雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ユニファイドコミュニケーション

2011-11-18 14:52:33 | 発想$感想

★『ユニファイドコミュニケーション』初めて聞いた言葉だが。

検索してみたらこんなことのようである。

ユニファイドコミュニケーションとは、様々な通信手段やコミュニケーション手段を統合する(unify)ことにより、これまでにないコミュニケーションの方法を実現しようとする試みのことである。従来より、通信・コミュニケーションを行うための手段として、音声通話やFAX電子メール、それぞれ手段に応じて使い分けられてきた。

ユニファイドコミュニケーションは、これらの機能をそれぞれの長所を活かしつつ一つのシステムへ統合することによって、より柔軟な機能を提供し、効率化や生産性の向上、コスト削減などを実現しようとするものである

 

日経に、長文のこんな記事が載っていた。 

見出しには、『メールは時代遅れ、社内SNSに未来を託す米企業』 とある。

オモシロそうなので、読んでみた。確りとは解らなかったが、言おうとしていることはよく理解できた。

理解できたというよりも、ブログ、ツイッター、Facebookで現実に周りの人の情報を自然に受け取っている毎日なのである。

 

この記事の中に書かれてあることの中から、共感できて且つ、体で感じることのできる部分を、以下に拾い出してみる。

この記事の最後は、こんな言葉で締めくくられている。

● 米国に比べて日本はホワイトカラーやマネジメント職の生産性が低いと指摘されてきた。それは企業コミュニケーション・システムの格差に大きく依存している。その米国がソーシャルに未来を託して走り出した。日本企業もそろそろソーシャル・コンピューティングに取り組まないと、数年後には日米の格差がいっそう広がることになるだろう

 果たして何人の現役の企業にお勤めの方が、実感として同じように感じられるのだろうか?  と思ったりする。

 

 

●  今年の目玉は、次世代企業コミュニケーションの覇権争いだ。米IBMや米マイクロソフトが、電子メールを中心に企業内コミュニケーションを統合する「ユニファイド・コミュニケーション(UC)」を売り込もうとする一方で、会場では「電子メールが増えすぎる」「メールは遅くて困る」といった言葉が飛び交うなど、UC離れの動きも目立っていた。・・・・

● 電子メールは手紙を電子的に置き換えただけのもので、生産性が低く「多くの点で問題がある」と指摘する。しかも1対1の対話が基本で、多くの人に同時に伝えたり(1対多)、多くの人が同時にコミュニケーションすること(多対多)は不得意だ。さらに、最近の若い人は「電子メールだと遅すぎて仕事にならない」と文句を言う。SNSなら相手が居ればリアルタイムで、居なければ自動的にメッセージを残せるが、電子メールは相手が居るか居ないかや、いつ返事が来るかが分からないので不便だと感じる。

● 電子メールはほかのアプリケーションとの融合も難しい。フェイスブックが世界最大の写真共有サイトになっている理由は、加入者が多いだけでなく「アップした写真に誰が写っているかを認識し、知らせてあげる(タグ付け)機能」があるからだと指摘する。写真はただ保管するだけではダメで周りの人に見せて価値があるもので、タグ付け機能はそれを自動化しているからみんなが使うという。

● しかし「多くの会社は社員がフェイスブックに(社内から)アクセスすることを禁じている」と嘆く。

フェイスブックを頂点とするソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)こそが、企業内のコミュニケーションを円滑にする手段だと指摘している。

いま『ソーシャル・チャネル(SNS系販路)』が新たなセールス分野として現れた。

 24時間、いつでもトレーニングができる都市型フィットネスジムとして注目を浴びる同社は、フェイスブックやツイッター、などのソーシャル・プラットフォームを使った会員権販売で大きな成果をあげている。フェイスブック内のファンは20万人を超え、動画共有サイトの「ユーチューブ」に掲載したトレーニング・ビデオは300万人以上が視聴している。そうしたソーシャル・ネットワークでの活動について「(SNSで飛び交う)会話は(それ自体が)販売チャネルだ」と表現する。

●インフルエンサーとは、コミュニティーのなかで影響力のある人物のことで、たとえば自社製品の販売に大きな影響を与える熱狂的なファンなどを指す。 友人の数は普通でも、信用が高く、特定のサービスや商品について集中的に発言する人が、コミュニティーの中のインフルエンサーとなる。

新製品発表前になると、メールやチャット、ホームページなど多彩なコミュニケーション手段を使って場を盛り上げる発言を繰り返すファンなどは典型的なインフルエンサーだ。

 ● 米国のソーシャル・ブームは、ブログやウィキ(Wiki)に始まりチャットやツイッター、SNSへと進化を続けてきた。その歳月は10年を超えている。エンタープライズ2.0の会場を飛び交う言葉を聞いていると、長い期間を経たソーシャルがようやく企業コミュニケーションの柱になってきたことを実感させられる。それはソーシャルが“ツール(道具)”から“ソリューション(解決手法)”に質的変化を遂げたからではないだろうか。 

● いま企業情報システムに求められているのは、非定型業務における生産性向上だろう。

 

★時代は、もうこんな時代になりつつある。

毎日、現実にNPOの情報発信する仲間たちの、ブログやツイッターを見ることから、1日が始まり、

タンブラーや、NPO The Good Times 新聞では、会員さんの発する情報が、集約されて見ることが出来る。

そして、Facebookでは、もっと不特定多数の方たちの動きや、発想や、感想などいろんな情報が、日本だけではなくて、アメリカからもドイツからも送られてくるのである。

 

行政でも、佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長は、ホームページから全面的にFacebookに切り替えられた。

先日取り上げた『F$B良品 プロジェクト』など、民間企業の上をゆく発想である。

一番効果があると思われるのは、販売分野、それでなくても遅れていると言われる日本の流通形態の中にこそ、SNSは取り入れられるべきだと思ったりする。

 

販売分野だけではないが、

NPO The Good Times は、ネットのシステムをベースの展開だから、

このような日経の記事にも至極関心があるのである。

 

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平成8年(1996)川崎重工業最後の年、63歳

2011-11-18 06:01:58 | 自分史

★平成に入って以来ずっと担当してきた国内市場の任務も実質的に最後の1年となった。

6月末を以て、高橋―古谷体制から、田崎―中島体制に移行したのである。

 

グループ紹介のトップページである。

15年前、やはり若いなと自分でもそう思う

 

前年に各地にあった地域販売会社を整理統合して、カワサキモータースジャパン1社に纏め、ジェットスキー、物流、消費者対策、遊び中心のソフト会社など、

販売と言う単純な機能だけではなくて、むしろ社会やユーザーたちに繋がるいろんな分野への対応に大きなウエイトを置いていた。

 

その中心的、広報的役割を担当していたのが、ユーザーとダイレクトに繋がっていたソフト会社『ケイスポーツシステム』なのである。

 20年経った今、当時はまだなかったソーシャルネットシステム(SNS)が充実して、

ちょっと形を変えてNPO The Good Times として、当時の仲間たちと、もう少し広い分野での展開を試みているのである。

NPOのホームページの団体会員プロジェクトにのトップに、田崎さん主宰の『孫文を語る会』が来るのも何かのご縁である。

もう少し詳しくは、こちらのブログに

 

 

 

 

★この年からは、二輪車の販売は引き継いでくれる中島君に任して、その他の分野を担当していた。

物流関係では、故岩崎茂樹君が二輪車の1台送りのシステムと器具を運送会社と協力して殆ど完成の域に達していたし、

谷沢君が担当した、CS部門では、自動車学校などの設立に一生県命だったし、

南君担当のケイスポーツシステムも、ユーザークラブKAZEは55000人の最高を記録するなど、

トータルシステムとして機能する仕組みを創造を企図していたのだが、完成するまでにはちょっと時間が足りなかった感じであった。

 

業界ではホンダの宗国さん(のち自動車工業会会長)や水島さんなどと一緒に、二輪車協会(NMCA)の立上げに努力していた年で、この件もあってホンダの青山で、ホンダの企画の人たちといろいろ会議をやったりしたものである。

 

関東のサーキット松井田も6月には認可が下リて、松井田町の議員総会も通り、それを受けて川重サイドの経営会議の承認もとったのだが、実現しなかったのはどういう経緯だったのかは、よく解らない。

サーキット専用のスポーツ4輪、X-11も、この松井田プロジェクトも、陽の目を見なかったが、何故かその理由は解らない。

会社の仕事は、次々に引き継がれていくものだし、その時代、時代の責任者が、それぞれの方針の下で経営展開するもので、方向が変わったりするのはよくある話なのである。

翌年からは、会社を離れてしまったのでその理由を聞く機会もないままに、現在に至っている。

現役時代、やろうと思って実現しなかったのが、この二つのプロジェクトなのである。

 

★6月末で、KMJの専務は退任して、

7月からは川重に戻って、翌年6月末までの技監の任期を、所謂『特命事項担当』として、上記の業界や、松井田や、自動車学校などを手伝っていたのである。

当時、3階に理事室と呼ばれる部屋があって、無茶苦茶広いスペースに、6人ほどの技監や理事さんが同室していて、その横にはゴルフのネットの張った打ちっぱなし場もあったのである。

一人あたりのスペースで言えば、100坪は十分あった広大なものだった。多分、こんなに広いスペースを占有した人は、日本でもまずいないのではと思うほどの広さであった。

アメリカ帰りの佐伯企画部長(元川重副社長)が作ってくれたモノで、稲村暁一さんは、その部屋の横にあったゴルフ練習場のお陰で、ゴルフを始めたりしたのである。

 

そんな部屋のなかで、時間もあったから、入社以来の仕事の記録を日記帳など持ち込んで纏めたりもしていたので、それが今頃結構役に立っているのである。

翌年の6月末までの任期であったが、すでに63歳になっていたし、それ以降のことなど全く考えたりはしなかったように思う。

 

そんな、最後の1年だったのである。

何事にも直ぐハマって熱中するのだが、環境が変わると不思議なくらい割り切って、新しい環境の中で何かをやろうとする性格なのである。

アレだけ拘っていた、販売台数なども後任の中島君に譲ってしまったら、殆ど気にならなくなってしまうのである。

そして新しい環境がどんなものであっても、それはそれで結構楽しく、やりたいことはいっぱい見つかるものである。

 

★この年の1月、村山総理が辞任している。

円レートは105円、株価は2万円を超えていた。

川崎重工業は大庭社長、高橋副社長時代で、その高橋さんがKMJの社長を兼務されていた時代である。

川崎重工業100周年で、イギリスのサッチャー首相が神戸で10月15日に記念講演をされている。

 

昭和32年(1957)から40年間、出向期間がその半分も占めるのだが、普通のサラリーマンの方とはちょっと違った、自分でやりたいことを見つけてそれをやる、そんな会社勤めであったように思う。

『自分のやりたいことがやれた』ので、給料が安いなどとは思ったこともない。

入社がコネだったので、『入れて頂いた』と言うのが最後まであって、『ちゃんとやらぬと』入れて頂いた方に申し訳ないという気持ちであったからかも知れない。

そんな気持ちで過ごしてきた40年だった。

 

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