雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

城東カワサキの行方?

2022-12-04 05:16:54 | カワサキワールド

★今月号のカワサキバイクマガジンにこんな記事が載っていた。
 何度も国内の販売網を担当し、多くの販売店と関りがあったのだが、
 城東カワサキの高橋さんとは、結構いろんなことで密接に繋がっていたのだが、
 「城東カワサキの行方」と言われても解ってはいないのである。







 この記事にあるように70年代の後半あたりでは、
 日本で一番多くの販売を記録していた日本一の販売店だったかも知れない。
 
 当時はまだ二輪販売専門店などそんなになかった時代で、
 ホンダ・スズキ・ヤマハは全国に何万店もあった自転車屋さんに、
 50㏄中心にバイクを委託しての委託販売の時代だったのだが、
 カワサキの東京地区だけが「二輪販売専門店組織」が完成していて、
 『北多摩モータース』と『城東カワサキ』の両雄が突出した実績を持っていたのである。

 カワサキだけが「中型スポーツ車」を売るための販売網を敷いたのは、
 ちょうど川崎重工業・川崎車両・川崎航空機工業3社合併があって、
 「50ccの生産中止」が決定されたからなのである。


★ちょうどその頃、私は近畿地区を担当していて
 「二輪専門店の販売網=特約店制度」をカワサキとして完成しようと
 目論んでいたのだが、
 その中心となる大阪市場の販売網整備のために、
 北多摩モータース城東カワサキ研修会の講師として来て貰ったのである。

 それは1971年8月3日のことで、日記にこのような記述が残っている。
 日記の記事を見ると研修会も上手くいったし、当時の大阪の販売も好調のようで、
 この年の10月、この研修会の2か月後に「カワサキ特約店制度」がスタートしたのである。
 そう言う意味では「城東カワサキ」はカワサキにとって特別の存在であったと言えるのだろう。



      


 
 それからもう50年以上も経って
 城東カワサキの高橋さんを知っている人は数えるほどになってしまった。

 そう言う意味でこのカワサキバイクマガジンの記事を懐かしく読ませて頂いたのである。
 ホントに高橋さんも、北多摩モータースの根本さんも今はどうしておられるのだろうか?


 

 
 


 
コメント (7)
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