電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

北島圭『東日本大震災・通信復興前線ルポ』を読む

2014年02月08日 06時01分41秒 | -ノンフィクション
もうすぐ東日本大震災から三年になろうとしています。震災関連の刊行物は意図的に読もうと心掛けておりますが、今回は電経新聞社から刊行された2013年秋の新刊で、北島圭著『東日本大震災・通信復興前線ルポ』を読みました。表紙に

「この事実だけは残したい」~1000年に一度の大災害に立ち向かったエンジニアたちの取材全記録

という説明があるとおり、業界紙の編集者が災害復旧の現場を取材した記事をまとめたものです。通信インフラの現場がどのような困難を抱え、どのようにクリアしながら復旧復興を進めているのか、素人にもその大変さと重要性がわかります。

「(前略)また地震・津波の影響を教訓に、内陸側の中継ルート(迂回ルート)を増やしていますが、その一環として仙台-山形のルートも新設。また福島から山形に抜けるルートも構築しました。これらは冬山での作業だったので、厳しい寒さとの戦いでした」(p.108)

なるほど。通信ネットワークは、中心と周辺とを結ぶ星形ではなく、網の目のように張り巡らされることが大切だろうと思いますが、隣県でありながら、これまで山形-仙台のルートはなかったことがわかります。幹線部分に注目すれば、複数の迂回ルートを作って複線化しておく必要がある。太平洋側のバックアップとして、山形が重要な地理的条件にあることは、先の震災時に、24時間体制で空と陸の両方からピストン輸送する補給基地として機能したことからも明らかです。



それにしても、通信の役割は大きいものがあります。戦国時代にトランシーバがあったなら、たぶん鉄砲以上に強力な役割を果たすことでしょうが、大災害を経験してみると、通信インフラの維持という仕事の意義がよくわかります。ともすれば、技術革新による新しい通信手段への変革ばかりが注目されがちですが、従来型のメタル線の役割もやはりあるということなのでしょう。通信インフラの維持に従事する人々の労苦と誇りを知るとともに、福島県沿岸部、とくに福島第一原発周辺の状況の困難さを、あらためて認識させられました。

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