電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ベートーヴェンの「悲愴」ソナタを聞く

2006年01月28日 18時04分56秒 | -独奏曲
若い時代のベートーヴェンの作品は、魅力的だ。ボンからウィーンに出てきたころの1798年の作品、ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」作品18は、ずっと以前から好きな曲だった。

まだ若いころ、音楽を学んでいるある娘さんが、この曲を弾いてくれたことがある。御両親も一緒だったが、ボロボロになりながらも、いっしょうけんめい弾いている姿がとてもかわいらしかった。彼女のおかあさんが、いつもはちゃんと弾けるのに、ずいぶんあがっちゃって、とからかっていた。私もこの曲が大好きだと話題にしたことを覚えているが、若いベートーヴェンの音楽には、そんなほのかな甘さや香りを持つ一面がある。当時のウィーンの貴族や市民階級の聴衆たちが愛したのは、輝かしい変奏や名技性だけではないだろう。たぶん、若いベートーヴェンの音楽の持つ、ストレートに心に訴えてくる魅力を愛したのではないか。

「悲愴」ソナタ、LPの時代はアルフレート・ブレンデルのしみじみとした演奏による廉価盤(コロムビア MS-1052)でずいぶん長く楽しんだ。CDの時代には、児島新校訂版によるブルーノ・レオナルド・ゲルバーの深い演奏(DENON 33CO-2203)で、これまたずいぶん長く楽しんでいる。最近は、ブックオフの全集分売もののCDから、ディーター・ツェヒリンの演奏(デンオン MyClassic Gallerryシリーズ GES-9250)でも聞いている。

第1楽章、グラーヴェ、深く重々しい前奏から始まる。高みから一気に駆け下りるような下降のあと、アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオの、情熱を噴出させる音楽となる。繰り返しの後、再びグラーヴェの深い響きに戻り、ピアニシモからアレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオに変わり、終わる。
第2楽章、アダージォ・カンタービレ。晩年の第31番のソナタのような深さはまだないが、実に美しいベートーヴェンのアダージョ。心をこめてこんな音楽を演奏してもらった女性たちは、きっと若いベートーヴェンにぽーっとなったことだろう。
第3楽章、ロンド、アレグレット。ここでも、若いベートーヴェンの甘い歌とスピード感のある技巧性とが共存して、華麗なロンド・フィナーレとなっている。

その後、くだんの娘さんは音大に進み、私は専属の録音技師のように、休日に行われる主要な発表会の生録音を依頼された。プッチーニやヴェルディなどのイタリア・オペラに開眼したのは、このときの経験によるところが大きい。残念ながら、悲しい事情によりほろ苦い記憶に変わってしまい、今ではすっかり色あせてしまったけれど、「悲愴」ソナタを聞くとき、あの日の一途でひたむきな演奏を思い出すことがある。たぶん、それもまた人生の一コマなのだろう。

参考までに、演奏データを示す。
■アルフレート・ブレンデル(Pf)
I+II=14'50" III=4'01" total=18'51"
■ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(Pf)
I=8'42" II=5'18" III=4'20" total=18'20"
■ディーター・ツェヒリン(Pf)
I=8'30" II=5'10" III=4'00" total=17'40"
コメント (8)