雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

メイハツ&メグロとの想い出と 小野田滋郎さん

2024-04-23 06:24:23 | カワサキ単車の昔話

★ 1964年に目黒製作所を吸収合併とあるが明発工業とはそれよりずっと以前から提携し、その販売網をそのまま頂いてカワサキ自動車販売として、国内販売を行っていたのである。
 
  


 当時の川崎航空機の明石工場は戦前からエンジン工場であったことから、戦後も米軍のジェットエンジンのオーバーホールや、農業用の小型発動機エンジン生産などを行う傍ら、明発工業に二輪のエンジンを提供したことが本格的な二輪事業へのスタートとなるのである。

★ただ、エンジンについての専門家はいたのだが、民需・末端市場販売網を敷いて最終ユーザーと繋がるような『二輪販売』については、全く未知の世界で何のノウハウも持っていなかったのである。

そんなことから社長・専務は川崎航空機からだが、それ以下のメンバーはすべてメイハツ・メグロからの人達の『カワサキ自動車販売』販売関係は丸投げしてのスタートだったのである。
 
私自身は1961年に初めて出来た単車営業課の課員としてカワサキ自販への出荷販売を担当したので、当時神田岩本町にあったカワサキ自販の本社に出張することも多く、そこで、メグロや明発の人達と接する機会があったのである。
このカワサキ自販には高野専務が独り川崎航空機から出向で、あとはメイハツ・メグロの人達だったのである。
そこで高野専務を支えていたのが、総務課長兼広告宣伝課長の小野田滋郎さんだったのである。
 
小野田滋郎さんはあのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さんで、
陸軍士官学校卒の英才で、私が小野田さんから学んだことは本当に多かったのである。


  

 

★ 小野田滋郎さん
カワサキのレースの創生期にヤマハから三橋実を引っ張り、カワサキコンバットを事実上作った人である。
この人が自分に与えた影響は大きい。
思想的にも、仕事の実務的なやり方も、それに対する態度も。
この人にはとてもかなわぬと思った数少ない人の一人である。

陸士出身、文学を愛し、酒を好み、人間味あふれる人柄、
小野田滋郎の物事に向かうときの純朴さと一徹さを見習いたい。

箸袋 寛郎と今も 還らぬ子 

小野田さんのおふくろさんが、正月に詠んだという句。
このお母さんの話も、小野田さんの話によく出てきた。
人生には、いろいろ影響を受ける時期もあり、また人もいる。
本当に、小野田さんには影響を受けた、戦略論の基本も教わった。
年賀状の文章は、逆立ちしても真似の出来ない素晴らしいもので、いつも楽しみにしていた。
いつまで経っても、そんな文学青年みたいな小野田さんが、また魅力であった。
戦後、小野田滋郎さんは自衛隊にもおられたのだが、その後、メグロからカワサキ自販に来られたのである。

この時期の一番の想い出は『小野田滋郎さん』なのである。
私にとって小野田滋郎さんは『人生の宝物』であったといっていい。

 
 
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