「あ、世の中、こうなのね!」と、見えてくるものがあるものだ。

さらに自分でその作業をしていると自分の記憶に強く残る。メディアに出て来るグラフやデータをサラっと受け身で見ているだけの時とは、記憶と理解において、まったく違うレベルで情報が自分のものになる。

これは経済の話だけれど、料理でもガーデニングでもその他あらゆることが、同じようなものだ。

・・・などと、とりとめのない話になった。藤野さんの著書を読んでそこから話が飛んで行って、私は今後もブログを続けようと思ったのでした。

お天気が悪い日はおうち遊びのドガティ君。



ヘンな腹ばい。



特に後ろ足がヘン。

朝ごはん。いつものミルクティを淹れましょう。



ずっとBarry's Tea の Classic Blendの茶葉を使っている。

シャキッと目覚めるには、茶葉が大事。

KEEP CALM AND CARRY ON 👑



【おわり】

コメント (16)
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