ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

杭全神社 Ⅱ

2013-11-12 05:00:00 | 大阪にて

杭全神社は国道沿いにある一の鳥居から大門まではかなりの距離がありますが、伊勢や出雲ならいざ知らず、大阪市内にあるのですから境内自体はそう広いと感じることはありません。しかし多くの神が祀られていると感じます。当に十柱社などは、一つの社に10もの神が祀られているのですから、さしずめ神様の長屋です。

             

杭全神社のホームページに釜を置いてあったスペースの説明はありません。あまりご飯を食べるという習慣が無い私ですが、炊き立ての新米が美味しいのはよく分かります。なのであのお釜で炊いた新米をいつ食べたのか、それともいつ食べるのか、参拝した人に振る舞ってくれるのかとても興味がありました。

そんなことより、境内の中心にある拝殿です。手前にある松の木が、全体像を捉えきれなくしていますが、それで風情が増すのか、残念に思うのか、それは人それぞれでしょうね。

             

拝殿の裏に回ると本殿が有ります。左の方が第一殿、私に近いのが第三殿ですが、平安時代の初めに祇園社として建てられたのが第一殿、12世紀に第三殿が建てられ、13世紀に後醍醐天皇により第二殿が勧請せられたと言いますから、順序が複雑です。

             

こちらは第一殿からの写真ですが、創建当時の物ではありません。第一殿は正徳元年(1711年)に奈良の春日大社の本殿を移築したと言いますが、春日大社の本殿がこんなに小さなものだったとは信じられません。第二・第三殿は永正10年(1513年)造営の記録があり、市内最古の建築物で重要文化財に指定されています。

       

主に境内左側の社を撮りましたが、もちろん右側にも社は並んでいます。でもゴチャゴチャしていたので写真は撮っていません。一つだけ鎮守社というのを撮りました。また左側に戻ると、結構立派な構えの社があり、吉岡大明神と書かれた提灯がありました。何とも俗名的な大明神ですが、両側にキツネの像があったので稲荷社なのでしょう。

                       

吉岡大明神の横に大きなイチョウの神木がありますが、枯れかけているらしく、昭和53年に掲げられた立札に“今のうちに大手術をしなければ枯れ死する恐れがあり・・・有志相集まりて大阪市にに働きかけるとともに、この御神木を信仰される方々や都市緑化事業に関心のある方々に訴えて起死回生の手術を発願した”とありますが、それから35年を経ていますが、未だにその立札が撤去されていないと言うことは、どうなっているのでしょう。まぁ競争好きな現大阪市長、自ら立てない者は放ったらかしですし、文楽まで補助の対象から外そうと言うのですから、文化的なものにお金を出すとは思えません。

               

しかし、このイチョウ『乳垂根イチョウ』と呼ばれるだけあって、古座川町の光泉寺のように枝から根が垂れ下がっています。光泉寺のものとは比べ物にはなりませんが、あと何百年も生きると、この根はきっと大きなものになるでしょう。

             

帰途に就くと大門を出て、標柱の手前に『平野環濠跡』の石碑が建っていました。垣根の外では水が流れていましたから、そこに環濠の跡が残っているのでしょう。

             

標柱を裏から見ると、この柱が大正4年に建てられたものであることが分ります。

             

標柱の内側にあったクスノキ、かなり年月を経た感がありますが、枝振りがクスノキらしくありません。

7日の木曜日に病院から来るように言われていたので、自転車で行って来ました。施術部がどうなっているのかレントゲンを撮り、医師の説明を受けました。石は全く割れてないことも無く、少し砕けていたのですが、形としては前のまま、それより砕けた石が腎臓に戻ってしまっているのが気になります。「どうなるか(割れるかどうか)分からんけど、今度は痛み止めの注射をしてから、もう一度同じことをやりましょうか」と言われ、「同じことをしてくれなくていい」と言ってやりました。「では、内視鏡を入れて、直接レーザーを当てて砕く方法もありますが、そうしましょうか?」と聞かれました。仕方がないので頷くと「うちでは装置が無いので、紹介状を書くので、今日は書けませんが今度取りに来てください」と言われました。今現在、串本に居るのですが、しばらくはそのまま居るつもりですから、25日にならないと取りに行けない旨言うと、それでも構わないと言うので、次回は25日に病院行きです。

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