ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

全興寺

2013-11-01 05:00:00 | 大阪にて

ごく最近、連続するようにして2回違う局の違う番組でこのお寺を取り上げていました。興味があったのはこのお寺自体ではなかったのですが、その興味があったものはお寺の境内に入らないと拝めないので、今週の月曜日、天気が良かったので家から自転車に乗って、阿倍野区を越え、東住吉区を経て、平野区まで走ったのでした。車で行っても電車で行ってもお金がかかるけど、自転車ならタダ、それに運動にもなります。家から松虫通りの坂を登り、昭和町の長い信号にひっかかったので、あびこ筋を南へ、南港通りをまた東へ走ります。地図で見ると所在地の平野本町4丁目は、南港通りを東へ走って行くと内環状線を越えて、少し行くと左手に大阪信用金庫があり、その辺りだろうということが推測されました。

             

テレビで観ているとお寺は商店街の中に有ったので、南港通り沿いに商店街の入り口があるのだろうと思っていたのですが、大阪信用金庫は分かったものの、商店街の入り口が分からなかったので平野本町5丁目の交差点まで行き過ぎてしまいました。仕方がないので交差点を左折、車で混雑する中を暫らく走っていると左手に商店街が見えたのでこれやとばかりに左折、すぐに目的のお寺は見つかりました。家を出て1時間、大阪信用金庫辺りの道を左折した方が判り難かったかも知れません。

             

入口には自転車は“通行の邪魔になるので、ここに停めず、西門の方へ”置くよう指示してありましたが、皆さんここに駐輪しています。私はよそ者ですから指示通り、西門が何処にあるのかは知りませんが、取り敢えず次の角を左折、するとすぐにお寺の門があり、駐車場や駐輪場がありました。

               

古い商店街のようで、お寺の前は随分古い家が建っていました。商店街の上部に取り付けられてあった平野郷地図、平野区にあるから平野郷というのではなく、平野区になる前(平野区になる前は東住吉区だった)から平野郷は存在していたのです。それは又別の機会に著述することとします。

             

ここが西門、と言っても東門や北門、南門があるわけではありません。高野山真言宗とあります。

             

門の手前の看板、子供のことを中心に考えた行事が行われていることが推測されます。『おも路地』などは大阪弁の面白いという言葉「おもろ」と路地を引っ付けたものだろうと思います。駄菓子屋博物館や「ウソをつくと舌をぬくぞ」と書かれた看板があり、楽しそうなお寺です。

             

月曜日の10時半ごろだったので子供の姿は見られませんが、平野区の片隅の小さなお寺の割には、結構お参りに来ている人は多い、これもテレビで放映されたせいなのか、でも何とか人のいない時に撮ることを心がけました。これは本堂。

               

境内の東側に並ぶ子安地蔵尊、仏足石、わんにゃん堂です。モモが亡くなったら、ここに葬ろうかと飼い主でない私は考えてしまいました。

               

境内南側にあった『ほとけのくに』です。地下に掘られた窟、外が明るかったので階段を降りていくと真っ暗、その中でステンドグラスに描かれた曼荼羅だけが煌々と光っていて、まるで誰かを待っているかのようです。暫らく目を凝らしていると石仏が何体も並んでいるのが分かってきました。人が入って行くと僅かでもいいから灯が点るようにしておいてくれたら良いのにと思います。石仏は全部で151体あると言います。案内板に“水琴窟の水の音楽”と書かれていましたが、確かに柱を伝って流れる水の音が聞こえるのですが、音楽を奏でているわけではありません。

             

ステンドグラスに描かれているせいなのか、西洋の絵のように見えます。『土足厳禁』と書かれていましたが、この上に上がって瞑想するよう勧めてありました。私は何かに引っ張られるような感じを覚えたし、私が乗ってガラスが壊れてもイヤなので、この上に座ることは遠慮しておきました。


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