音楽の喜び フルートとともに

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オランピア人形に恋した男

2022-07-21 20:59:00 | ロマン派
この前京都のレッスンに行ったときに、出町柳で出会いました。
サトちゃん、ペコちゃん。
かわいい💖

オッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」は1851年パリのオデオン座で上演された戯曲をジュール バルビエがオペラの台本を書き上げます。

1880年未完のままオッフェンバックは亡くなります。

1881年エルネスト ギローが補筆し、パリ オペラコミック座で初演されます。

1887年火災でほとんどの楽譜が消失し、以降様々な版が重ねられてきました。有名ところで13版。

2004年消失したと思われたオーケストラ譜が発見され、ケイとクックにより発表されとりあえず決定版になっています。

「ホフマン物語」は、


エルンスト テオドール アマデウス ホフマン(1766-1822年)プロイセン王国ケーニヒスベルク生まれ、プロイセン王国ベルリン没

作家で作曲、法律家、画家など、多才で、ロマン派を代表する幻想文学の奇才の生涯をイメージして描いた幻想物語です。

第二幕は「オランピア」

初演時の第二幕のイラスト1881年

詩人の道を捨て科学者になる決心をしたホフマン。
物理学者のスパランツァーニの書斎を訪れます。
そこにいた美しいオランピアにホフマンは恋をしてしまいます。
オランピアは実はコッペリウスの作った人形です。
コッペリウスがやってきてホフマンに特別な眼鏡を売りつけます。

眼鏡をかけるとオランピアが見え、うっとりしたホフマンは眼鏡を買ってしまいます。

親友のニクラウスが「人形だ。」と教えても眼鏡をかけているので信じません。

宴の席で、コッペリウスはオランピアを客たちに披露します。
途中で止まってしまうのでネジを巻いたりしますが、ホフマンだけは眼鏡のせいで人間だと信じてうっとりしています。

さて、ホフマンの恋の結末はどうなるのでしょう?


フォリアとサラバンド

2022-07-20 20:24:00 | リズム
ヤブカラシ、蠟燭花とも言うそうです。
ピンクのところが雌しべで黄色い真ん中のが雄しべ。
花びらはその周りに緑色の葉のようなものだそうですが、それは半日で落ちてしまいます。
残った姿が蠟燭のように見えるから蠟燭花と言うそうです。
見えますか?

ヤブカラシは蔓性の植物ですが、巻き付く相手とそうでない相手を分けているそうです。
シュウ酸を含んでいるかいないかをつるの先で見分けてその量が多いほど巻き付かないそうです。

以前にも取り上げましたが
サラバンドと言うリズムは、南米由来でパナマに起源があります。
スペインの侵略でヨーロッパに持ち込まれました。

原型は残っていませんが、速いリズム、猥雑で卑猥な動きを伴うリズムで、1596年にスペインの人文学者アロンゾ ロペス ピンシアーノが書いているところによると、

「若い女の子がギターと一緒に踊り歌い、横では中年の女性が、その汚い口から卑猥な言葉を発しながら、いやらしい動きで踊る……その動きに合わせてサラバンドも激しさを増す……」

1583年にはスペインフェリペ2世によって禁止令が出るほどでした。

そうして入ってきたサラバンドは17世紀フランスでは、ゆったりとした遅いテンポで演奏されるようになりました。

一方、ラ・フォリアという舞曲は、15世紀末、イベリア半島由来の踊りで、三拍子。

フォリアという意味は「狂気」「常軌を逸した」というスペイン語で、かつては速いテンポで演奏されたことを暗示していますが、時代が下るに連れてゆっくりしたテンポで演奏されるようになります。

17世紀、イタリアに入り大流行しました。変奏曲方式で、フォリアの和声進行を取り入れ、コレルリ、マレー、リュリ、スカルラッティ、ヴィヴルディなど多くの作曲家が残しています。


フォリアは、短音階で進行する。音名で表すと、イ短調の場合、A-E-A-G-C-G-A-Eという調子である。

サラバンドは

  • 重々しい3拍子のリズム(しばしば2分の3拍子)
  • 4小節単位の小楽節2つからなる8小節分の大楽節
  • 開始小節に先立ってアウフタクトがおかれる場合もあります。

ゲオルグ フリードリヒ ヘンデル(1685-1759年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領ハレ生まれ、グレートブリテン王国イングランド ロンドン没



は、その両方を兼ねたサラバンドを書いています。

ハープシコード組曲第2集HWV437第4曲がそうですが、そこにはフォリア、スペイン風の舞曲とあります。ゆっくりした、荘厳な曲になっています。


真珠採りの歌

2022-07-19 21:30:00 | 古典
7日に母といった「海の博物館」
圧巻の船のコレクションでした。




マニアックなのですが、結構船好きなので楽しめました。

カツオの一本釣り漁の実物大展示?!

海女さんのことが学べます。
もう全国で2000人しかいないそうです。動画をみましたが、60年以上海女をされていて…ということは小学生の時修学旅行で実演されていた方の一人かも…と思うと頼もしく懐かしいやら、もう後継者や新規参入がないと思うと寂しいやら。
複雑な気持ちが湧き上がってきました。
オペラ「真珠採り」はジョルジュ ビゼー(1838-1875年)フランス王国パリ生まれ、フランス共和国ブージヴァル没

が、1863年作曲作曲しました。

ローマ賞をとったビゼーにアレクサンドロ ヴァレフスキ伯爵(ナポレオンとポーランド貴族マリア ヴァレフスキの息子)

からの依頼で作曲されました。

「真珠採り」の舞台はセイロン島。
紀元前3世紀にアショーカ王のマヒンダが仏教を伝え、以来シンハラ人は現在に至るまで仏教徒が多いです。
1505年ポルトガルに侵攻され、植民地化されると、オランダの植民地に、1796年にはイギリス領になります。
1942年まで続きます。
紅茶のセイロンティーで世界のシェアを持っていて、南アジア2位の経済復興していますが、コロナで窮地に陥っています。

ビゼーの頃は、未開の南の国で、特殊な宗教を信じ、海女が海に潜り真珠採りをしているというイメージでした。


真珠採りの頭領ズルカと彼の友ナディールが漁の安全を願う尼僧のレイラを愛してしまいます。

ナディールとレイラが落ち合って逃げようとしているのを見て、ズルカは嫉妬のあまり2人に死刑を宣告します。

しかし後悔するズルカ。
助命にきたレイラが差し出した首飾りを見て、自分の命の恩人だったことに気づきます。

レイラとナディールが処刑されようとするとき、ズルカが村に火を放ち、騒ぎに乗じて二人を逃します。

ズルカは捕らえられ、裏切りを告白し息絶えます。

ナディールの歌う「耳に残るは君の歌声」今も世界中で歌われています。






アイーダとラダメスの道行き

2022-07-18 20:53:07 | ロマン派
15日フェニックスホールの帰り、大阪はお初天神(露天神)のお祭りの準備中でした。
近松門左衛門の「曽根崎心中」の舞台になったお初天神。


店のお金を使い込んだと疑われた徳兵衛が身の潔白を証明するには、死しかないという状況に追い込まれ、お初は自ら徳兵衛との死の道行きを選びます。

お初徳兵衛 未来成仏 疑ひなき 恋の手本となりにけり



天神さんは小さくなってしまいました。
実は昨日のベネットメモリアルコンサートの余韻で頭がいっぱいです。
特に伊藤先生の美しい音…。

ジュゼッペ フォルトゥニーノ フランツェスカ ヴェルディ(1813-1901年)フランス帝国タロ地区レ ロンコーレ生まれ、イタリア王国ミラノ没

の、歌劇「アイーダ」は、1871年に作曲されました。

エジプトの総督イスマーイル パシャは、スエズ運河の開通、それに伴って建設されたカイロのオペラハウスで上演するための歌劇をヴェルディに依頼しました。

エチオピアの王女アイーダは、国がエジプト軍に破れたために、
エジプトの女王アムネリスの奴隷として仕えていますが、そのことを誰も知りません。

エジプト軍の指揮官ラダメスは、そのことを知らずにアイーダと愛し合っています。
彼はエチオピアからの勝利をアイーダに捧げようとはりきっています。

エジプトの女王アムネリスもラダメスを愛していて激しい嫉妬に燃えています。

その影でアイーダは、父親エチオピア王とラダメスが闘わねばならないことを人知れず嘆いています。

エジプト軍の勝利の報告が入り、アムネリスは勝利の宴を用意していますが、アイーダに
出征したラダメスの戦死の報告を告げます。
実は嘘で動揺するアイーダにラダメスは自分のものであると宣言します。

ラダメスが、凱旋し、

エジプト王でアイーダの父のアズナムロが捕らえられます。

アイーダは「お父さん」と口走りますがなんとかごまかします。

父にエジプト軍の秘密を聞き出すように迫られるアイーダ。

ラダメスは、勝利と引き換えに、アムネリスとの結婚とエジプトの次期王位を授与されます。

しかしアイーダに逃げ道を聞かれ、漏らしてしまいます。秘密を聞いたアズナムロがやってきてアイーダに一緒に逃げようと説得します。

そこへエジプト軍がやってきて、アイーダは父と逃げ、ラダメスは「自分が秘密を漏らした。」と自ら捕まえられます。

アムネリスがラダメスにアイーダを諦めるなら助けようと口説きます。

しかしラダメスは取り合わず、弁明もせず地下牢に生き埋めの刑に処せられます。

ラダメスが地下牢に行くと、アイーダが潜んでいて二人は現世の苦しみに別れを告げ、死へと旅立つのでした。

勇ましい凱旋の歌ばかりが注目されますが、実は二人の死の道行きが、このオペラの本筋でした。





ウィリアム ベネット追悼コンサート

2022-07-17 22:08:06 | コンサート
今日は六甲アイランド ラサーラディオルフェオでウィリアム ベネットメモリアル コンサートでした。

ウィリアム ベネット(1936- 2022.5.11)
イギリス ロンドン生まれ

ジェフリー ギルバートにまなび、後にパリでマルセル モイーズ、ジャン ピエール ランパルに学びます。

ロンドン交響楽団、アカデミー室内管弦楽団、イギリス室内管弦楽団の首席フルート奏者を務めます。

フルートメーカーと協力して「ベネットクーパースケール」を開発して音程の良いフルートを開発し、このフルートは今や世界標準になっています。

ベネットに学んだ
榎田雅祥、野津臣貴博、中務晴之各先生。

ベネットにYou Tubeを見て見込まれた伊藤公一先生
が、順番にベネットゆかりの曲を演奏。

思い出を語り合うコーナー。

そして、やはりゆかりの新保さん、宗本さん、西田さん、森脇さん、樋口さん、山川さん、廣瀬さんの合奏。
最後は、アンサンブルエスカルのメンバーも入って水野久美先生のパイプオルガンでモーツァルトを演奏。

野津先生は、草津でベネットのバッハを聴いて、追いかけていったそうです。1ポンド250円の時で、両親に相談したら、「わかった。お前にかける。」と家を売って送り出してくれたそうです。
彼女にふられて下宿先に1人でいるとベネットが車でやってきて、「クリスマスに一人でいてはいけない。」と、自宅に招いてくれたそうです。
「女性の気持ちはわからない。」と言ったら、「それは違う。人の気持ちは変わる。女性だけではなくて全ての人の気持ちはわからないんだ。」と、言ってくれたそうです。
その時はなんのことかわからなかったけれど、その後人生を支える言葉になったそうです。

中務先生は、彼女を追いかけてロンドンに渡り、ベネットのことはそうピンと来なかったけれど、後にバッハの協奏曲ト短調をレッスンしてもらって、披露したそうですが、ベネットの音楽は特別に聴こえたそうです。特に二楽章は素晴らしかったそうです。

榎田先生はベネットのレコードを聴いてロンドンに渡ったそうです。1ポンド600円の時でとても貧しかったそうです。
ベネットが「ギルドホールで教えているからおいで」と言ったので、試験を受けて合格したら、ベネットは折悪しくギルドホールと揉めて辞めた直後だったそうです。
結局ベケットにギルドホールで学びながら、ベネットのプライベートレッスンを受けたそうです。
他にも、ベネットの家の地下に工房があり、そこでフルートの部品を1つ1つ旋盤で削ることから覚えたそうです。

伊藤先生は、高校生の頃にフルートを初めて4年で京都交響楽団に合格したという方で、フルートを誰かに学んだというわけではなく、京都市芸術大学、相愛大学、名古屋芸術大学で教授をされていました。
You Tubeに自分の演奏をあげていたところ、10年ほど前にベネットの奥様日本人のミチエさんから、連絡があり、ベネットのサマークラスに来てくれということになり、奥様でピアニストの水野久美さんと一緒に参加し、その後イタリア、日本、シンガポールなど数々のコンサートで共演されました。

私は神戸のフルートコンベンションでベネットのマスタークラスを聴講したことがあります。
ユーモアたっぷりでとっても楽しくて、時間が短く感じられたことを覚えています。

もっともっと聴いてみたかったです。

中務先生の思い出の曲。投稿されていました。聴いてみてください。



アルルの祭りの日に

2022-07-16 20:35:13 | ロマン派
祇園祭の宵山。
月曜日に






レッスンに行ったときにふたばの豆餅と水無月

やっと買えました。
ふたばの店先に鉾の絵図。
平安時代に疫病退散と災厄の除去を祈ったのが始まりでした。
3年ぶりに、復活です。

ジョルジュ ビゼー(1838-1875年)フランス王国パリ生まれ、フランス共和国ブージヴァル没


の組曲「アルルの女」

お祭りの日、南フランスの豪農の息子主人公のフレデリは、愛するアルルの女が牧童頭のミティフィオと駆け落ちすると聞いて、結婚したばかりのヴィヴェッテを残して、機織り小屋の上から身を投げて死んでしまいます。

つきあったこともない、告白もしない名前も出てこない「アルルの女」への想いを募らせていくフレデリの狂気の恋。

最後にながれるのが「ファランドール」
ブロヴァンスの楽しいお祭りの中、狂気にとらわれていくフレデリを現しています。

民謡「3人の王の行列」



とファランドールと呼ばれる民謡「馬のダンス」

動画は7分位から「馬のダンス」ですが、南フランスの祭りの様子がわかります。
想像していたよりずっと穏やかな祭りです。



ラック ザビエルコンサート

2022-07-15 21:24:16 | コンサート
ザビエル ラック フルート、東条慧 ヴィオラ、福井麻衣 ハープのコンサートに行ってきました。

久しぶりに淀屋橋から御堂筋を歩きました。
中之島図書館

日本銀行

フェニックスホール



ニーノ・ロータのソナタは、初めて聴きました。
優しいメロディが詰まったメロディメーカーらしい曲で癒やされました。

武満徹編曲のサティの「星たちの息子」第一幕への前奏曲(天職)の前に、ラックさん19歳の時に武満徹さんに札幌のフェスティバルで出会ったときのことを話されました。

その時顔を知らなかったのだけれど、すごいオーラの人で、しかし穏やかで、いろいろ教えてくれて、短い間の出会いでしたが、強い印象が残ったそうです。

そして、武満徹はドビュッシーのことをすごく尊敬していて、

ラックさんは、ドビュッシーが武満徹の曲を聴いたらどんな影響を受けるだろうと思うそうです

美しい夢のような曲でした。

そして、
武満徹の「そして、それが風であることを知った」

そう意識して聞いたわけではありませんが、ドビュッシーの影響を強く感じた演奏でした。

そしてピアソラの「タンゴの歴史」をハープとフルートで。

福井さんが、ギターをできるだけ変えないようにハープに編曲したそうです。
ギターと違って長い残響を持つハープで表現するのは難しかっただろうと思います。

四楽章の現代のコンサートがリズムがよく出ていてよかったと思います。

最後がドビュッシーのフルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ。

武満徹が隠したテーマがこの中にあるというおしゃれなプログラムでした。
繊細な表現をヴィオラとフルートでよく合わせて美しい!

アンコールはドビュッシーの「月の光」ダマース編曲!
私たちが、先月やったのとまった同じ。
なんだか来そうな気はしていましたが、ドンピシャでした。
美しかった〜!

武満徹「そして、それが風であることを知った」




こどもの遊び

2022-07-14 21:22:00 | ロマン派
火曜日は、子育てサロンを開催しました。
マットを敷いて、壁面飾りをつけて、準備が終わったところにコミュニティからメール「夏祭りはコロナ拡大のために中止。各部会行事は進めてもよし。」

不安はありますが、その日は開催しました。


空気清浄機とCO2監視装置は置いてもらっています。
換気、消毒、マスクは実施。
おもちゃも消毒して1人ずつにだします。

「子どもと2人だと煮詰まってしまって!」
「ここに来るとホッとします。」
手遊びの後に、スーパーの小袋を使ったおもちゃ作りをしました。


3歳までなので、作ると言ってもなかなか難しいですが、袋に目を貼ってお魚にしてあるものに、自分でシールや、テープで鱗をつけて…かわいいお魚ができました。

後は手遊びに合わせてぽんぽん飛ばして遊びました。

ジョルジュ ビゼー(1838-1875年)フランス王国パリ生まれ、フランス共和国ブージヴァル没

1871年「こどもの遊び」op22はピアノ連弾曲として作曲されました。

ピアノ連弾曲の構成は

ラッパと太鼓(行進曲) Trompette et Tambour (Marche)

シャボン玉(ロンディーノ) Les Bulles de Savon (Rondino)

陣取り鬼ごっこ(スケッチ) Les quatre Coins (Esquisse)

目かくし鬼ごっこ(夜想曲) Colin-maillard (Nocturne)



馬とび(奇想曲) Saute-Mouton (Caprice)



小さな旦那様、小さな奥様(二重奏) Petit mari, petite femme! (Duo)

舞踏会(ギャロップ) Le Bal (Galop

この内、管弦楽小組曲として下記の5曲を選んで、1872年ビゼー自身により編曲されました。

ラッパと太鼓(行進曲) Trompette et Tambour (Marche)

お人形(子守歌) La Poupee (Berceuse)

こま(即興曲) La Toupie (Impromptu)



小さな旦那様、小さな奥様(二重奏) Petit mari, petite femme! (Duo)

舞踏会(ギャロップ) Le Bal (Galop)

パリのオデオン座で初演されました。


1869年、ビゼーは師匠の娘で上流階級ジュヌヴィエーヴ アレヴィ


と結婚。

息子のジャック


が生まれています。おそらくこの曲はこの子のために書かれたのではないかと思われます。

その前に、ビゼー家の女中マリ レーテルとビゼーの間にはジャンという息子がいました。

彼は1875年ビゼーの死後も、従兄弟として暮らしました。また、彼の母はビゼー家の奉公人として雇われて暮らしました。

なんだかなあ~。





お風呂で聴く音楽? 

2022-07-13 20:56:00 | 現代
立ってるラッコ、初めてみました。
先週の鳥羽行きで行った鳥羽水族館のハイライト。

イルカ島の後、行ったので
イベントはほぼ終わっていたので見たのは
アシカのショーまた?!
イルカ島と引き続き2回目。
さすがこちらのは筋肉質でした。2㌢のアクリル板の上で逆立ち

あっかんべーをしたり

かわいい♥️
ラッコさんは

飼育員の方と手を繋いだり

アクリル板の前で貝を割る仕草をしてくれたり

最後は板にくっついた貝のかけらを華麗なジャンプ!
でとって見せてくれたりしました。

「かわいい!」を連発する母と一緒に大急ぎで水族館終わりの時間ぎりぎりまで周り。

戸田屋さんへ。
近いけど、暑い!その日は30度越えでした。

外観は古いけどさすが天皇陛下や皇族の方々が泊まったという老舗旅館。
客室は美しかった。

魚の解体ショーつきのバイキング。




お腹いっぱい、大満足。
温泉は13個あってどれも入り放題。
貸切風呂、露天風呂、大浴場。
お風呂好きな母にぴったりの旅館でした。
もちろん、貸切風呂5個のうちの4つ以外は全て制覇しました。

夜、気持ちよく寝ていると「イタタ!」と母の声。
足がつったらしい。

それから足をマッサージしたり、ドライヤーの熱風で温めたり…。 
ウィンブルドンを全て見るまで寝られなかった!

『だから、無理しないでホテルに帰ろうって言ったのに!』という私の心の叫びが口から出そうになったけど、それは抑えて。
『次は絶対にお願いされても無理しないぞ。』と固く心に誓ったのでした。

それでも朝風呂に入り、朝食バイキングもたっぷり食べて、存外元気な母でした。あと一回続く。

お風呂で聴くクラッシック音楽を検索したら、バーバーの弦楽のためのアダージョがてできました。

確かに良さそう。
サミュエル バーバー(1910-1981年)アメリカ合衆国ペンシルベニア州ウェストチェスター生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク没

バリトン歌手で作曲家でした。
1935年 カーティス音楽院を卒業後、イタリア留学。
その間に弦楽四重奏曲第一番ロ短調を作曲。その中の第2楽章が「弦楽のためのアダージョ」として編曲され人気を博します。

近代の作曲家ですが、実験的手法に走らず古典的手法を使ったために新ロマン主義音楽の作曲家に分類され、「最後のロマンティスト」と呼ばれました。

お風呂で聴くのはいい考えだと思います。



木管フルートの世界

2022-07-12 21:06:31 | 楽器
昨日のフルートアンサンブルレッスンに、榎田先生が木管フルート2本もって来てくださいました。

円錐形フルートと現在のモダンフルートの間に使われたもので、

金属のメカニズムと木管との合流?合作が特徴です。
しかも指使いや調整がベーム式と変わらないのが助かります。
音は金属と木製の間位で、意外に音量があります。
金属より大きいくらいです。
メーカー名読めません。ドイツの楽器だそうですが…。

支えもついています。
榎田先生、この左の一本を私に貸してくださいました。
「家で、吹いてみて」だって、
もちろん「いいのですか?」と食い気味で借りて来ました。

それからみんなに
昔のフルート奏者の素晴らしい演奏のサイトがあると紹介されました。
英語で、画像はないですがすごいです。
どうやっているのかわかりません。
曲も初めて聴きました。

「時代が進んでいるから、よくなっているものばかりじゃないんだよ。」

今日吹いてみたら、音の立ち上がり、どこまでもppで吹けて、物理的に質量が軽いので操作しやすい。
このフルートなら吹けるかも!

このサイト、他にも過去のすごい演奏が投稿されています。
ぜひ聴いてみてください。