音楽の喜び フルートとともに

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保サポ

2010-04-10 20:56:31 | 子ども

葉牡丹は、今頃はこんな具合。葉牡丹、大根、小松菜、白菜。すべて菜の花が原種だそうです。こんなのを見ると、そうなんだと、実感します。
暖かくなりました。今度こそ、春らしい春になりそうです。

今日も仕事。市の施設で子どもを預かる保育サポーターの仕事の依頼を受けました。
4人の男の子達と、9時から6時まで。

4人いれば、子ども達はいろんな遊びを自分達で考えて遊びます。
危ないことをしないこと、たまに、暴言を注意すること。時間の決まりごとを守ってもらうこと。それくらい。

ものの取り合いでも、一端分けて、ものを預かって「話しあって決めてください。はい、Aくんはどういう考えですか?言ってください。」
「使っていたのにBが急に取ってきた。先に使っていたから、僕が使う。」
「Aくんは先に使っていたものが使っても良いといっていますが、Bくんはどうですか?」
「Aくんはずっと、たくさん使っていたから、今度は僕が使う。」
「先使う者順と言う意見と、たくさん使っていないものから使うと言う意見が出てますが、どうしますか?」
「僕や。」
「僕や。」とにらみあいます。
「さあ、二つの案が出ましたが、こういうときどうやって決める?」
「…。」
「じゃんけん。」
「じゃんけんと言ってますが、いいですか?」
「最初はぐー。じゃんけんぽん。」

こちらが、裁判官になってあせって決めなければ、子ども達は自分達のルールを自分で作って納得して、仲良く遊びます。
大人が見ていて、先に使っていたからとか、長く使いすぎていると決めても、結局絶対的な正しさと言うものはなく、自分好みの判断をしているに過ぎないと思います。
それで決めても、どちらかに不満が残っていて、その後、ずっとくすぶって小競り合いを繰り返します。
そのたびに裁判官出動しなくてはなりませんし、こどもはどんどん自分達で解決せずに、大人を使って相手への仕返しや、自分の要求を遂げることしか考えなくなってしまいます。

それでも、不公平だなと思う時もありますが、それは余計なお世話で、子どもは自分達なりの公平感を持っていて、それは、彼ら自身の関係によって決まります。
それをとやかく言うのは大人の傲慢さと言うものだと思います。