電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「SNS疲れ」の新聞記事について

2014年02月13日 06時04分27秒 | ブログ運営
1月31日付の山形新聞に、興味深い記事が掲載されました。「SNS疲れ」「依存に炎上、しがらみも」「ネットと現実の間で悩む」といった見出しがついています。要するに、会員制交流サイトの利用者の間で、一時の爆発的な流行から、最近はストレスから利用を休止する、いわゆる「SNS疲れ」が顕著だ、という現象を探ったものです。

ツイッターやフェイスブックなどに当初は期待を寄せたジャーナリストたちも、炎上や強迫的な交流の在り方などに疑問を持ち、距離を置き始めている、あるいはすでに休止している現状が紹介されています。「疲れてまでするものじゃない」というのは、まったく正しい。当方も、ブログ運営の中で、何度か「コメントやトラックバックには適量というのがある」ということを感じ、またそのように書いてきました(*1)が、ツイッターやフェイスブックなどにおいても、生活を破壊しない、同様の境界量というものがあるのだろうと思います。

記事では、スマートフォン拡大の現状を指摘しつつ、ネットの各種サービスが、パソコンからスマホへ移行した転換の年として昨年(2013年)を位置付けています。むしろ、記事の最後に置かれた分析、

「芸能人やスポーツ選手ら、一握りの著名人が宣伝に使い、利益を総取りする階級性がSNSの本質。一般人のメリットは皆無に近い。社会変革や人間関係の充実を願うなら、やはりリアルで動き、汗をかくのが王道でしょう」

これが実に的確だと感じます。Amazon がロングテールまで利益を集める仕組みを作り、地方では次々に小売店をたたむ現実と同様に、コミュニケーションにおいても一握りの著名人に注目が集まる現象は、ネットというものの本質を表している面があります。

でも、私の場合は、メリットがあるからブログを続けているわけではありません。自分の備忘と楽しみのために書き、他の人にも役立つものがあればなお幸い、という気楽なスタンスです。そうであれば、SNS の階級性など、あってもなくてもあまり関係がありません。その意味でも、電網「郊外散歩道」という名前にしたのでした。

(*1):コメントもTBも適量があるのかもしれない~「電網郊外散歩道」2005年10月



写真は,過日撮影した雪の山寺です。
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