雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

仙台―札幌    私の運転歴

2023-04-11 07:09:46 | 私の運転歴

★ 仙台時代は北海道と東北6県を担当する文字通り「北日本営業部」の所属だったが、
 最後の1年は東北6県とともに北海道も担当地域になって、その広さが大変だったのである。
 明石の本部からみたら、東北の隣が北海道だから、ついでに担当させてやれと思ったのだと思うが、
 仙台ー明石と仙台-札幌の距離は同じく1000kmもあって、
 当時の電話代は今と違って距離によって通話料が決まっていて、
 仙台-明石も1通話1000円だったが、同じく仙台ー札幌も1000円だったのである。
 因みに、アメリカに電話するとちょっと長話をすると10万円も掛った時代なのである。

 

 
★昭和43年(1968)8月、MFJ第5回モトクロスGP札幌手で開催されて、
 当時はまだ東北6県だけの担当だったが仙台から車で、所員4人で札幌まで観に行ったのである。
 当時の日記を見たら、8月8日の朝7時に仙台を出て、本州の最北端、大間町に着いたのが夕方の6時、
 その日は大間に泊まって

 



 翌日フェリーボートで函館に渡り、
 往路はこんなルートで、余市から小樽経由で札幌入り
 札幌に着いたのは午後4時で札幌泊。

 
 
 
 翌日の8月10日は東北・北海道の合同代理店会議定山渓で開催されて、温泉で1泊。




 翌8月11日のモトクロス日本GP90㏄が星野一義125㏄が山本隆の優勝とカワサキが二つを取ったが、
 250ccヤマハの鈴木忠雄の優勝に終わったのである。

第1回相馬が原は見ていないのだが、
 第2回の名古屋からは、第3回が四国、第4回福島、この第5回札
 直接レースに関わっていたこともあって全部現場で観ることが出来て、いい想い出になっている。
 第4回の福島での開催は、自衛隊の演習場を借りたのだが、
 それはMFJに頼まれて、元陸軍士官学校卒の福島カワサキの社長の尽力で実現したのである。
 これは勿論、仙台の隣だから現地に行ったのは当然である。

 山本隆・歳森康師・岡部能夫・梅津次郎・星野一義の時代で、
 カワサキの全盛期と言ってもいい時代であった。

 


 札幌からの帰りは、支笏湖周り洞爺湖温泉の大混浴風呂にも入ったりしながらの観光旅行で、大間には夜中の1時に着いたのだが、
 それから仙台まで夜中の道を走って仙台には朝戻ってきたのである。

 いまになって思うと大変な行程だったが、
 やはり若かったのだなと思ったりする。
 いい想い出として残っている。

 


コメント
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