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ダンテ神曲による交響曲

2022-02-23 21:45:45 | ロマン派
少しずつ春に近づいているけれど、まだ、遠く。
雪害が心配です。

フランツ リスト(1811-1886年)
オーストリア帝国ハンガリー王国ドボルヤーン生まれ、ドイツ帝国バイエルン王国バイロイト没の

1855-1856年作曲の「ダンテ神曲による交響曲」
10歳でピアニストとして演奏を行っていたリストは、11歳でウィーン音楽院に入学、アントニオ サリエリに学び、翌年はパリ音楽院に入学しようとしましたが、外国人を理由に拒否されます。
アントン ライヒャに師事します。
15歳で父を亡くし、ピアノ教師として家計を支えました。

演奏すると、失神する女性がいてアイドルのような扱いを受けます。
マリー ダグー伯爵夫人と1835年から10年の同棲生活で三人の子どもをもうけます。
1847年マリーと別れたリストはカロリーネ ツー ザイン=ヴィドゲンシュタイン侯爵夫人と恋に落ち、同棲しますが、複雑な財産問題もあって結婚できませんでした。
1848年ヴァイマル宮廷学長として招かれ、そこで作曲に専念します。

そこで作曲したのが「ダンテ交響曲」です。

ダンテ アリギエーリ(1265-1321年)

フィレンツェの詩人、哲学者の書いた「神曲」は、
9歳の時に出会って、18歳で恋い焦がれたベアトリーチェ
ロッセリーニのベアトリーチェ
詩篇をいくつか送りますが、結局大した進展もないまま、別れ、ベアトリーチェはその後銀行家と結婚し、24歳で亡くなります。
ダンテは彼女を天国にいてダンテを助ける永遠の淑女として「神曲」の中に書きます。

大きくは
古代ローマの詩人ウェルギリウスとともに「地獄」
ボッティチェリの地獄


「煉獄」「天国」を巡るストーリーですが、リストはそれを三楽章仕立てで書くはずでしたが、ワーグナーに構想を手紙で知らせたところ、「天国の喜ばしさを音楽で表現するのは不可能だろう」と返信されて、天国を仰ぎ見つつ終わるという形になり二楽章になりました。