雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

樋渡さんのお陰で、明石市役所と繋がりました。

2011-02-16 14:12:44 | 樋渡啓祐さんのこと

★こんな事があるのです。 これが現代のネット社会なのです。

パソコンが使えても、ブログも、SNSも、ツイッターも、Facebookもおやりにならない方たちには、『ホントか?』と思われるような出来事なのですが、

こんな話が、固い、固いと思われている市役所との間で、現実に起こっている出来事なのです。

武雄市の仲介みたいな形で、明石市とNPO The Good Times が繋がるかも知れません。

 

事の発端は、一昨日、2月15日の午後3時ごろの話なのですが、

その時には何の関係もなかった人たちが、2月17日、今日の午後3時半から集まって会議をしようかと言うことになっているのです。

会議の場所は明石市役所の会議室、集まるメンバーは明石市役所情報管理課の課長さん以下と、

そして『Award Press明石 』というシステムを開発されている 『NPO法人明石インターネットパワーズ』の方たちです。

こちらは、私と副理事長のタッちゃんと、アシスタントのbunCさんに声をかけています。

 

★なぜ、そんなことになったのか? その経緯はこんなことなのです。

●3月15日の午後、ツイッターを眺めていたら、こんなつぶやきが目に留りました。

taketake9833 ツイッター・SNSを行政に活用した先駆者・佐賀県武雄市の樋渡市長の講演をやっています。興味ある方はどうぞ。 ( #hnmak live at http://ustre.am/sf6p)
about 19 hours ago Ustream.TVから あなたと2人がリツイート 』  

これがスタートです。

●直ぐこのトークセッションを観たのですが、それは終わる寸前でした。最後の質問にツイッターのフォロワーの話があって、樋渡さんがご自身のツイッターのフォロワーの1万人の話の中で、『三木の77歳の雑感日記さんーーー』という紹介があったりしてビックリしたのですが、このトークセッションは淡路で行われてはいたのですが、明石市役所の主催のようで、情報管理課の課長さんが締めの挨拶などなさっていました。

●明石は私の故郷でもあり、興味、関心もあったので、まず広報課に電話して、この件の担当などを聞いてみたのです。広報の方からはAward Press 明石の話なども伺って、さらにその担当部門の方と、1時間近く喋っていました。明石のいろいろなこと、私の昔話にもちゃんと付いてこられて結構楽しい会話でありました。

●Taketake9833さんは、私たちNPO The Good Times の会員さんで、e-音楽@みき の主催者です。ネットにも詳しくて、ツイッターもFacebookもやっています。Facebookではこの件について、私とのやりとりもありましたが、翌日は樋渡市長の講演の様子をこんな風に、纏めています

 

★一夜明けてこれからは翌日の話です。

●私は、もう一つのブログのexcite に『昨日はなかなかオモシロかった』と言う題でブログを発信しています。

その前段は三木の椅子の話なのですが、後段は樋渡さんや明石市役所の話なのです。

●樋渡さんは流石です。この私のブログにアクセスされて、コメントを頂きました。

『樋渡さん、有難うございます。明石市は私の故郷です。樋渡さんのお陰で、明石市役所と繋がりそうです。昨日司会をされていた課長さんとも電話で今朝お話しできました。2,3日中に明石市に伺うことになると思います。NPOの会員さんのつぶやきからひょんなことになるものです。上手く動きかけたらまたご報告します。
本当に有難うございました。』 と私は返事をしています。これが午前中の話です。

●そして、ホントに現実の話になりました。午後になって明石市役所の方から『明日の午後3時半から分庁舎の会議室で』と言う連絡が入りました。それが今日のミーテングです。

今日のミーテングに出られる方は、みんな初顔合わせです。 話の内容は結構高度で説明はなかなか難しいと思います。

NPO法人The Good Times だけでも難しいのに、その仕組みの説明がどのくらい出来るでしょうか?

明石の市役所の担当の方に、私が説明資料をブログに書いておきますから、それを投影して観れるようにご準備出来ますか? OKの返事が来たので、このブログを書いています。 このブログは、今日使う会議資料そのものなのです。

こんなスピードで、世の中は動いています。

私の故郷、明石市はいいところなのですが、最近はおかしなニュースばかりで有名になっていたのですが、この反応の速さは、なかなかです。樋渡さんを、ツイッターで講師にお呼びする感性がいいと思っています。

 

 

ここから先は、詳しくなりますので興味のある方だけお読みください。

 

こんなトークセッションに出席していない私がなぜこんな写真を??

武雄市では、こんな形でもうニュースとして情報発信されているのです

その情報を捉まえているNPOの会員さんも相当なものですしーーーー。

とにかく世のなかのスピードは、先頭グループは、このレベルなのです。

 

★樋渡さんのお陰で、明石市役所と繋がりました。樋渡さんはツイッターに呼応されてトークセッションに出席されたようですが、そんな身軽さがネットのよさですね。

私の方も、お陰さまで直ぐ繋がって、具体的な動きになりました。今日の会議までは漕ぎつけましたが、今から具体的な展開になるかどうかは、ご縁があるかどうかです。

NPO法人 The Good Times の今年の目標は、『新しい公共』ですから、三木社会福祉協議会や三木労音、e-音楽@みき に次いで、

『明石市役所、 Award Press 明石』との活動ができればいいなと思っています。

3月4日に明石を舞台に展開する『カワサキの想い出、そして未来』 も新しい公共のの一環としてのNPO The Good Times の活動イベントなのです。

 

★NPO The Good Times は、一言で言えば、『システムそのものなのです』

ブログや、ツイッターや、Facebookなどと同じ『システム』ですから、 NPO法人自体は何もしません。

個人会員さんや団体会員さんが、如何に上手にこのシステムを使いこなすかにかかっています。

非常によく出来たシステムで、個人商店でも、グループでも、上場企業でも、行政でも、単独でおやりになるよりはこのシステムを使われる方が数段上手く機能します。

NPO法人=非営利活動法人ですから、その利点を最大限利用しています。使っている仕組みは全てネット関係ですから全て無料です。従ってNPO法人の月間経費は殆ど発生しないのです。

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』が基本コンセプトです。

その繋ぐ道具として根幹になっているのは、『個人会員』さんです。

その個人会員のカードがこれです。 入会金1000円、年会費は頂きません。1000円で終身会員です。

個人会員がこのシステムの根幹をなしています。

団体、グループ会員は、入会金1万円です。個人商店も大企業でも1万円。明石市役所が参加されても1万円です。

 

個人会員は入会金1000円ですが、100人で10万円、1000人で100万円、1万人で1000万円、10万人なら1億円です。

そんなに集まる? とお考えでしょうが年会費3000円のカワサキのKAZEでも、最盛期55000人集まりました。

仮にお金が集まってみても、NPO法人は配当など出来ませんから、そのお金は一生懸命活動されたところにお返ししようと言う仕組みになっています。

 

その他に基本的にいま使っているシステムは

NPO  The Good Times のホームページです。

NPO The Good Times の公式ツイッターです。 現在のフォロワーは125000人。今年中に15万人は超えるでしょう。20万人になるかも知れません。

このフォロワーの数は、このNPOの情報発信力を表しています。会員さんのブログでも、ツイッターでも『いい情報』は直ぐリツイートします。昨日のトークセッションも、会員さんがつぶやいたので直ぐ『リツイート』されています。このブログも毎日『リツイート』しています。

●団体会員さんの商売上のつぶやきも『いいニュース』は『リツイート』しますので大いに役立っていると思います。

会員さんの発信するブログ集です。 個人会員と団体会員とに分けて、自動的に新しいものから並びます。

●それをタンブラーで写真も入れて編集したのが、The Good Times Tumblr です。

●ツイッターも、団体会員さんと、個人会員さんに分けて、on time で並びます。

●最近始めたFacebookのThe Good Times のファンページです。

●『カワサキの想い出、そして未来』という3月4日、川重明石工場とキャッスルプラザ、カワサキワールドを舞台に繰り広げるイベントもFacebook で紹介しています。このイベントの主催をしているのは団体会員さんで、NPO The Good Times のシステムや会員さんが応援して、成立しているのです。

 

 ★3月6日には三木市の地域協議会の講演会と言う催しの中で

『NPO 法人 The Good Times 』についての講演会があるのですが、まだ考えている最中ですが、

このブログなどもその原稿の一つにはなるかも知れません。

 

私たちの仲間の特徴は、いろんなネットを通じて、なんとなくゆるく繋がっていることです。いろんな会員の方や仲間が、『いま何してる』と言うのが解っているのが強みです。

特に関係があるわけではないのですが、武雄市の樋渡市長は昨日は奈良で講演だったと言うのは解っていますし、

一番新しいブログではこんなことを言っておられます。 『講演が人を変える』 と。

 

ちなみに、このブログ雑感日記は、『たけおのブログ&Twitter』の中で毎日掲載されていて、ベスト20の中に入っていますので毎日武雄の方からのアクセスがあるのです。

『タケタク』さんは武雄の観光タクシーさんですが、NPOの団体会員さんでもあります。そんなことで武雄とも何となく毎日、繋がっているのです。

私の生まれ故郷、本籍の明石とも繋がれば、と思っています。

 

NPO法人 The Good Times  はこんなシステムなのです。

これをどのようにお使いになるかは、使う方の選択ですが、既に出来上がっている『Award Press明石』 などと言う、いいシステムを上手にお使いになれば、今の何百倍に機能するはずです。

目標は少し大きく 『10万人の明石のネットワーク』 ぐらい狙われてはいかがですか?  十分可能性があります。

 

 

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昭和43年(1968年)35才 東北2年目絶好調?

2011-02-16 06:47:41 | 自分史

★昨日、雪道の走行のことで、東北時代の車の運転、特に雪道走行のことを書いたのだが、1年を通じて東北6県を車を駆って走り続けていた。

冬の雪道もものともせず、何百キロの道を走り続けていたのである。

各県の主たる都市に代理店はあったのだが、さらにその先のサブ店と当時は言っていた販売店まで足を運んでいたので、東北の道は、東北の人より詳しいはずである。

当時の販売方法は、各地にあるサブ店、販売店と言っても自転車屋さんで、資金力はないので商品の委託販売が一般的であった。如何に多くの店にバイクを委託できるかが勝負みたいな不思議な販売方法で、実際に車が売れるのは委託商品にお客が付いてからである。客に商品が渡っても直ぐに金が入るわけでもなくて、それから何ヶ月かの分割販売になるのである。

そんなサブ店が結構威張っていて『サブ殿様のデーラー乞食』などと言われていた時代なのである。

タテが200キロ、ヨコが100キロの岩手県をはじめ、面積だけは日本でも大県が揃っている東北6県は、なかなか走りでがあって、月のうちほとんどを出張で過ごしていた、そんな1年であった。

 

★90ccのスポーツ車まがいのものがニューモデルで出たとはいえ、まだまだ実用車がメインの時代で、この年の東北6県の販売計画は年間9000台、カワサキの中ではトップ、関東圏よりも販売台数は多かったのである。

文字通りの主力市場で、この年の全国の販売台数の金賞が岩手カワサキ、銅賞が福島オートと秋田カワサキと4賞のうち3賞を独占したような好成績だったのである。

直営所と言われた西の地域などが元気がないなかで、東北だけは意気軒高で、別世界のような様相を呈していた。

担当していたのは、営業など新米の所長の私とサ―ビスから転じた宇田川君、同じく経理から来た石塚、中茎の営業素人集団ではあったが、元気だけはなかなかよかったのである。

前年度は、事務所もなくて宮城カワサキの中に机を置かせてもらっての仮住まいであったが、前年秋に土地を買い、倉庫兼事務所を建てて、この年の5月にめでたく自分の事務所を持つことになったのである。

今の仙台の事務所の場所である。

この事務所の土地も、業者からは5000坪ほどどうですか?と勧められたのである。川崎航空機なら5000坪でも買う理由が出来る。一般の会社は買おうにもその理由がなかなかない。買ってから転売すれば儲かること請け合いと言うのである。 然し本社は300坪にこだわるものだから今のような斜めの土地になったのである。

新事務所には、宮城カワサキのサービス部門の服部君(服部カワサキ前社長)以下サービス部門も移ってきた。このグループはサービスの仕事も出来たが、同時に熱心なモトクロスチームでもあったのである。そんなわけで、私の前職ファクトリーチームにはまだまだ顔も効いたたので、いろいろと面倒を見て上げたのである。こんな貸しが40年経った今でも効いていて、服部君からは、サクランボやおコメなど毎年送って頂いて恐縮しているのである。

 

★東北各地でレースは盛んだったので、明石のライダーたちはしょっちゅう競って東北にやってきた。

山本、歳森、星野、岡部、梅津とカワサキモトクロスの全盛期であったし、走れば優勝と言うような状況だったから、各代理店の社長さんたちも競って招待し、現地に来た時の待遇は抜群によかったようである。

白バイも各県ともまだメグロが主力に時代で、前年度に続いて各県の白バイ隊員に対しての走行講習を山本隆君が講義と実技を行ったりしているのである。

この年の第5回MFJモトクロス日本グランプリは、札幌の手稲のコースで8月11日に行われたのだが、このレースを観るために?その日に合わせて北海道と東北の合同代理店ブロック会を定山渓で行って、それに出席の名目で、仙台事務所の所員全員が仙台から札幌まで車で出かけたのである。

下北半島を走ったのはこの時だし、本州の北の果て大間にカワサキの販売店があったのは感激であった。大間からフェリーで函館、そこからまた札幌まで、仙台札幌は2000キロである。

日本グランプリの成績は、90cc星野一義、125cc山本隆、とカワサキが優勝、250ccはヤマハの鈴木忠雄であった。

このレースの帰りは登別温泉の大浴場で文字通りの混浴を楽しんだりしたのである。まだそんなよき時代であった。

この年のMFJ最優秀選手には山本隆君が選ばれて、ご褒美にヨーロッパ視察に行くことになるのだが、、東北の社長さん方から5万円の餞別を贈っている。これは私は忘れてしまっていたが、日記にそう書いている。当時5万円はまだまだ値打ちであった。60おじさん覚えているのだろうか?

 

★こんな年だったのだが、家庭では長男がようやく幼稚園に入園している。月のうちほとんどを出張で、家内は独り子育てで大変だったのだと思うが、帰ってきて日曜日などの家庭サ-ビスには、本当に喜んでくれているし、たまに戻るので、気持ちとしては新鮮であった。新婚生活が続いていたような感じである。

近くに、親戚などもいない、まさに独立の家庭であった。

私は遊びやスポーツでは、長男などはずっと付き合ってやったのだが、幼稚園も、小学校のときも父兄参観などは娘も含めてただの一度も行ったことはない。子供のスポーツのことではよく学校を覗いたが、勉強のことは一切構ったことも関心を持ったこともない。学校の成績などそんなに大したことではない。勉強などやりたければ卒業してからでも、幾らでも出来ると今でもそう思っている。子供の資質以上に学問の成績を求めるのは酷だと思っている。逆にスポーツなどの世界は鍛えたら、これは伸びると思っているので、勉強はほどほどにスポーツは確りと思っている。少し偏見かな。

当時の日記に、子供の教育に親がかまい過ぎる、子供の世界があるのだから、放っておけば自然に成長するなどと書いている。高校も大学も就職も、もちろん結婚も、息子の場合は一度も相談に乗っていない。小学校の時に一緒に釣りなどにはよく行ったのだが、その時『男の子は自分のことは自分で決めろ』と言ったのが効きすぎたのかもしれない。娘の就職だけはちょっと面倒をみたのである。

前年貰ってきた柴のシロが5月に仔犬を生んでいる。石塚君が1匹、貰ってくれている。石塚君とは犬ではご縁があってTom Love という夫婦の柴が生んだ子も貰ってくれたのだが、まだ健在なのだろうか?Loveは16年生きたが昨年の今頃亡くなった。

石塚君も当時は新婚で確か12月25日に女の赤ちゃんが生まれている。みんな若くて元気な時代であった。

 

★この年35歳である。

代理店の社長さんがたは、ずっと年上だったし佐藤農機の社長さんなどは父親みたいな年の方だった。川重の方ならご存知のKMGの社長をしていた佐藤君のお父さんである。

そんな代理店の経験豊かな社長さんがたが相手なのだが、各代理店が開催する販売店会議などでは、私はメーカーの所長として主賓の挨拶をしなければならぬし、結構地位的に偉くなくてはならないのである。

背伸びもいいところであったが、このころのそんな経験で100人以上の前で挨拶をすることにも慣れたし、少々のことには驚かなくなってしまった。

人間、別に年をとったからと言って、そんなに成長するものでもない。若くても経験などなくてもちゃんと出来るものだと思うようになったのはこのころの自分のことでそう思うのである。

その後いろんな人と、いろんなところで、いろんな年代の人と付き合うことになるのだが、年が若いからと言って差をつけたりしたことは一切ない。

歳や学歴や職位などとは一切関係なく、『人を見る』習慣は今も身についているのである。

これはこのころ、東北の社長さん達が35歳の若輩を年に関係なく立ててくださった有難さを身に滲みて感じているからかもしれない。

 

いろんな経験をした。

この年の5月16日、東北の大地震であった。盛岡から八戸に向かう途中の車の中であった。明石からの中村治道さんと前田祐作さんを乗せていた。

ものすごい揺れだった。直ぐ何百メートル前の道が崩れてなくなってしまった。私にとっては阪神大震災よりも大きな地震であった。

昭和43年、そんな年だったのである。

 

標題に『絶好調?』と?をつけたのは、表面絶好調ではあったのだが、ホントはそうではなかったのかもーーーと言うことで。

 

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