雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

good or excellent

2010-06-15 05:12:20 | みっきぃふるさとふれあい公園
★昨日は、午前中から午後3時過ぎまで、
三木市の議会の本会議の傍聴に行っていた。

もう何度か議会なるものの傍聴に行ったが、昨日は結構面白かった。

討議された議題が、三木市の市会議員の定数削減という、1月の市長選挙の時から、争点になっていたものだったのと、
質問に立つ議員さんが、顔なじみで知っている人だったので、
どんなことになるのか、関心があったからである。

★どうも、政治が好きになれないのは、
こんな文字通り議論の場なのに、どう考えても普通の会話とは程遠い『タテマエ論』で終わってしまうのである。

議会運営のルールそのものが、旧態依然とした旧い体質なのに、
そこで議論されている内容は、『意識改革』とか『市民の声』だとか耳障りのいい言葉の羅列で、とても本音で語られているとは思えない。

ただ、正直言って、今の三木市の市会議員さんでは、行政側に対応できないのである。
議論として聞くと、やはり行政側の圧倒的勝利である。


★ずっと『good or excellent』と言うことを考えていた。

行政側、特に市長さんは『excellent』絵に描いたような人である。
答弁術が上手いというか、間違いなく能吏である。
何をどういっても、何となくごまかしてしまう。
仮に具体的な、質問で攻めてみても、質問は3回限りこれでお終いなのである。

一方、市会議員さんのほうも、もう少し何とかならないのかとは思う。
経験豊かな人もいるのに、質問に立つと普通ではない。
悪く言えば『あがってしまって』いるのでは、と思うほどである。

★休憩時間に、議員さんの部屋を訪ねてみた。
『先生』に相応しい立派な部屋である。
国会議員の先生の部屋と遜色ない広さである。

そこで雑談していると、まことに『いい人』『good』なのである。
『いい人』だから、『いい町』になるとは思えないが、
何となく思ったのは、
『行政側がいい人たち、good』で、『議員さんがexcellent』であれば、もっと上手く行くのに、と思った。

★確かに、市長は選挙で選ばれる。政治はある意味権力闘争である。
1票を持っている人ばかりを大事にするのは解るのだが、
いつも、いつも『選挙運動』をやっているような判断から生まれる、
『excellentな戦略』は、どうも面白くないな、とおもった。

『いい人』いっぱい。 『いい環境、いい自然』
『旧い伝統』『新しい文化』もある『三木はいいまち』なのだから、

『ホンネで語れる』いい人のほうが三木に似合うのではと思ったりする。
とにかく『Good』という言葉に魅せられて、生きてきたようなものである。

担当した会社は、excellent company ではなくて、
間違いなく、good company を目指したと、言い切れる。

昨日の市議会を見た、感想の1つでした。


★考えてみると、戦後日本は『excellent』を目指しすぎたのではないだろうか。

昔は日本は、『いい国』だったのに、
今は、『excellent??』 『いい国??』


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自分史を書くことにした

2010-06-14 05:09:52 | 自分史
★先日、自分史を書こうかなとふと思った。

そのきっかけは、日本年金機構から送られてきた、『厚生年金加入記録』である。
それ以前のことを、中心に書きたいと思った。
20歳から日記は書いている。さらにこの数年はブログもある。
だけど、子供の頃、中学、高校時代の、その記録がないのである。

書こうかなとブログに書いた時点で、『書く』ということは決まっていたのだと思う。
私の生き方の中で、迷ったときに引き返したことは、多分一度もない。
『迷ったとき』はGOなのである。

まだ、現役の頃、新入社員全員に行う『性格調査』みたいなアンケートを受けたことがある。自分で言うのもなんだが、結構いい線いっていた。
ただ、一番ダメだと思ったのは『全然、反省がない』と最低点になっていた。


★結果がよくても、悪くても、確かに『反省など全然しないのである』
結果が悪かったことがなかったわけではない。
そんなことは『運が悪かった』のだと直ぐ忘れてしまうものから、
私の過去には成功例しか残っていないのだと思う。
だから、私の77年間の人生、もう一度やれと言われたら、本当にそのままでいいと思ってしまうのだと思う。

手相などは、ちゃんと信じたりはしないのだが、いいとこ取りで信じるのである。
運命線という真ん中のタテの線、中指に向かってまっすぐに明確に伸びている。
『私は運がいい』
『今からもどんどんよくなる。まだまだ、夢は実現する』
と今でも信じて疑わないのである。


★これから書こうとする、『自分史』

その骨子は、人はみな何となく『運』を持って生きている。
努力も必要だが、神様が与えて頂いた『運』以上には生きられないと思っている。

自分では『めちゃ幸運に恵まれた』と思っている私の運命も、
見方によっては、『運が悪かった』と思う方もおられるかも知れぬが、
『幸運であった』と神様に感謝、両親にも、家族にも、周囲の人たちにも感謝である。


もう1つ、何があるかと言えば、かっこよく言えば『差別化』だろう。

意識的にそうしたのか、結果がそうであったのか。
その辺は定かではないのだが、結果としては普通一般の方とは、ちょっと違った形の発想や生き方だったと思う。
それは、みんな少年時代に身についたものだと思っている。


★まあ、言ってみれば『いい加減』なのである。
そんなにつめて考えても、なるようにしかならないと思う反面、
『つまらぬことに』一生懸命になったりもする。

自分のやりたいことを、自分のやりかたで、自分の思う通りにしかやらなかった。
然し、よく考えてみると、その道は自分が決めた道ではなくて、
『周囲の人たちが決めてくれた大きな道』を歩いてきたのかも知れない。
生まれてこの方、『自分は何になりたい』と思ったことはあまりない。
『一度もない』と言っていいほど、記憶にないのである。

中学も、高校も、大学も、会社も、会社の中での職種も、勤務地も、
一度だって自分で希望を言ったり、選んだりしたことはない。
『周囲が与えてくれ道』を好きなように、自分流に歩いて77年生きてきただけなのである。


★どんな形の、『自分史』を書こうか?

先日来、ちょっとだけは考えた。
その結果を、順不同に羅列してみると、

●パソコンのブログに残すのだから、後で修正、加筆自由にする。
●あまり、難しく考えない。得意の『雑談、雑感』の延長である。
●特に、会社に入るまでの戦前、戦後の時代を特に伝えたい。
●誰に伝えたいのか? 家内、息子、娘。 これはそんなに聞きたがっていない?
●娘婿と息子の嫁は、ひょとすると興味があるかも知れない。孫たちは??
●他人の方は、お世辞でも興味、関心があるのかも?
●自分で本にするなど、120%それはない。
●長さ、頻度、これが一番問題である。それ以前に何歳まで生きられるのか?
●ホントは、80になったら『自分史』を書こうと思っていた。
●なぜなら『自慢話の類』のほうが多くて、若いとちょっと書き難くかったのである。
●それでも77歳、喜寿の誕生日も過ぎたから『いいかな』と思って決心した。
●何をやったかとというよりも『何をどう考えたのか』雑感日記の一環なのだから。
●『自分史』と言うカテゴリーで纏めたい。


★そんなことで、週に1,2度ぐらいをメドにスタートしてみたい。


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KMJOB会慶睦会とーーー

2010-06-13 04:33:14 | カワサキワールド
★KMJのOB会を慶睦会という。
東京や明石、九州などで毎年、今の時期開催される。
東京のほうは昨日だったのだろうか?




新橋の東京會舘で賑やかに行われたことだろう。

写真に写っているお三方は特に私も現役の頃、何かと一緒にやった人たちである。

★この写真、モトボックスセキの『お店のできごと』と言うブログから、お借りしてきた。

NPO The Good Times のホームページに『会員さんのブログ』と言うサイトがあって、そこにブログがアップされると順次現れる仕組みになっている。

昨日の夕方、突然現れたので、解ったのだが。
昨年は明石も東京も出席したのだが、今年はご案内を頂いたのだが、二つとも欠席してしまったのである。

多分明石の方は来週の土曜日だったと思うのだが『所要で』と言う理由で欠席通知を出したのである。

★その時点で、はっきり決まっていたわけではないが、
『ひょうっとしたら、その頃になるのでは』と思ったのである。

『潮流発電の現物の到着』である。
そのカンは当たって、来週が通関から淡路への搬送、そして組み立てなど一番忙しい時期に当たった。
このプロジェクトが、NPO The Good Times のメンバーが中心に手伝っているので、
韓国での開発を終わって、いよいよ日本での幕開けをメンバーが集まってやることになっている。
それがちょうど来週の土曜日に淡路で11時からである。

確か同じ時間に明石での慶睦会は、スタートするはずである。
懐かしい昔の仲間の皆さんとの会合なのだが、そんなことで欠席なのである。


★NPOには、いろんなところが参加していて、異種、異質なのだがバイクやレース関係もやはり多い。

おがのの森もいるし、カワサキワールドもいる。星野インパルや、月木レーシングも、カワサキのお店も幾つか入っている。

極く最近は『ツイッター』もおやりになるところが多くて、
NPO The Good Times の公式ツイッターで,会員さんのつぶやきや、お店の情報を『リツイート』して流している。
ちなみに、セキさんのツイッターは、「hatutarou」である。

公式ツイッターのフォロワーの数は、多分このブログがアップされる頃は、
『20、000人を越えている』だろう。

活発に動き、いい情報はどんどん流そうと思っている。
座っていても『情報は飛び込んでくる』し、上手に繋げば万の人たちに個人でもタイムリーな情報発信ができる、いい時代になったものである。

★今日は、三木アネックスパークで、スポーチインがユーザーを集めて、オフロードの体験会。スポーツインもアネックスパークもNPOの団体会員さんである。

60おじさんが、ツイッターで昨日
『本日かなり蒸し暑い!あす三木アネックスMXパークで行われるオフバイクスクールにチョイト顔を出す予定だが、何とか雨は夕方まで持ちこたえてほしい』とつぶやいている。  私もちょっと覘いてみようとおもっている。
と書いたのですが、今朝の『会員さんのブログのスポーツインのブログ』雨の予報で、『27日に延期』とある。

ホントに情報は、ちゃんと入ってくるものである。

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ツイッターで生活が変わった

2010-06-12 04:50:21 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるのか

武雄の樋渡さんのブログの標題である。
日本が変わったかどうかは知らぬが、『私の生活』や『周囲の環境』は、間違いなく変わった。

今、1日6時間はツイッターと向き合っている。
いっぱいやってたブログも7つほどは止めた状態で、今残こしているのは4つだけである。
1日は24時間しかないから、時間配分して優先順位をつけると、そんなことになってしまった。

★樋渡さんは、そのブログの中で、こんな風に言われている。

『かなり面白かったし、ツイッターに関心のある人たちには、絶対のお薦め。
前に書いたような気がしますが、絶対にはまらないと思ったツイッター。今ではすっかり中毒気味(苦笑)。
どっちにしても、ツイッターは実際に使わないとよく分からないのが実感。』

その通りです。使わない人には、その凄さが解らないと思います。
とにかく、お薦めの本は注文した。



★なぜ、そんなに一生懸命?
その答えは、『NPO The Good Times』の『公式ツイッター』として、その機能充実、情報発信力の強化を目指しているからである。

新聞でも、雑誌でも、広報誌でも、みんな発行部数は、1つの評価の目安になるのだが、
現実には、実質5万部と言うのは、結構な数で10万部以上になると、一流雑誌でもなかなかそんな数は持っていない。

ところが、『ツイッター』では、それが誰でも努力さえすれば『可能』である。
NPO The Good Timesは、『情報発信』はその中枢機能なのである。

そこが仮に、5万人のフォロワーを持てば、『リツイート』することにより、その会員さんは5万人のフォロワーを持つのと同等の機能を持つことになる。
端的に言えば、たとえ個人でも『いい情報』は5万人に発信することが可能なのである。

5月にスタートして、今現在19000人を越えている
今週末2万人、月末3万人に多分なるだろう。
5万人は秋までには、間違いなく達成したいと思って頑張っている。


★さらに、いい情報は、いろんな方が『リツイート』してくれるから、口コミのように、無限の広がりを見せるのである。

●これが潮流発電の『まぐろタービン』 http://www.thegoodtimes.jp/2010/06/585/ 韓国から、来週神戸港に陸揚げされ、淡路岩屋で発電実験が始まります。思ったより大きいと思いませんか? ツイッターの皆さんに一足早く公開です。 #chouryu
12人がリツイート

川崎重工業の社内報の表紙に載った『Z1』遠くアルプスの麓から、カバン屋さん経由で故郷の川重明石工場に里帰りしました。http://www.thegoodtimes.jp/2010/06/590/ そんな秘話、多分川重の現役も知りません。あなただけにそっと教えます。 #npotgt
6人がリツイート

これらは私のツイートを沢山の人が『リツイート』している例だし

●テレビのコメンテーターに一言、このプロペラは魚が集まるように作っているのです。 良漁場ができるのです。 なぜ、物事を否定的に考えるのでしょう、否定からは何も生まれません、破壊が待っているだけです。 物事は肯定することによって創造がうまれ、そして夢と希望につながるのです。
あなたと8人がリツイート

これは会員さんのノヴァエネルギーのつぶやきを8人の方が『リツイート』しているのだが、『NPOの公式ツイッター』がリツイートすることで、情報発信先は8人の人たちの合計よりは数の上ではずっと多い、万の人たちに繋がっていくのである。


★ツイッター戦略としては、こうした数の問題もあるが、
基本的には、『つぶやきの質=情報の質』の問題が最重要課題だと思っている。

この積み重ねが『トータルイメージ』を創っていく。
このような高度の広報=PR=パブリックリレーション=社会での人の、仲間のいい関係造りの活動を戦略的に目指そうと思っている。



20年前、
『Kawaqsaki, Let the goodtimes roll 』を
『人とクルマと遊びのいい関係』とうたったが、

バイクの世界だけではなく、もっと広い世界での『人々のいい関係造り』を目指して、
元カワサキのOBたちと三木や関東の仲間で頑張っている。

『ツイッター』は、その中心機能を果たすことになるだろう。


★今朝起きて、『武雄市長物語』を見たらこんな記事、『【お知らせ】たけおブログ&Twitter』
まだ、ゆっくりと見ていないが、武雄市は、どんどん新しいことにチャレンジですね。
出来れば、仲間に入れて貰おうかと思っている。





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今日からワールドカップ

2010-06-11 04:39:46 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
★今日からワールドカップである。
朝刊にはワールドカップのテレビの前番組が一覧表になっていた。

いよいよ開幕である。

つい先日、アメリカの孫から、電話があった。
『ワールドカップのテレビ、全部録画しといてくれる』いとも簡単に言うのである。
DVDにとってアメリカに持って帰りたいようである。

私はどうもあの円盤のデイスクが苦手である。
パソコンのヨコにもそれを使うシステムはあるが、ほとんど使ったことがない。
大体、録画というのは、テープのそれも早い時期以来無縁になっている。

★テレビは一応新しくなって、録画できる器具も一応は揃っている。
ところが、録画など一切やったことはないのである。

孫に頼まれて、ガイドブックを見てみたが、とてもややこしくて、読んでもわかりそうにない。
ガイドブックの裏に、使い方や修理のご相談など、『0120-001-251』と載っている。

『これだ』と思った。
早速掛けてみた。専門のお嬢さんが対応してくれる。
めっちゃ丁寧で親切である。
言うとおりにやれば何とかなるのだが、ただ言われた通りにやっているだけで、覚えた中には入らない。

番組表が出て、録画するものを『決定』と押せばいいということは、わかったが、最初に電話した時期には、まだ、ワールドカップの番組表が現れないのである。

それが出る時期に、もう一度電話をください。お名前と電話番号を言えば、何を教えたのか記録に残ると言うのである。

★記録に残して頂いて一昨日2度目の電話をした。
お嬢さんが出てくるとばかり思っていたら、電話の応対に出たのは男性である。
当然だが、ちょっとトーンが違う、こちらのほうが舞い上がってしまって『リモコン』という単語が出ない。『リモコン』をほかの言葉で聞いたり,説明したりする人も、珍しいのだろう。先方も何か面食らった感じだったが何とか解った気分になった。

昨日、新聞に番組表が出たので、これを録画しようとしたが出来ないのである。
3度目の電話をした。今度はお嬢さんで、3度目だから何とかなった。

いろいろやって、今4つの番組が録画されている。
3度目になると、流石にこちらも慣れてその分厚かましくなって、
『若し解らなかったら、また電話します。』『そうなさってください。』
相手は、それが仕事、慣れたものである。

録画の仕方は自信はないが、
『0120-001-251』に電話をする術は、はっきり覚えた。


★それにしても、この沢山ある対戦を全部録画で持って帰ろうと思っているのだろうか?
孫がやってくるのは7月であり。
それまでに、テレビの録画は上手くなっているかも解らない。

こんなこと、当然過ぎてブログに書いているのが、おかしいのだろう。


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自分史を書こうかな?

2010-06-10 05:16:12 | 自分史
★昨日は朝から忙しかった。NPO法人の役員登記のことで明石の法務局を訪ねて、登記手続きをやってきた。長年サラリーマンも経験して、会社を作ったり潰したり、役員を代えたりは幾度となくやった経験はあるが、実際に法務局などに出向いたこともなければ、定款など見たこともないのである。

退職して10年も経ってまさか、法務局などに自分で行くなどとは想像もしていなかった。
ただ、初めての経験でも自分で行くことには、一切億劫になることはない。
むしろ、初めての経験を楽しむ心情である。

そんな人があまりしない経験は山ほどやってきた、オモシロい人生であったと思う。


★家に戻ったら、『厚生年金加入記録のお知らせ』です。
と日本年金機構から書類が届いていた。

これまでの『年金加入履歴』である。
入社以来、退職までの42年間のうち、最後の1年の記録がなぜかないのだが、各年度の標準報酬が記録されている。
それをチェックして戻してくれと言う通知である。

でも、正直そんな1年の抜けなどは、あまり気にはならないのである。
年金額が少なくなっているかも知れぬが、そんなの大した額ではない『大勢に影響なし』と直ぐ思ってしまうのである。
電話で聞くことぐらいは多分するだろうが、面倒だから手続きはしないだろうと思う。


★私が一番、興味があったのは、トータル491ヶ月となっている私のサラリーマン生活の厚生年金加入の勤務先ごとの月数である。

私は昭和32年4月に当時の川崎航空機に入社し、その後川崎3グループの合併があって川崎重工業籍になったのだが、勤めた期間は所謂子会社の販売第一線のほうが長くく、販社には3度の出向をしているのだが、川重在任期間は、むしろ販社で身に着けた経営ノウハウが必要な時期に、呼び戻されたような感じを自分では持っていた。

多分、販社の期間のほうが長かったのではと自分で思っていたのだが、そんな年数ではなく月数で解るようになっているのである。これは貴重な資料である。

★20歳以降今までずっと日記をつけているので、どんな生き方をしたのか、どんなことを考えていたのか、それはわかる。

会社での経歴も普通でないが、77年歩いた人生そのものも、普通ではない経験をいっぱいしている。
特に会社に入るまでの子供の頃の、人生はオモシロい。

でも、あまり話したことはない。
家内も知らぬし、息子も知らないし、あまり聞きたいとも思っていないようでもある。
昨年だったか、孫に突然家紋のことを聞かれて解らなかった。
妹に聞いたら知っていたのでそれを教えたが、今はまた、全く忘れてしまっている。

あまり、そんなことには無頓着なのである。
家のことなど、孫たちに伝えておくべきなのかどうか。

★年金の記録を送って貰って、
そのこととは別に、『自分史』と言うカテゴリーを作って、ブログに残しておこうかなとも思う。そんなきっかけになった。

私の高校時代の球友たちも5人も亡くなって半分になってしまった。
小学校時代=戦時中である。
中学校時代=所謂終戦後である、
高校時代=野球部生活である。
今の人たちにとっては、珍しくオモシロい話がいっぱいある。

私の人生観なり人格は、高校までに間違いなく作られている。
今現在の生き方も判断力も、ほとんどすべて高校時代までに作られた。
それ以降、人間としては、そんなに成長はしていないと自分では思っている。

★ぐずぐずしていると死んでしまうかも解らない。
私の母はこの6月末で101歳になる。お蔭様で元気だが、母は記録を残したいと思っているだろう。
だが、父は52歳、伯父は58歳で亡くなった。

80歳になったら『自分史』書こうと秘かに決めていたのだが、
今日の厚生年金の書類を見て、昼からずっと思案しているのである。
近いうちに、『自分史』を書くようになるだろう。

少し纏めてみて、小学校時代から、時系列に書くか。
あるいは、何か項目別に書くか。 少し考えてみたい。


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潮流,海流発電 --と新内閣

2010-06-09 04:38:56 | みっきぃふるさとふれあい公園
★昨年の6月8日に、こんなブログをアップしている。

潮流、海流発電のノヴァエネルギーの鈴木清美さんと、お会いしてちょうど1年の月日が流れた。1年前のブログの最後はこんな風にまとめている。

ノヴァエネルギー』にとって、昨日の日曜日は、グッドタイムであったに、違いない。こんな活動が、ほんとにいい方向で実現していけばと思っている。
『NPO The Good Times , Let the goodtimes roll. ! 』

NPO The Good Times に出会う人たちがみんなグッドタイムになるような、そんな活動をしよう!!



★この1年間、一生懸命応援してきた。
世の中に存在しないものだから、説明から入らなければならないのは当然である。
ヨコから見ていても、その説明は大変である。
その広報対策を最も重要な私たちの課題としてこの1年取り組んだのである。 

そんなことでこのブログにも『潮流、海流発電』のカテゴリーを作って数多く流し、記録に残すように務めたし、この3月からはノヴァエネルギーの公式ツイッターを立ち上げて、『情報発信の規模の拡大』を図ってきた。
5月からは、時間のある私が引き受け、今現在、フォロワー数は18000人規模になり、#npotgtも #chouryu というハッシュタグも使えるようになった。
カタログも作る金がないので、仲間が出資をしてその金でつくり、ホームページもそれにあわせて作り上げた。
『潮流、海流発電』と検索してみればその効果は歴然である。
広報戦略としては、企図した通りの進展なのだが。

★問題は、こんなベンチャービジネスにとって、一番の課題は『資金問題』なのである。
若し資金の問題がなかったら、このプロジェクトはすでに大きく進んでいたであろう。
この1年、見ていて技術的な問題の対策など、ほとんどなかったのである。
今年になって3月末に環境省の地球温暖化対策事業の認可を受け3年間250百万円の支援が決まったが、先にお金をくれるわけではないのである。

銀行さんも、国が保証したからと言って簡単に貸してはくれないのである。
韓国の下請けに支払う資金もやっと工面したが、今週神戸港につく現物の通関に要する費用がない。

★そんなぎりぎりの状況の中で、神様は一生懸命努力する人を見放さない。
昨日、やっとその見通しがついたのである。

鈴木さんの昨日のツイッターでのつぶやき。
『お金は力、弱小中小企業にとって、資金調達ほど難しいものはない、ものを作るよりもこちらの方がはるかに難しい、明石海峡の実証実験からすでに2年4ヶ月が過ぎた。 やっとめどが付きました。 お国のために使わせていただきます。 
あなたと3人がリツイート 』

ノヴァエネルギーをずっと応援している仲間のツイッター。
『議員の皆様 国からの研究補助金が決まっても給付は1年先。必要な資金は立替。大企業はいいが今の資金がないベンチャーに金融機関は融資しない。借りれても億単位では金利だけでも大金。こんな感じでは日本の技術は育たない。
あなたと7人がリツイート 』


★新しい菅内閣がスタートした。
本当にベンチャーが育っていくような、施策をお願いしたいと思う。
戦後、焼け野原からの国の再建は、大企業そのものがベンチャーのような気概を持った経営者が多かったのではなかったか。

『本当にやる気のある人』を『本当に支援になるような方策』で支援できるそんな新しい『仕組みの構築』を民主党に期待したいものである。

業界優先、タテ型利権構造、そんな50年続いた機能しなくなっている構造改革こそ今望まれるのである。
菅さん、『想いが前面に出ている』『期待できる』と思う。



★★★潮流・海流発電★★ テレビ放送(関西) 先週総理辞任劇で延期になった特集が今日、午後5時から読売テレビで放送されることになりました。今回は技術的な事、韓国の現地取材、淡路島の実験海域での準備までです。ぜひご覧ください。

あなたと6人がリツイート


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「かわさき」の表紙を飾った『あるZ1の物語』

2010-06-08 04:49:59 | カワサキワールド


★つい先日、川崎重工業から社内報「かわさき」が家に送られてきた。
上の写真は、その表紙である。その真ん中に写っている『あるZ1の物語』をご紹介しよう。

この車をアルプスの麓から日本に持ち帰り、故郷の明石に中継したご仁は、三木市にお住まいの登山道夫さんである。
この登山さん、私のブログで何度か『カバン屋さん』と言うハンドルネームで登場しているあのカバン屋さんである。

実は、『NPO法人 The Good Times』の事務局長さんでもある。

★今なおZにかける情熱は、本職の 『seaz companyのホームページ』を見ても直ぐわかる。
その中にある『あるZ1の物語』がこの表紙のZ1のお話なのである。

詳しく知りたい方は、リンクの記事をお読みください
少し、はしょってその大筋をご紹介してみよう。




★ Prologue

ある日、私の元へヨーロッパの友人から一通のエアメールが届いた。それは彼がイタリアアルプスの麓で見つけた一台のZ1の情報であった。
私はすぐにそのZ1を日本に送ってくれるよう頼んだ。
そして2ヶ月後、Z1は再び海を渡り、25年ぶりに祖国に帰ってきたのである。

★ Restoration

アルプスの麓から戻ってきたZ1は、マフラーなど多少の欠品はあったものの、友人の言葉通り完全オリジナルの状態であった。
 世の中にはオーナーの好みを反映し手を加えられた、いわゆる”非常によいコンディション”のZ1はそれこそ数千台のレベルであるだろう。
しかし、生産当時から全く手を加えられていないオリジナルのZ1はそうそうお目にかかれたものではない。
 私の頭の中にはいつの間にか”生産当時そのままの新車”を復元してやろう、という考えが離れなくなってしまったのである
その日から、このZ1の製造番号を基に、部品と情報を集める作業が始まった。


★ Born to be run....
エンジンはそのままでも快調に回りそうであったが、やはり完全な”新車”を目指してフルオーヴァーホールする事にした。
クランクシャフトも完全分解し、一般品と比べ格段に精度の高い航空機規格のメインベアリングが組み込まれた。ピストン、リング等の摺動部品は全てオリジナル新品部品で新調された。
ペイントは?
ここでも、タンク、サイドカバー等の外装部品は再びそれが生まれ出た塗装ブースに戻ることになったのであった。熟練の塗装技術者の手で再び生まれ変わる事になったのである。
そして4ヶ月の期間の後、ラインアウトしたままの完全な姿で甦った。


★ The Resume
初期生産タイプの証、バキュームインテイクがシリンダーヘッド側に取り付けられている。このタイプは生産初期2千数百台のみに見られる特徴である。
ヨーロッパ仕様の特徴である、フロントフォークに取り付けられたリフレクターキャップ。同じく特徴的なプラグキャップ及び非可倒式ステップが見て取れる。
メーターは240km/hフルスケール。
マスターシリンダーやロングフェンダー、テールライトレンズ及びリフレクターを持たないリアショックアブソーバーユニット等がこの車両の特徴である。 


★ Seduction

Kawasakiに魅入られ、のめり込んでいってからの夢であった”新車のZ1”を再び手にすることが出来た喜びは言い様のない物であった。
そしてそれからしばらく経ち、ある日、一人の男性が私の店を訪れたのである。
 彼の話は、私が私の手元にこのZ1をとどめておきたいと思う気持ちを断ち切ることが出来る程に誘惑に満ちていた。
そして数日後、さらに数人の男達を伴って再び彼はここを訪れた。
Z1の産みの親たち、彼らの一人一人の名前も、Z1誕生に果たした役割も直ぐに思い出すことが出来た。
長年離れていたわが子に出会ったように、このZ1を隅々まで見ている姿に私は胸を打たれた。

そして、このZ1はその生家に帰ることとなったのである。


★ Seduction

そして、とうとうその日がやって来た。
朝から小雪混じりの小雨が降る寒い冬の日であった。
明石までの短い道のりが過ぎ、正門前に到着した。ちょうど先ほどまでの雨も上がり
運び込んだのは資料室であった。そこには歴代のKawasakiの名車達が一同に展示されていた。
ただ、Z1を除いて.......
ここに、このZ1は、彼の誕生の地でこれから先の安住の地を見つけたのである。
栄光の兄弟達と共に.......




★ The Long Way To Home.....これで”あるZ1の物語”はおしまいです。

これから先、皆さんがいつかKawasakiを訪ねられる機会があればこのZ1を目にすることが出来るでしょう。
その機会が皆さんにあることを願っています。
 その時は”ああ、これがあのZ1だ”と記憶の片隅にでも思い出していただければ幸いです。そして隅から隅までじっくりと見てやってください。よろしければ、感想もお聞かせください。

もちろん、あなたのKawasakiともお会いできる日を楽しみにしています。何より、それが私がこの店を始めた理由そのものなのですから。



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サッカー今昔、 みんな親ばか

2010-06-07 04:50:21 | スポーツ
★親は子供に無限の可能性を託すものである。

こんな親の子供に対する想いは、みんな大なり小なり持っている。
ヨコから眺めていると、こっけいな部分もあるが、当事者は一生懸命なのである。

特にスポーツの分野では、顕著である。
小学校の徒競走でも一生懸命である。
スポーツの世界は、どんなスポーツでも勝ち負けがはっきりするし、
1等賞だとか優勝など、表彰が伴うので余計に一生懸命になるのだろう。

1等賞だ、優勝だと言ってみても、それはどんどん小さく分ければ、勝者はどんどん増えることになる。小学校の徒競走の1等賞はその際たるものだろう。

★今、一緒にいろんなことをやっている、『さるとる』さんは確か36歳で息子さんは、三木のサッカーチーム『三平』の一員なのである。
このサッカーチーム三平が、結構強くて、毎週週末はその試合がある。

強くなるとあちこち遠征などもあったりして、彼のブログは週末は『サッカー記事』になることが多い。
昨日のブログも、サッカーの話題であった

なかなか、強いのは、昨日勝った相手は、『ヴッセル神戸のジュニアチーム』だったり、
昼からは『トレセン』の選考会などと言っていることでも明白である。
(『トレセン』という言葉の意味が解れば、かなりのサッカー通だし、親ばかかも知れない。)

『親ばか』になるのもよく解る。週末は一家で『追っかけ』なのである。


★アメリカにいる孫たち3人もサッカーをしている。
2年間、見ていないのでどれくらい成長しているのか、よく解らないのだが、
娘のブログも、アメリカの生活と、孫たちのサッカーの話題で占められている。
先日は、一番下の孫のチームが優勝したと言う話だったと思ったら、
今回は、次男がアデイダスの
『ワールドカップの誰か有名な選手が履く』のと同じ『サッカーシューズ』を買ったという話である。
今朝見たら、アメリカ人との体格の差、これもサッカー話題である。



同じ靴は、高いことは間違いないのだが、金がないと言いながら息子のためには、無理をする『親ばか』ぶりである。

★と、思ったら、
息子もかっては、サッカーをしていた。
息子の嫁の『ノンちゃん』が『親ばか』でもあり、これはまた珍しく『夫ばか』である。
先日もこんなメールを打ってきた。

『ところで、大ちゃんは今、元ANAのサッカーチームのメンバーと、オーバー40のマスターズリーグに出場していて、いいところまで来ていて、今日が都大会の準決勝&決勝です\(^O^)/
都大会で優勝したら、もちろん全国大会です(^.^)b
『2010日本マスターズサッカー大会東京都大会』で検索してみて下さい。
チーム名は『東京ベイFC』です。
ちなみに、仁はインターハイ都大会2回戦で敗退でした(T_T)/~
またご報告しまーす)^o^( 』

絵文字は読めないし、何と言っているのか解らぬが、この調子である。
その後、何にも言ってこないので、優勝できなかったのだろう。

★こんなことを書いている私も、間違いなく『親ばか』である。

いつまで経っても、治らないのかも知れない。
三木おもろいわ』にこんなブログをアップしたついでに。


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三木鉄道廃線跡

2010-06-06 04:36:35 | みっきぃふるさとふれあい公園
 三木鉄道が廃線になって、その後処理が続いていた。
今日、その完成披露のセレモニーが行われるようである

その廃止は、薮本さんの選挙公約の一つだったし、市民のほとんどが関係のない鉄道であっただけに、廃止は仕方がなかったのかも知れぬが、後処理を含めその内容の決定は、ちょっとびっくりするようなものであった。

いろいろと自分でも考え、薮本さんにも具体的な提言もし、廃線が決まってからは、その後処理について、いろいろ鉄道愛好者と検討したりもしたのである。
ちょっと自分でもそれなりに考えた案件だったので、自分のために以下にまとめてみる。



★三木鉄道の赤字は、年間6千万円であった。廃止しても肩代わりするバス路線の赤字が2千万円あるので、実質プラスになるのは、たかだか4千万円だったのである。

その時点で、市長メールも出し、直接市長デスクで、具体的な対応策も答申したが、ほとんど検討されることもなく、『先に、結論ありき』で廃線は決まったのである。

2006年9月17日のことである。手元にそのときの市長メールも残っている。
今読み返しても、『やる気さえあれば』十分6千万円の赤字など、簡単に消えたと思う案になっている。

★それから1年ほど経って、三木鉄道の廃線だけはすでに決まっていた。
2008年の1月ひょんなことから、『鉄道マニアたち』とのお付き合いが始まったのである。
みんな、廃線になっても、『線路だけは何としても残せ』というのである。
『三木鉄道は、90年前の姿がそのままに残る、日本でも珍しい「遺跡のような」鉄道なのだ』というのである。
本当に、架線もガードレールなどもほとんど見られない。



この頃、4日連続で三木鉄道のことをブログに書いている。
 ●2008年1月19日 三木鉄道の跡利用
 ●2008年1月20日 続)三木鉄道
 ●2008年1月21日 今日も三木鉄道
 ●2008年1月22日 神戸臨港線と三木鉄道
これくらい一生懸命だったのだが、そして跡地検討委員会なども作られたが、大したオモシロい案も出ずに今の案になったのである。

★それは、まあいいとしよう。

もともとの廃線案は年間6千万、実質4千万の赤字の対策としてスタートしたのである。
それが、跡地利用の対策費が12億円掛かると、市議会で平然と市長はいい、議員はほとんど質問も意見も言わない。
これには本当に驚いた。
行政の体質は、そんなものである。
『財政危機宣言』を発している三木市の対策がこんな具合である。
そして、どうしても残したいという市民病院の赤字は、桁が違って赤字の額は億の単位なのである。

★市の職員のkwakkyさんがこんなブログを書かれている。

1つは、非常に大人しく書かれている
そして、もう1つは,ひょこむの鉄道マニアたちに新しい駅舎跡の写真などから、
コメント募集のブログである

皆さん、どんなコメントを寄せるのだろうか?



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新しい幕開けの週末

2010-06-05 04:24:46 | 発想$感想
★『5月末までに』結論を出すといっていた鳩山さん、結果的にそんな5月末になってこの週末は管さんが94代総理大臣として、新しい民主党の幕開けとなった。

組閣は来週に持ち越されたが、夕刊には仙石官房長官、枝野幹事長の名前が載っている。
鳩山さんは結果的に8ヶ月の短命内閣に終わった。
途中普天間の問題でよたよたしたが、最後は小沢さんを道連れに潔く辞任し、民主党の危機的状況を救ったと言えるだろう。

世間での評価は悪いが、自分の気持ちが正直に出る、今までにない政治家であったように思う。
次回の衆議院選挙には出馬しないという、意思表明も立派だと思う。

一国の総理大臣までやった人が、いつまでも一般代議士で残る悪い風習はうちきって欲しい。
総理の座に居る期間に燃え尽きることが大事であり、それが当然の責務である。
腰掛のような一国の総理は、もうごめんである。


★管さんは、鳩山さんからの

●地域主権
●新しい公共
●東アジア共同体
●25%の温室効果ガスの削減

の4つの課題を目標に取り組むと明言した。

3つ目の課題は別にして、
何となく、関係のある問題である。

特に『新しい公共』は、NPO に関連があるのだろう。
むしろ、行政の悪しき慣習をぜひ治して欲しいものである。
25%の温暖効果ガスの削減は、『潮流、海流発電』に直接関係する課題である。






★その『潮流、海流発電』
ノヴァエネルギーの鈴木清美さんのツイッターの週末次のようにつぶやいている。

『ものづくりはマイスターの力が大きく左右する、きのうも姫路でその人に会ってきました。 マイスターの力とスーパー電脳、この力を合わせれば160万キロワットの海流発電所を作るのも夢ではありません。 日本にはその力がある。 あなたと2人がリツイート 』

『まぐろタービン9日に釜山を出港して11日に神戸に着きます。 14日に通関して、15日にバン出しそしていよいよ淡路島に運びこまれます。 双子のタービン楽しみです。 名前は智子と華子。   あなたと1人がリツイート』
淡路岩屋で、世界初の『潮流発電の電気』がこの6月中にも生まれるかも知れない。


昨年6月から、NPO法人The Good Times がこのプロジェクトを応援しだしてから、ちょうど1年だが、
民主党の管さんとともに、新しいスタートを本当に切れるかも知れない。


そんな、二つの『新しい幕開け』の週末となった。

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カワサキに残してほしいもの

2010-06-04 04:50:19 | 発想$感想
★一昨日は、Z1会のコンペであった。

Z1が世に出てもう40年近くになる。
そのマシン開発に当たった人たちも、Z2が世に出て、はじめて『バックオーダー』という販売の醍醐味を経験した私たち販売に当たったメンバーたちも、やはり40年近い年月を重ねている。

当時アラウンドフォーティーであった働き盛りのメンバーたちも、もう80を越えた人たちも居るのである。

Z1の開発責任者でZ1会の会長を務める大槻さんも、先日のゴルフでは、
『80歳になったので、今回からゴールドテイーで打たして貰う』と言われていた。
私がご一緒した浜脇さんは、もう直ぐ81歳になられるとか。

★そんなことだったので、パーテイーでの挨拶では、
この二輪事業を先頭に立ってリードされた高橋鉄郎さんが81才を迎えられたときに言われていた話をご披露した。

『81歳を9筋の将棋の盤にたとえて「盤寿」と言うらしい。その話を高橋宏さんに聞いたと』高橋宏さんももう80歳かも知れない。
私ですら喜寿77歳、みんなそんな年になっている。


★そのパーテイーの挨拶で、Z1のエンジン設計を担当した、稲村さんが、

先日、山口県の秋芳洞の近くであったZ Freskミーテイングでの話を披露された。
40年経った今もぴかぴかのZが600台も集まったというのである。
そのパーテーにカワサキファンならこう言えば直ぐ解る、種さんと清さんの3人で出かけたそうである。
種さんのブログに詳しく書かれている。

確かにZは、長命だが、いつかは消え去ることになるだろう。


★私が、ずっと残して欲しいと願っているのは、
1973年、Zとともにアメリカで生まれた

『Kawasaki , Let the goodtimes roll』
と言うカワサキの基本コンセプト、元来英語で考えられ、アメリカで生まれたコンセプトの訳し方は難しいのだが、

高橋鉄郎さんはいつもこのように言われていた。
『Kawasakiに出会う世界中の人たちが、みんなハッピーになるような、そんな活動を展開しよう。』と

カワサキのメーカーの人も販社も、販売店も、勿論ユーザーも、ユーザーの周りにいる人、レース場で道でカワサキに出会う人たちにも
みんなにグッドタイムを提供できるような活動が企業の社会的責任なのである。

★今、カワサキのOBたちと、三木の人たちとのコラボで展開している
NPO法人 The Good Times はこの精神を受け継いで活動を展開している

設立当初から高橋鉄郎さんには相談役をお願いしたし、
一昨日は、このコンセプトの73年当時の起案者浜脇洋二さんにもご参加頂いた。

当時からのカワサキの仲間たちはほとんど揃っているし、
星野、金谷、清原、和田などライダーたちもみんな仲間なのである。

バイクやジェットスキーの世界を超えて、
異種、異質の人たちがみんな繋がって楽しいときを過ごそうというコンセプトなのである。

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カワサキと浜脇洋二さんのこと

2010-06-03 05:20:44 | カワサキワールド
★45年間、私はカワサキの二輪の世界にいた。

もう一度人生をやり直しするとしたらと仮に言われても
『自分が歩んだカワサキの道』をもう一度、同じように選ぶであろうと思っている。
それくらい『悔いのない、思い切り楽しくやり甲斐のある』現役生活であった。

私たちが歩いた時代の二輪業界が、ホンダを初め世界へ向かっての前進であったこともあるだろう。それは海外への輸出ではなくて、現地での事業展開だったのである。
ホンダ、鈴木、ヤマハの浜松勢に伍して一人カワサキだけが、この業界を歩けたのは、カワサキ独自の『差別化された経営戦略』の賜物だと思っている。

そんなカワサキの二輪事業を引っ張って、事業を成功に導いたのは、いろんなことが言われているが、
『浜脇洋二』さんが、若し居なければ、
『今のカワサキは、この世に存在していない』と私は思っている。

★若し『浜さんが』64年に、アメリカ市場で二輪事業をやろうと言わなかったら、
若し66年に、シカゴにアメリカンカワサキを設立しなかったら、
若し68年に、今のKMCを設立し、Z1の開発をアランマセックとのコンビで、強引に日本側に説得しなかったら、

カワサキは三菱のように、富士重工のように、BSのように二輪業界から撤退していたであろうと思うのである。
その後、74年には、アメリカ市場に自動車工業会で最も早くリンカーンに工場を建設現地生産を開始したのは、ホンダではなくてカワサキなのである。

77年ごろまでの10年間のアメリカ市場が、世界のカワサキの二輪事業を引っ張ったのである。
その陣頭指揮を執ったのが、浜脇洋二さんであった。

★私は、浜さんと仕事を一緒にしたことはない。
ただ、その事業に対するスタンス、信念、スケールの大きさ、これは並みのサラリーマンにはない、桁外れのものであった。

そういう意味で、『私の憧れの人』なのである。
浜さんは、最後までカワサキにはおられなかった。
BMW Japanの社長に引き抜かれて、日本市場にBMWを定着されたのは、『浜さん』である。
私が、BNWをずっと乗り継いでいるのも、浜脇さんがBMWの社長になられてからである。




★昨日は、三木セブンハンドレッドでZ1会の今年2回目のコンペであった。

浜脇洋二、那波義治、杉本五十洋(現MFJロードレース委員長)さんと一緒の組であった。
憧れの浜さんとご一緒できて、本当に嬉しかったし、ある意味緊張もした。
写真は右から稲村さん(Z1のエンジン設計)浜脇さん、大槻さん(Z1開発責任者)那波さんである、

今、仲間とやっている、
NPO法人The Good Times のネーミングは、
『Kawasaki,Let the goodtimes roll !』というカワサキのコンセプトからである。
これは当時、1973年に『浜さん』が創られ、全米を風靡したものである。

その後、長く使われずに眠っていたものを、
1990年ゼファー人気ではじめて国内市場が大きく伸びた時期に、国内市場で復活し、その後世界展開となって現在に至っているのである。

『カワサキに出会う人がみんなハッピーになるような活動を展開しよう』というコンセプトは、今もなお生き続けているのである。

NPO法人The Good Times もその精神を引き継ぐべく、決定したネーミングなのである。
昨日、浜脇さんにNPOの個人会員カードNO.500番を進呈した。
入会金を頂かずに進呈したのは、この1枚だけである。
せめてもの私の浜脇さんに対する気持ちなのである。

★ラウンド途中に、雑談で話した『潮流、海流発電』に非常に興味を示されて、
明日にでもその詳細を、メールするようにメールアドレスを頂いている。

その事業カンは、流石だと思った。
浜脇さんの著書『45歳までにあなたもトップになれる』の中にカワサキのことも詳しいが、参考まで本の中の見出しの部分から幾つかを列記してみる。

●リスクテイクで磨かれる人生
●情熱と仕事を楽しむ心が成功の第一歩
●言葉にして語れるビジョンを持っているか
●人が行かない道を行く醍醐味
●決断力を養うには、ビジネスの勘を磨け
●差別化、差別化、どこまでも差別化
●挑戦するものに年齢は関係ない

まだまだあるのだが。

非常に、思い出に残るゴルフのラウンドであった。
ひさびさに、ゴルフもいいゴルフが出来た。
緊張はスコアに結びつくことを実感した。

浜脇さん、昨日はありがとうございました。

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10年ひとむかし

2010-06-02 05:09:17 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
★2010年6月になった。
2000年の6月はじめまで、現役で働いていたから、退職してちょうど10年経ったということである。
と書いて、待てよと思った。調べてみたら1年違っている。
1999年6月までである、もう11年も経っているのである。

★先日の『カワサキ赤タンク時代』の取材のときに、出席者の間で、B8の開発時期や発売時期のことで出席者の間でいろいろあった。発売時期がいろいろ違ってしまうのである。
10年前のことでも、こうだから、50年も前の話が、明確でないのは仕方がないことかも知れない。

私は20歳のときから日記を書いているので、調べれば正確な年次が解ることは解るのである。


★それはともかく、この10年、『もう10年も経ったのか』という思いである。
まだ、6,7年だというのが実感なのである。

昨日、日記をめくって調べてみた。
折角調べたので、自分のために記録としてちょっと残しておこう。

札幌から大阪までの最後の旅は、家内と一緒に、フランス料理を食ったりして、人気の高いエキスプレスの旅だった。これが1999年6月5日であった。
辞めてから3年間は、会社とちょっと関係があったし、札幌の病院には3ヶ月に1回ぐらい通っていたし、会社の九州への慰安会などにも、誘ってくれたりしていたので、本当に年金生活者になった感覚がなかったのかも知れない。



バラを育てだしたのは、2001年からだし、
パソコンにはじめて触れたのもこの年の7月のことである。

★パソコンをやって本当によかったと思う。
娘婿が会社で一括購入した残り物を勧めてくれたのである。

2002年から2006年の春までの4年間は、パソコンで何をするでもなく、独学でいろいろやっていただけである。
パンダ碁に参加したのも、パソコンで何かをやるために、今まで一度もやったことのない株取引の『ネット取引』をやってライブドアで結構な損をした。
高いパソコンの授業料であった。


★パソコンをホントに使い出したのは、2006年の5月からはじめた、三木市長への
市長メールを指1本で打ち出してからである。

それがその年の9月9日に、このブログをはじめ、
10月にはmixi にも、ひょこむにも参加したりして、
今は『ツイッター』にはまってしまっている。
1日のうち6時間以上パソコンの前にいる。

若しパソコンと出会わなかったら、今頃どんな生活をしていたであろうか?
ひょっとして、今でもゴルフに熱心で、当然のように80台で回っていたかも知れない。
やはり、二兎は追えないようである。


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Yahoo リサーチの話題いろいろ

2010-06-01 04:25:31 | 発想$感想
Yahooリサーチの質問は単純だが、結果は数字で現れている。
これが即世論ということにもならないのであろうが、一定の方向は示しているのだろう。

その幾つかと感想。
昨夜の岡田ジャパンの対英国戦の評価

10点満点で7点がトップ。まあ合格点、よくやったというところだろうか。
前半は、ちゃんと見ていた・善戦であったと思う。
後半は、半分寝ていて目がさめたら1-1になっていた。
そして朝見ると2-1で惜敗である。

前半を見ていてもイギリスの強さはよく解った。
世界のレベルは凄いなと思ったが、日本のサッカーも強くなったものである。

★韓国戦のあと岡田監督に対する評価と言うか、今後どんな監督で戦うべきか

これは、キツイなと思った。
ここまで来ているのだから、当然続投かと思ったが、
交代という人が多いのにはびっくりした。

いつも思うのだが、野球と違って監督がそのゲームに与える影響力はそんなにないと思うのだが、
結果に何故サッカーはこうもキツイのだろう?


★ネット選挙、ブログもツイッターも解禁すべきか

これは当然、解禁すべきが多いのかと思ったら、
両方とも解禁すべきでないというのが、50%以上も会ったのは意外だった。
理由は、どんなことなんだろう。

もう1つ『ルービーとの野次は失礼?』

これはルービーの意味が解らなかったが、
このごろは、検索で直ぐ解決である。

回答した人みんな、意味が解っていたのだろうか?


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