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格差社会を考える

2015-03-03 21:15:57 | レクチャー、マスタークラス

今日は3月3日。飾っていたおひな様も今日で片付けます。
うちは男の子ばかりなので、いつもちょこっとだけ。

今回は、ひな色紙。3枚の大きさの違う千代紙を作って、普通に折ります。お顔は別の色紙で折ります。金レーステープのかけらを冠と扇子の形に切って貼ります。かわいいでしょ。
一枚は両親にプレゼントしてもうありません。


流行りのピケティ教授のNHKの講義をテレビで見ていたら、いろいろなことを考えてしまいました。
格差は封建時代とても大きかった。
それが、大戦で富裕層も資産を吐き出さずを得ず、戦後貨幣価値の混乱で、格差は歴史上例を見ないほど縮まりました。

その後、格差は一貫して開きつつありますが、これまた例を見ない経済成長の中で、希望を見続けることができたので、格差拡大に目を向けないで済んできました。
つまり、格差の少ない一億総中流化社会は、戦後という特殊な状況の中でたまたま起きたこと。

戦後の異常事態の中で民主主義が支持されたのは偶然ではないのだと思いました。

格差が小さく市民の力が強かったからこそ、民主憲法の理念があった。
労働による対価よりも、親から引き継いだ資産の方が、大きいことが、歴史の常態だと考える人や階層にとっては、手や足を縛られる思いだったでしょう。
政治も経済も法律も情報、言葉、芸術すべて独占してきたのですから。

戦後復興は、まれな強制的権限委譲、自由の中で、人々が無手勝流に、生き、労働し、経済活動を行った奇跡だったということ。

非常時ということで、謙虚になり、試行錯誤を繰り返しながら民主的なやり方を探っていた富裕層が徐々にまた力をつけ、格差を広げ出すと、民主憲法は自縛する窮屈な罠でしかない。

おもしろいのは、日本の資産の40%を占めるのは10%の人でしかないのに、それにはるかに及ばない1桁も、2桁も違う年収の大多数の人たちが、パイの分割を迫るより、その権益を守りおこぼれに預かったほうが良いと考えること。

つまりは、強いリーダーに全てお任せし、教育も、情報も渡してしまうと、楽だということ。

しかし、現代はもう重厚長大な産業の機械のこまのような人間を作っても、全て機械やICチップで置き換えられるようになってきました。
自ら考え、創意工夫する人間を多数作らなければ、日本の産業の没落も近い。

多様性を認めあいながら、リーダーシップをとる。リーダーが時や、仕事の内容によって変化する。
あるいは、自らの提案を通す従来型のリーダーではなく、みんなの意見を聞いてまとめあげたり、誰かの提案を支え、生かすようなリーダーシップのあり方を試していかないと、これ以上格差が進むと、貧困の連鎖や、資産の固定化が進み、社会が動かなくなり、大変な時代がやってくるような気がします。