ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

大辺路の迂回路

2009-05-04 05:00:00 | 田舎
熊野参詣のルートは一般的には中辺路を通るのが通常であったようで、何よりも王子の多さがそれを示しているのですが、遠くても景色の雄大なこの海辺の道を選ぶ大辺路のルートもあったと言われています。

串本・袋のJRガード下から山へと入っていくとされるこの辺りの大辺路は、橋杭岩を過ぎた辺りで海岸に出、姫から伊串にかけての旧道を辿り、一旦42号線に出会うものの、2~30mで狭いJR沿いの道を古座川河口まで歩いて、そこから渡し舟に乗って対岸に辿り着き、そのまま津荷を通って田原の手前まで浜を歩いたようです。

しかし、海が荒れたときなどは浜道は通れず、当然天候の回復を待つか、迂回路を探さなければなりませんでした。

古座川町役場の近くにあった渡船碑は、その迂回路のあったことを示すものでもあり、その場から上野山の虫喰岩を見ながら山越えし、田原まで行く道が迂回路だったのですね。

          

迂回路で一山越えるのですが、頂上は地蔵峠と呼ばれていたようです。この立て札は頂上のものではありません。上野山地区にあったこれからが山登りですよというところに立っていました。今の舗装されている道路は山を巻きながら、距離はありますがゆっくりした登りです。

          

立て札のすぐ横に獣避けのネットで遮断されて入っていけませんが、大辺路と書かれた案内板があり、道も続いているようです。このまま真っ直ぐと山頂へと歩いていくのでしょうね。

          

なんと、ネットに囲まれたところには牛が放牧されていました。牧草など皆無なので放牧とは言えないのかも知れませんが・・・

 
       
               

山頂付近には、大辺路の案内板があちこちに点在しています。今気が付いたのですが、よく見ると案内板はは侍女たちが被っていた笠の形をしています。

          

ある案内板の横にあった道標、『右へやまみち 左へさべみち』とあります。この先に佐部という村落があるのですが、自分が立っている所から考えると、逆ではないかと思うのですが、歩くと佐部には左へ行ったほうが近いのでしょうね。

          

頂上から上野山の村落が見えます。頂上を越えると串本町になりますが、古座町と言った方が判りよいかも知れません。山の中では串本町と古座川町の境が至る所にあるのです。

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