音楽の喜び フルートとともに

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フルート博物館

2023-10-12 21:00:00 | 楽器
フルートアンサンブルエスカル合宿の後、かねてからお誘いのあった笹山さんの別宅に大阪エスカル組4人で訪問させて頂きました。

リビングに足を踏み入れた途端、目に入ったのはこれ!
「わぁっ!これは?!」
と叫びました。
「榎田先生のコレクションです。」
「フルート博物館ですか?」
「いや、整理されるまでの保管かも…。」
「吹いてもいいですか?」 
「どうぞ。」
「わあーい!」ということで

ベーム式以前のフルートもあります。

アウロスのトラヴェルソまで

4人とも夢中になって吹いてしまいました。
象牙の頭部管もありました。
「こんなにフルートに食いついた人は初めてですよ。」と笹山さん。
散々吹かせてもらった後、
所蔵のレコード

蓄音機で
真空管

…ベネット、ランパルを聞かせてもらいました。
ポツポツいいますが、まろやかな音です。

最後に笹山さんの楽器、ルイ ロット2本。ボンヴィル。
ヘインズのピッコロ2本。
1本はCシャープ管。



私はルイロットをお借りして、みんなとグリーグの「春によす」四重奏。
ライヒャの「シンフォニコ」のメヌエットをフルート四重奏を5人で初見で吹きました。

ロットが素晴らしかったです。

素晴らしい隠れ家!
「いいなぁ!ロットも別荘も!」と言うと「買ったら、この向かいの家は1200万。ちょっと下は土地だけだけど300万円出でてましたよ。」と笹山さん。
…安い…けど私には高い😅💦

梅田で今川さんと夕食食べて帰りました。

アントン ライヒャ(1770-1836年)
ボヘミア王国プラハ生まれ、フランス王国 パリ没

チェコ語ではアントニーン レイハ。
ライヒャはドイツ語読み
後半生フランス語ではアントワーヌ レイシャ。
10歳で孤児になり、ドイツでチェロ奏者をしていた叔父に引き取られます。

15歳でケルンのマクシミリアン選帝侯の宮廷楽団のフルート奏者としてボンに移ります。
この時同じ年齢のベートーヴェンがヴィオラ奏者としていました。
叔父が指揮するケルン歌劇場管弦楽団にも加わります。

1803年ベートーヴェン

1789年ベートーヴェンとボン大学に入学しますが、フランス革命軍によりボンが占拠され、宮廷楽団は解散。
ハンブルグに移り、作曲とピアノ教師になります。

1801年ウィーンに移り、ベートーヴェンに再会。
ハイドン、グルック、モーツァルトに影響を受けます。

1808年38歳でパリに移ります。
1817年パリ音楽院の作曲鹿の教授になります。
リスト、グノー、ベルリオーズ

フランクを育てます。

1829年フランスに帰化

24曲の木管五重奏曲、フルートのための二重奏22曲、オペラ、カンタータ、7曲の交響曲、オペラ、管弦楽曲を作曲しています。

理論家としては現代に通じる書法を作っています。
「高等作曲教程」

は没後、評価が高まり、世界各国で教材内容としてつかわれました。

4本のフルートのためのシンフォニコは、12番、19番、27番を残しています。
12番D durの第二楽章メヌエット

ゴールウェイ、ランジュバン、ホスクルドソン、ブリアコフ、フルート界のドリームチームカルテットです。