ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

最後の運動会

2011-10-13 05:00:00 | スポーツ
10月1日、普段なら第一土曜にあたるのでソフトボールの練習があるのですが、借りている小学校の運動場も翌日運動会で使うので、その準備ということで練習は出来ず、運良く孫達の運動会を観に行くことが出来ました。孫達ももう6年生ということで、運動会を観るということもこれが最後かと思います。

             

最後の運動会となっても、私としてはたいして気も入らず、ボォっと観戦していたように思います。それはとりもなおさず孫たち自身に気が入っていなかったように思えたのかも知れませんし、グランドが飲酒禁止という熾烈な命令を下していたせいかも知れません。

             

最高学年ともなりリレーともなれば、みんな気力も入り精一杯力を尽くすものですが、誰か一人笑いながらチャランポランに走っています。まぁ何処にでもこういう子はいるものですが、あまりシャッターを押してはいないのに、よくこんな写真が撮れたものです。

             

この小学校に来ると毎年来校証なるものを見えるところに貼れと言われ、行く度にこうして帽子に貼り付けるのですが、いつも校門で入来校証を貼ってくれと言われます。帽子の方が目に付くと思うのですが、みんな胸に付けるので其処にしか目がいかないのですね。

最初来た年に警官が校内に入って靴を盗もうとしたらしい、そんなことがあったから厳しくしているのかも知れませんが、厳しくせなアカンのは警察自身ですよね。

            

最初は何処でも新鮮さを感じた『よさこいソーラン』、もう私は飽きました。やってる人自身はおそらく新鮮な気持ちでやっているのでしょうが、毎年彼方此方で見るとなるともういいですわという状態です。

背中の文字がみんな揃えて『輝』です。揃っているのも妙な感じなのですが、偏を光から衣に変えると、とんでもないものになってしまいます。

            

すがすがしい秋空の下での小学生最後の演技、この後組体操へと移っていきます。

             

この組体操の思考法が気に入りません。どの位置に就きたいかは生徒の希望を聞いたといいますが、基礎になる者が一番つらいのです。まず最初の最初から登場しなくてはなりません。最後に登場して華々しく手を広げる立場とは全く逆、日本国はこの基礎になる人々を大切にしようという考え方がありません。もしこの国が最の基礎になっていて、一番たくさんいる人々を大切にしている国なら、私は組体操をすることに異を唱えたりはしません。

運動場ではどの子どもたちへも拍手を惜しみませんが、国家社会になると一番上の脚光を浴びる者だけが栄に浴せるのです。

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