雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

新幹線50周年  昭和39年という年は・・・

2014-10-02 05:42:45 | 発想$感想

10月1日である。

朝早々のニュースが『新幹線開業50周年』だった。

 

   

 

    

50年前だから1964年、昭和で言うと昭和39年。 そのころ西暦で年号を言う人などいなかった時代である。

私も当然若くて31歳、カワサキオートバイ販売の広告宣伝課長で当時のカワサキのファクトリーチームのマネージメントも担当していた。

 

不思議なほど昭和39年のことはよく覚えているし、

昭和41年までの3年間があったから、今の81歳になっても二輪のレース関係のお付き合いをベースにオモシロく生きておられるのである。

10月の初めから、10月10日オリンピック開会式を挟んでの1週間は、私の人生を決めた1週間だったのかも知れない。

 

 

★そのころの世の中の状況は、戦後の廃墟から立ち上がって日本が一番元気があったし、カワサキの単車事業もそれ以上に『元気いっぱい』の時代であった。

名神高速は、神戸と名古屋までしか開通していなかったので『名神高速』と言っていたのである。

職務上、日本中を飛び回っていたが、一般には国内出張ですらそんなに自由にイケル雰囲気ではなく、今で言う海外出張並みか、それ以上のものだったように思う。

 

それまでの東京出張は、神戸発の銀河の夜行列車に乗っていた。 

8時ごろ神戸を出ると朝早く東京駅に着く。 東京駅に温泉と言うか風呂があって、朝風呂に入って始業時間までの時間つぶしをする

勿論帰りも夜行列車、そのまま会社に出勤するそんな出張を続けていた。

昼の特急電車も勿論あったのだが、確か神戸ー東京間は6時間以上も掛って、昼間の間にずっと汽車に乗っているようなそんな悠長な出張など許されたりはしなかった時代であった。

 

★その年の10月1日に新幹線がスタートしたのである。

その10月10日が東京オリンピックの開会式である。

このオリンピックに合わせて、東京には高速道路が出来、関西には名神が出来て、その極め付けが東京―新大阪の新幹線開通だったのである。

未だ、一般には車も普及していなくて、名神高速もガラガラだったし、運転免許も持っている人は珍しかったそんな時代なのである。

 

★ カワサキの単車事業再建方針が確定して単車事業部として独立しその確固たる意思として広告宣伝課がカワサキ航空機で初めて創られ、その予算は本社開発費で年間1億2000万円がこの年から3年間認められ、私はカワサキオートバイ販売に出向して未だ川航で係長にもなっていないのに課長と言う職位を頂いて、この一番いい時代だけを広告宣伝課担当だったのである。

個人的なことを言えば、結婚したばかりで前年の秋長男が生まれ、家内が里帰りしている間に運転免許も取ったりした。

単車事業は当時は、特にホンダさんが先頭を走っていて、すでに鈴鹿サーキットは出来ていたし、単車の営業関係は当然のように運転をするし、その辺の大企業とはちょっと違った先進的な雰囲気を持っていた。

カワサキが海外市場の調査など始めたのもこの年のことである。

 

この年の日記を開いてみてどんなことがあったのか、ちょっと列挙して見ると

1月16日  単車事業再建宣言 私は2月1日付けで、広告宣伝担当となる。 それまでもそれらしきことはやってはいたのだが、広告宣伝が独立したのはこの時か             らである。

2月  それまでの広告宣伝はカワサキ自販の広告宣伝課が担当していてそこの課長を兼務していたのが、小野田滋郎さん。あのフィリッピンの小野田寛郎さんの実弟である。 一番最初にカワサキのレースを手がけたのは自販の小野田滋郎さんで、これより2年ほど前のB7の時代なのである。

●3月、 今NPO The Good Times の理事長の山本隆くんはこの年の3月にカワサキと契約しMFJの第1回相馬ヶ原の全日本モトクロスに出場している。

関東は小野田滋郎さんが創ったカワサキコンバットのメンバーが出場したのである。

年初めに大きな変化があって、春から夏に掛けてレースや各種イベントで盛り上がったのだが、レースがベースの活動だったから、当時のライダーたちが乗っていたプリンスの2000GTBや、ホンダのS600などで名神を走ったりするなど、当時のサラリーマンとはちょっと違った動きをしていたのである。

 

★そしてその秋 10月10日、東京オリンピックの開会式の当日は、伊豆丸の山高原でのMCFAJの全日本モトクロスで、カワサキは、4種目中3種目に優勝し、カワサキのモトクロスを確固たるものにしたのである。

当時は新人の山本隆が優勝し、久保和夫(スズキ)荒井市次(ヤマハ)の両雄を下しての快挙であった

 

    

 

 

この伊豆丸の山へは、名神を通り名古屋からは1号線を通って車で乗り込んだのだが、帰りは東京から初めての新幹線に乗ったのである

この1週間の出来事は誠に私の人生で鮮烈でよく覚えている。

明石から伊豆まで名神を通り車を運転したのも初めてだったし、モトクロスの全日本で圧勝したのも最初のことである。

そしてその当日は東京オリンピックの開会式、帰りは初めて乗る新幹線。

これはなかなか忘れることは出来なくて、何回思い出してもいい想い出なのである。

 

さらに言えば、当時は広告宣伝課でヘリコプターを持っていて、この伊豆丸の山の現地にもヘリコプターを持って行っていて開会式には空から花束を届けるお嬢さんをどこからか運んで来たりしたのである。

 

10月1日、新幹線50周年と聞いたら、こんなことを思いだした。

山本隆くんがこれを読んだら、また彼独特の感想を持っていると思う。

お互いに、人生最高の1週間であったことは間違いない。

ひょっとしたら彼も新幹線に乗ったのだろうか?

 

 ★新幹線50周年は、カワサキにとっても単車事業再建宣言50周年なのである

 

コメント
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