ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

串本病院

2013-10-15 05:00:00 | 田舎

9月に串本を訪れた最初の日曜日の夕方、テレビで大相撲を観ていました。たぶん大関・稀勢の里が土俵に上がっていた頃だと思いますが、急に左腰が痛み始めたのです。まぁこの歳ですから、いつもジワッと腰は痛かったのですが、その時の痛さは質が違うもの、引き攣るほどの痛さなのです。酒の飲み過ぎで肝臓や膵臓に異変が起きたのか、それでも最近は勤めていた頃より飲む量は減っている筈です。日曜なので開業している医者もある筈もなく、ただ時々踵が痛くなることがあったので、痛み止めだけは持っていることだけが救いだと思っていました。

             

その痛さに食欲も無く、酒を飲みたいとも思わなかったのですが、喉が渇くので一杯だけ飲んだのですが、美味しくありません、というより酒などというものはたいして美味しいものではないのです。痛さは一向に収まらないので痛み止めを一錠飲み、様子をみていました。

でも痛みは治まる気配がありません。2時間ほど経ってもう一錠飲むことにしました。朝夕はめっきり涼しくなっているのに、痛みで脂汗が滲みます。この症状は何の病気なのかと聞きたくて、知っている看護師にメールしようかと思うのですが、スマホを触る気にもなりません。寝ているより座っている方が少しは楽、じっと寝てはいられないのに、じっと座ってもいられないもどかしさ、それよりも痛みの方が勝っています。

             

12時を越えても痛みは治まらないので、三錠目の痛み止めを飲んだら、どうやら薬が効いてきて、少しは眠ることが出来るようになりました。ただその頃になると痛みの箇所が移動するように思い、この痛みは尿路結石ではなかったかと思うようになっていたのです。それなら今までに経験したことがあるし、そうなると水分を多く取らないといけないので、酒を禁止されることはありません。肝臓や膵臓の異常では無かったかとホッとしたのですが、そんなものは素人の考え、朝になったら新しく建った串本病院にでも行こうと思ったのでした。

             

ところが朝になると痛みは和らいでいて、病院なんか行く気にはなりません。全く痛くないと言うことでもなかったし、またあの激しい痛みがぶり返しても嫌だったので一錠だけ痛み止めを飲んでおいたのでした。その日は夕方にもまた一錠、痛み止めと言うより予防のために飲んでおきました。

水曜日になりどうも反対側の腰が痛み始めたので、昼から意を決して串本病院に行ってみたのでした。私は内科だと言っているのに、先に整形外科に連れていかれ、腰のレントゲンを撮っても別段悪い所は無さそう・・・当たり前です、私は最初から内科へ行きたかったのです。内科でと言っても時間外だったので同じ部屋で違う医者の診察、CTを撮って、診たてられたのが、やはり尿路結石だと言うことでした。串本病院には泌尿器科が無いので、新宮病院を紹介しますがと言われても、新宮まで行くんだったら、大阪へ帰ってから骨折を手術した病院へ行きたいと思うものです。新宮行きはやんわり断って、痛み止めだけ貰って帰りましたが、8000円近くかかってしまいました。

大阪へ帰った翌日すぐに病院に行ったのですが、結石は普通の物よりかなり大きいとのこと、先ず衝撃波で石を砕くという手術をすると言いますが、予約がいっぱいで10月22日に決まりました。1回の手術で6~7万円かかると言われ、その上1回では終わらんかもと言われ、その治療費にかかる費用を考えると次回痛くなるまで我慢しようかとも考えてしまいます。

             

串本病院は実際は『町立くしもと病院』と言うようです。最近テレビの報道でやっていた町が取り組む津波対策、高台への移転先はこの辺りを指しているのでしょうが、高台へ移転できるのは、それなりのお金を持った家でないと引っ越しなど出来ません。津波で襲われる可能性のある地域の地価など二束三文、売ったところで高台での新築費用など出るわけがありません。それとも町が責任を持って、新築に見合う価格で今住んでいる土地・家屋を買ってくれるとでも言うのでしょうか。高台の整備だけでは津波対策にはなり得ません。

             

再来年は和歌山国体が開催され、串本ではサッカーやラグビーの試合が組まれるようです。病院の眼下には既にサッカー場が有り、私も見る機会があるのではと楽しみにしていますが、それによって串本の街が潤うとは思えません。県民総動員などという言葉を聞くと(出来っこありませんが)どうも戦時中の国家総動員法がちらついて、イヤな感じを持つのは私だけなのでしょうか。

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