関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

驚愕の揺れ、「中学校は、学童は?!」、と走り回りました

2011年03月11日 | 活動報告

3月11日午後、私は勤労者会館のステージ上に居ました。

「重税反対集会」で、200人を超える参加者の前で挨拶を述べた後、ステージ上に並べられた椅子の最前列に座って、他の人の発言を聞いていた時に、揺れ始めた訳です。

 大きな揺れ、会場の方々の動揺の広がりも一望できましたが、我が身のことは少しも考えられませんでした。
 ただ、第三中学校の校舎が大丈夫か!、それだけで頭が一杯で、「早く止まれ!、止まってくれ!!」と心の中で何度も何度も叫びました。
 今まで味わったことのないひどい恐怖でした。

 「震度5以上の地震で倒壊する危険性が高い」とされる校舎を早く耐震化すべきと、議会で何度も取り上げて来たのは、万が一こういう日が来た時のことを心配してのこと、耐震化するまでこういう日が来ないことを願ってきたからです。
 私自身の息子が在学しているという点で、保護者の皆さんの心配は私自身の心配でもありました。

 集会後、デモ行進の参加をキャンセルして壇上を降り、まず、市役所危機管理室へ。
 予想通りでしたが、役所全体の緊急会議がおこなわれるところで、何の情報も得られず、後で問い合わせることを告げて立ち去りました。
 エレベーターも停まっていて、6階まで駆け上がり駆け下る内に心拍数もどんどん上がり、体力の問題なのか、心が追い詰められているのか、ない交ぜになりながら息を切らせて役所を出ました。

 次に、第三中学校に向かいました。
 到着すると、校舎は無事、一斉に下校する生徒たちの姿を見て、大きなため息を何度もつきました。
 職員室では先生方が立ち上がってテレビを見つめていました。
 校長先生・教頭先生に会うと、地震発生時は丁度卒業式練習で全員が体育館に集まっていたとのことで、全校が落ち着いて対処できたとのこと。
 校舎も巡視したところでは損壊は認められなかったということで、不幸中の幸いと思いました。

 続いて、同じく耐震化が求められる一学区学童保育所「星の子」「夢の子」と「いなほ作業所」へ。
 学童は、壁にたくさんのヒビが走っていましたが、やはり損壊は認められず。
 子どもたちは、隣の第一コミセンに移って落ち着いてすごしていました。
 そこでコミセンの方も確認した後、第一小学校へ。
 校長先生のお話では、職員引率型集団下校で子どもたちも落ち着いて帰宅したとのこと。

 それから、停電が伝えられる朝日地区大網集落へ。
 現地からは「地震の直後から停電となって2時間経過、反射式ストーブを引っ張りだしたが寒い。夜になったらどうなるだろうか」という声を聞いてとても心配でしたが、到着直前に「復旧した!」と聞いて、朝日庁舎に寄りました。
 大網と同時に停電し、公民館に集まっていたという田麦俣も復旧したということで安心。
 朝日中学校に立ち寄ってから、大網に行きました。

 向かっている内に、雪がズンズン降ってきて、真冬の吹雪のようになってきました。
 親戚・知人のお宅で暫し語り合い、9時半も過ぎた頃に帰路につきました。

 ハンドルを握るとドッと疲れが出て、眠気を振り払いながら何とか自宅にたどり着きました。