音楽の喜び フルートとともに

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心と体の勇気付け

2010-04-18 21:02:09 | レクチャー、マスタークラス

たんぽぽと桜。これは先週の堤の写真です。次男撮影。うまく取れたと悦にいっています。

今日は11時~16時まで心と体の勇気付け。
触られること触れることを中心にやっていきました。
仰向けに寝たメンバーの、右足首より下、そして右手首より下をゆっくり触りました。相手のことを大切な存在だと思って触ること。
触る時には、触っている指先からしか、相手の情報は入ってこないので、指先の教えてくれることに集中し、耳を傾けること。

「どうだろう?」と思いながらメンバーに順番に触っていくと、甲の形、土踏まず、かかと、指の形、柔らかさ、骨の感触。人によって全く違うことが興味深く思えます。
こんな当たり前のことなのに、自分が足というと、みんな同じ足と言う感覚でいたことがわかって滑稽です。

もう一つ、当たり前のことですが、触っていても、相手がどう感じているか?ということは、全くわかりません。

次に触られると、人によって、手の温度、強さ、密着度など、全く違うことがわかります。そして、それは私の全くの主観で、当の相手にさえ、どう違うかということは全くわかりませんし、どの触り方が心地良いと思おうと、自分にとって、きつすぎるなども、相手に私が言葉にして伝えない限り全くわからないと言うことがわかります。

そして、最後に立って歩いてみると、どんな触り方であろうと、右半身の頭から足先まで、軸が定まり体重がしっかりと足の裏に乗り、まっすぐになった気がします。自分だけではなく、メンバーに見てもらっても、右半身と左半身の目尻が上がり、口角が上がり、バストアップしていることが、わかるほどです。

普段私達は、人によって、全く感じ方や、受け取り方が違うと言うことを知っていると思って生きています。しかし、こうやって実際に触ってみると、それは本当に理屈だけのことで、実感として思っていないということがわかります。

だから、子どものけんかでも、仲裁しようものなら、なかなか話さない子どもに確かめもせずに、こういう状況なら、きっと悔しいだろうとか、仕返ししたいだろうとか決めてしまって、どちらかに肩入れして、気持ちを代弁したり、しかって謝らせたり。子どもに変って解決しようとしたり。
結果、気持ちの伴わない謝罪。本当の仲間感を育てることもできず、恨みを残してしまったり。

勇気付けというのは、自分に気付くこと。外から与えられるものではなく、相手が自分に触れてくれることで、自分のことがわかる。自分にはよく見えない自分らしさに気付くこと。そういうことではないか?と思いました。