雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

今年を振り返って

2011-12-31 05:27:46 | 発想$感想

★ 大晦日である。

12月はスタートの年にしよう と決心して望んだ12月、間違いなくいいスタートが切れた。

1月から、全力疾走出来る態勢になっていると言っていい。

然し、大晦日である。1年を振り返ってみることもまたいいのかなと思うのである。

 

★今年は東日本大震災を抜いては語れない。3月11日は地震が起こったあの時間から、家にいてずっとテレビを見ていた。

ずっと昔だが仙台に4年いて、東北の殆どを知っていたから、その土地が見るも無残に押し流されるさまは、特別の想いで見ていた。特に住んでいた仙台のまちは、ずっと昔から人が住んでいた土地は殆ど大丈夫で、津波にやられたところは、殆どが昭和40年以降新しく開発されたところばかりであった。

原発問題もそうだが、自然の猛威に対する備えというか、まさに想定外だったのだろうと思う。何度も津波に襲われた三陸でもその対策が機能しなかったし、仙台地区は津波など人々のアタマの中になかったに違いない。

● 直接関係があったことは、3月末、宮城県知事の要請を受けて、出発したバイク救援隊に関しては、その前段階からNPO The Good  Times で、初期の広報活動を担当した。3月4日、『カワサキの想い出、そして未来』に来てくれた、全国オートバイ協働組合連合会の吉田純一会長からの要請があったからである。

● そして、いま、BERT というバイクによる災害救援の全国組織の設立にも、NPO も吉田純一さんも関与しているのである。

●『カワサキの想い出、そして未来』でのオークションの一部は、支援金としてボランタリー活動プラザみきを通じて寄付をした。

● テレビ番組『旅サラダ』を当初青森でやろうとしていた 岩城 滉一から、ロケ地がダメになったので、急遽大分のSPA直入はダメですかと頼まれて、ロケ地を直入に変更したりして、旧交が暖まった。

● これが秋の袖ケ浦の『チームイワキ』の出場になり、総合優勝して、チームマネージャーの高木さんと知り合い、彼の仲介で前述のBERTを手伝うことになったりした。

直接は何も出来なかったが、間接的にはいろいろなことが、繋がるものである。

 

 

★NPOも2年目を迎えて、その目標を『新しい公共』としての活動展開であった。

● 3月に開催した『カワサキの想い出、そして未来』の大成功が弾みをつけたことは間違いない。

● 夏には、念願の海外進出が実現して、アメリカと日本が繋がった。 DANTHREE のホームページである。

● 『粟生線の未来を考える市民の会』もその中枢メンバーは、NPOの会員さんである。

● 関東の団体会員With Me が主催したマル耐には、Good Times Racing チームを造って参戦したし、『チームイワキ』は総合優勝を果たした。

● ごく最近は、BERTというバイクによる災害救援チームの全国組織化を支援して、その関係で『笑って遊ぼうミキランド』というFacebookページを立ち上げたばかりである。

● 特筆すべきは、『孫文を語る会』(理事長田崎雅元元川重社長)は、昨日そのホームページもまだ未完成だが、この程度にまでは出来あがった。

これは、まさに『新しい公共』として、特筆されるものになるだろう

 

 ★これらの活動のベースは、全てネットシステムが支えてくれている。

●昨年からスタートした『ツイッター』は、昨年10万人のフォロワーを持つ規模となったが、今年は更に増えて、いま20万人を少し超えたところにいる。これが、NPO The Good Times の基本的な情報発信力として、支えてくれているのである。

● 今年新たに、ネットシステムとして加わったのが、Facebookである。従来の日本の最大のSNS mixi を完全に抜いて、先進企業ハみなこぞってFacebook ページを持っているし、佐賀県武雄市はそのホームページを止めてFacebookへの完全移行に踏み切ったのである。

その威力は『凄まじい』というのが当たっている。

昨日の私のブログは、樋渡さんがタグ付けされて、一挙に全国でこんな話題になっている

私個人も、NPO The Good Times も、私の周りの人たちは、みんなネット人間で、毎日自然にお会いしている。実名だからどんどん繋がるのである。私のトモダチも全国に250人、KMJに人たちともライダー仲間も、勿論一般の方たちともどんどん繋がっていくのである。

 

★個人的なことで言うなら、

今年は白内障の手術から始まった。

目の前が、考えられないほど明るくなって、ゴルフのボールもよく見えるようになったのに、夏ごろから2度、足の筋肉を痛めて、最近まで歩くことも辛かったのである。柔軟性などは、今でも20代の若さを保っていると威張ってみても、痛めた筋肉の治りが遅いのはやはり歳かなと思う。

 

今年は78歳、来年は最後の70代の1年である。

母も102歳、家内は74歳、家族の平均年齢は84.6歳である。

この1年、まあ元気に生きられたのは幸いであった。

いい1年だったと思う。

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