ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

天狗岩

2009-05-15 05:00:00 | 田舎
大島に渡り、樫野へ赴く途中、須江を超えた辺りで道標を見つけました。今まで見たこともなかったので、最近取り付けられた道標なのでしょう。
この道標も熊野詣の女性が被っていた笠の形をしています。大辺路の道標の余ったものを利用したのでしょうか。

          

天狗岩と書かれていますから、どんな形の岩なのか楽しみに観に行ってみました。この大島に天狗岩なる名物が存在すること自体、今まで知りませんでした。

               

薄暗い山道を5分ほど歩きました。到着したのがこの岩のあるところ、これ以上道はありません。

           

何処にも天狗に似た岩などありません。この岩に乗ってみるしかないと、登ってみると、最初の写真のような眺望でした。





先端には樫野埼の灯台が見えます。
後で地図で確認すると、おそらく大森山とある地点だろうと思いました。

       

天狗様の岩は見つけられませんでしたが、素晴らしい眺めには出逢えました。

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今回の釣果 Ⅲ

2009-05-14 05:00:00 | 田舎
翌日も同じ樫野の地磯に挑戦、Y君は22~3cmのグレを1匹、私は昨日のガシラポイントでガシラ2匹でした。

          

ただ昼前に出かけたので1時ごろの満潮に出会ってしまい、この左奥に溜まったゴミが流れ出して、ウキはゴミと一緒に右往左往、釣りになりません。ここは満潮時の釣りは無理だということが判りました。

堪りかねてY君は磯伝いに他のポイントを探しに行ってしまいました。

          

ここを通れば違うポイントに行けそうなのですが、相当危なっかしい岩場です。私どもが釣っていたポイントより、右側に移動するので、樫野の灯台寄りになります。

結局Y君は何も釣れなかったのですが、隣で釣っていた人が目の前で50cmぐらいのグレを釣り上げていたという報告をくれました。

次の日は雨という天気予報、Y君は帰る予定でしたが、昨日のグレを目のあたりにしているので気になっているのでしょう。釣りに行く気迫が満々です。結局今回は4回も釣りを楽しみ・苦しみました。

          

出かける時は少々雨が降っていましたが、気にするほどではありませんでした。樫野に着くと雨も上がって陽が差してきています。

灯台の横にも降りる道が付いているのを思い出して、その道を降りてみると昨日Y君が辿り着いたポイントでした。

下の地図は、まず『goo地図へ』ボタンをクリックして、新しく地図を表示させた上で、地図欄外左上の『航空写真』ボタンをクリックしてご覧下さい。



この写真の手前で田舎のオッサンスタイルで釣っているのがY君、その向こうで誰かが釣りをしていますが、あのポイントで昨日50cmのグレが上がったそうです。
なかなか良いサラシが出来ていて、雰囲気は上々ですね。

早速1投目から25cmぐらいのグレがY君にヒット、「よぉ釣れるやん!」と思ったものの後が続きません。

          

バッカンの凍った撒き餌を削りながら、竿を出していた私に、手元までくる大きなアタリ、そうです私はウキを見ずバッカンを見ていたのです。

そしてアッという間に道糸から高切れ、キズが付いていたのでしょうが、この白い道糸は弱いなと前々から思っていました。

          

釣れないY君が私のところにやってきた時、ウキがスーッと入って私にアタリ、1号の竿がひん曲がってしまいました。敵は手前の岩場に突っ込もうと必死の力を振り絞っています。「竿は折れんやろ」と耐えた私にどうやら軍配が・・・魚が浮いてきました。

腹が見えた瞬間にガッカリです。サンノジでした。Y君がタモで掬ってくれました。

          

40cmはありませんが結構なファイトを味遭わせてくれました。写真を撮ったら無益な殺生はせず、海にお帰りいただきました。

樫野の地磯を舐めたらあきませんね。これからは2号の竿と2号のハリスを用意しましょう。

          

アタリの無いY君は私の左側へ移動、この頃から潮は左へ左へと流れが変わりました。9時ごろが干潮だったので、それを越えたあたりから潮の流れが変わったようです。それからは全くアタリは無く、このポイントでは潮は右へ流れる時に釣れるのだと悟った次第です。

          

灯台横の降り口を通って磯に出たところからのロケーション、私どもは左へと移動しましたが、右にも人がいて、ここは結構広くて様々なポイントがありそうです。

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今回の釣果 Ⅱ

2009-05-13 05:00:00 | 田舎
虫喰岩・佐部城址の探索、上田原の散策の後、またまたY君が行ったことがないという海金剛、そして阿野木漁港を見回りました。

昼食後、樫野の地磯へ釣りに行こうということになって、3Kgのオキアミを半分づつ使うことにして、橋の横を降りていきました。

この写真は釣り座から正面を遠望したもの、古座大橋を中心に撮っていますが、熊野の霊峰が重なっている様子も撮れていると思います。

          

釣り始めたのは午後2時ごろだったと思います。沖を流していたY君にアタリ、まずまずサイズのガシラです。この日満潮が11時、夕方6時ごろに干潮となる潮でした。

          

そして1時間ほど経過、またまたY君に特大のガシラがヒット、満面笑みのY君です。グレはどうしたのかな・・・?

          

メジャーも比べるものも写していませんが、なかなかのサイズです。これは造りにしても鍋にしても美味そう。

               

この地磯はこちらの方から歩いて来ます。

          

私はこちらの方で粘っていたのですが、ハタンポが少々釣れただけ、でもハタンポの姿を見たのは久々です。

          

ハタンポだけではありません。カッパもいました、イヤ、井上竜夫か!?

          

こちらがY君の釣っていたポイント、正面に船を係留する杭があり、そちらへ流していくと途中にシモリがあるのですが、そのシモリの上で釣れるということでした。


上の地図は、まず『goo地図へ』ボタンをクリックして、新しく地図を表示させた上で、地図欄外左上の『航空写真』ボタンをクリックしてご覧下さい。

その後Y君がガシラをもう一匹追加して5時ごろ納竿、途中で釣り座を替わってもらったのですが、私にはガシラは来ませんでした。

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今回の釣果

2009-05-12 05:00:00 | 田舎
釣友Y君が来る2日ほど前、一人で姫の地磯で釣りをしてみました。春のこの時期は浅場は海藻が茂っていて、絡むのでここはアカンと思っていましたが、潮通しの良いところは案外海藻が無く、釣りを楽しむことは出来ました。

          

しかし、以前マルハゲを釣ったところには海藻がギッシリ、こっちの方が釣果は望めたのですが、竿を出すことさえ憚られます。

          

春の海の穏やかな様子、でも潮岬を越えた西側では波が荒かったのですよ。
10年ぶりぐらいになりますか・・・バッカンを買い換えました。磯の上にある白いのが新しいバッカンです。チョイと大きすぎましたが、大は小を兼ねると言います。でも1、5Kgのオキアミを入れても底の方に並ぶだけです。撒き餌シャクでは掬いにくいのです。

               

釣果はと言えば・・・フグONLY!!この潮溜まりの中に20匹以上のフグが隠れています。無益な殺生を好まない私は、わざわざこの潮溜まりにフグを生かしてあげたのです。満潮になればこの磯は水没してしまいますから、フグはまた大海原へと帰っていくでしょう。

          

磯にはフジツボがギッシリ、こんなに多くては裸足では歩けません。遠くに橋杭岩が見えますが、こういう風に見ると岩々は右からの山の続きに見えます。いや見えるのではなくて、きっと山の続きなのでしょう。

          

何故か磯上にアナゴ・・・尻尾が千切れていますが、頭部はきれいに残っていて、浅い干物になりかけています。トンビやカラスはこの存在を知らないのでしょうか。

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佐部城址

2009-05-11 05:00:00 | 田舎
GW中5月2日の朝、釣友Y君がやってきました。釣友と言っても仕事も一緒にしていたし、野球もチームは違えどリーグは一緒でした。

これからどうしようと話をしていると、虫喰岩に行った事がないと言います。姿も容も無かった佐部城址も探してみようと言うことになり、さっそく大辺路の迂回路へと向かいました。

          

正面からは木の陰に隠れて見えないのですが、この部分に障子らしきものが見えるのです。このような箇所に人が住んでいるのでしょうか?ひどく疑問に思っていたのです。

          

望遠で撮ると当に障子、でも下は絶壁です。落ちたら痛いだけでは済みません。
裏へ廻ってみると民家があり、その後ろが岩です。

          

岩の前からあんな所に障子を付ける作業など、素人ではできそうもありません。素人と決め付けてるのは、造り方が下手だから・・・プロなら前からでも出来るでしょうし、もっときれいに造れます。

               

ところがよくよく見ていると、岩の右端に上り口があるのです。岩を削って足を置ける箇所を作り、その上はかなり急ですが人一人が通れる道になっています。登ってはいけても降りるのは恐いような坂です。
これであそこに人が住んでいるのだと、二人は結論付けたのでした。

          

さて佐部城址、先の案内板の横から細い道があり、そこを通ろうとY君は言います。ゆっくり車を走らせますが、とうとう元の道に出てしまい、何処に城址があるのか、見当もつきません。
車を置いて引き返して1番目の上がり道を辿ってみました。軽トラなら1台が通れるような道になっています。でもいつまで行っても城が建っていたような平らな部分はありません。

もうこれ以上は道が無いと言うところで五輪の塔というものを発見、五輪をオリンピックと結びつけると、これは全く何なのか判りません。

          

そして石垣で作られた井戸の跡のようなものも発見。どうやらここに立て籠もった豪族がいたのでしょう。下山して地元の人に聞いてみると、やはりそこが城址と言うことでした。

          

更に奥へと車を走らせると田原川の上流、上田原というところにやってきました。水がたいそうきれいです。じっと見ていると魚がいます。

          

判るでしょう、群れを成して泳いでいるのは鮎です。まだまだ小さいですが、鮎釣りが解禁になる6月には大きく成長しているのでしょうか。




こんな小さな川なら、友釣りなどしなくても鮎が釣れそうですが、ここでも鮎の鑑札は必要なのでしょうかね?

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大辺路 姫~袋 Ⅱ

2009-05-08 05:00:00 | 田舎
この神社、古座観光協会の地図には『富士橋神社』と書いてあったけど、またまた難解な名前を付けたものです。富士はおろか、橋もありませんもの。

富士橋神社の鳥居を抜け、元来た方向を見ると、あの工事現場が目に入ります。鬱陶しいなぁ。

          

少し歩いて振り返り、望遠で撮りました。鳥居と階段が一直線になっているでしょうか?

          

田植えを終えた田圃に足跡が点々と付いています。これはイノシシのものだそうです。
歩いていると見知らぬオジサンが「何とかならんかのぉ?」と突然私に言うのです。「はぁ?」何のこっちゃら解りません。続けてオジサンが「田植えしたばっかりやのに、ほれシシが入ってメチャクチャにしやる」と・・・「はぁ」「イノシシですか」と私。「そやで、イノシシや、何とかならんかのぉ」とオジサン。

答えに困ったので、「山に(イノシシの)食い物がようけあったら、降りてけぇへんねけどね」と言ったら、そのオジサン「最後に悪いのは人間かのぉ」と、なかなか解っておられるようです。

しかし、よく見ると苗を喰ってるわけでもないし、苗を踏まないように行儀良く歩いているように見えます。

          

そうこうしているうちに袋の出口へと到着、袋の出口などと言うと誤解されそうですが、このJRの跨橋をくぐると袋と呼んでる湾があるのです。だから袋にある出口に着いたと言えば良かったのですね。

          

これが跨橋の前の波止、よく釣りをしているのを見かけますが、私はここで釣りをしたことはありません。ここから42号線を串本まで歩かなければなりません。

          

くじの川の河口付近、JRのトンネルが見えます。電車を待っていましたがなかなか来ないので、電車と一緒に写すのは諦めました。

               

何度も車で走っている42号線、歩くと車では判らなかったものがあるものですね。山側に目立つように書かれた文字、最近書かれたものなのでしょうか。でも車からは見えにくいですよ。

昭和21年12月21日ですって。1と2の数字ばかりですね。
『南海道地震津波到達地点』と書かれていて、津波がこの高さまで襲ってきたという証しですね。
海抜は判りませんが、私の立っているところから2mぐらい上でしょうか。この辺りの家なら、すべて屋根まで波が襲ったということになるのでしょうね。

大辺路を歩いているうちは気分良く歩けたのですが、42号線に出てからは途端に疲れが出てきて、串本までが遠く感じられました。

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大辺路 姫~袋

2009-05-07 05:00:00 | 田舎
長かったGWも終わり、今日から仕事ですが、田舎の記事はまだまだ続きます。

柳生十兵衛が古座川を渡る話から大辺路のルートを考察したことがありました。古座観光協会の散策地図も袋~田原までのルートを紹介していますが、袋~神野川までの推察は、観光協会のものと同じでした。一度紹介したことがありますが、このGW天気は良かったのに気温があまり上がらなかったので、、もう一度歩いてみたいと思ったのでした。

熊野詣を大辺路で歩くと、橋杭岩はこのように見えていたのですね。今の42号線から見る橋杭岩とは、かなり違ったイメージです。大阪方面から42号線沿いに見ると少し手前から沖の一番や二番の岩が見えてくるのですが、この大辺路を歩くと橋杭岩が見えるのは一瞬です。

          

姫川方面と橋杭岩への三叉路に立つお地蔵さん、観光協会の地図にも載っていました。でも観光協会の地図の写真には屋根が無かったなぁ。赤いコップは同じです。

          

あまり人も車も通りませんがカーブミラーが取り付けられていて、串本町になってから、よくこの手の案内標識を見かけます。


          

長閑な田園風景が続きます。暑くもなく寒くもなく、こういう風景の中をのんびり歩くのは気持ちがいいものです。

          

騒音と共に突然現れたのは、せっかく長閑な田園風景をどうしようとするのか・・・明らかに自然破壊です。ここは大和ロイヤルの裏辺りでしょう。いったい何を造るつもりなのか、長閑な自然はそのままそっとしておいて欲しいものです。

          

大辺路を付かず離れず流れるくじの川、鬮の川と書くのですが、鬮は門構えの中に亀という字、漢字で書かれると読めません。サンゴの湯の温泉はこの辺りの何処かから引いているのです。

          

遠くに神社を見つけました。よく見てないと判らないですね。山の入口にあります。

          

燈篭はあるものの、人家みたいで神社らしくありません。

         

いやいや、奥に祠がありました。狛犬もちゃんと置いてあります。鬱蒼としていて、いやに暗い所です。

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田原の地磯

2009-05-06 05:00:00 | 田舎
田原まで来たついでに荒船海岸の地磯に良さそうなポイントは無いものかと、探してみることにしました。

          

10分も歩くと下へ降りることができるようになったところがあり、車も1台分ですが、停めておくことが出来そうです。早速降りてみました。

          

道路から降りるところを見つけるのは容易いのですが、海側から見て、来た道を見つけるのは案外難しいものです。ちゃんと覚えておかなければなりません。

          

この時期水温も徐々に上昇し、海中では海藻が育っており、浅場はその海藻でぎっしりという場所も少なくありません。

          

水面の光が反射しているので見難いかも知れませんが、この辺りの磯は姫の地磯より一層浅いようです。遊ぶには面白いかもと思うのですが、釣りには向いていないようです。

          

右の磯の先端まで行ければと思うのですが、今私が立っているところも満潮になれば浸かってしまうところ、例え濡れずに先端まで行けたとしても、竿を出せる時間はごくわずかなものでしょう。

もう少し先まで行けば、また違った磯もあるかも知れません。それは次回にということで、今回は時間もなかったので引き上げました。

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大辺路の迂回路 Ⅱ

2009-05-05 05:00:00 | 田舎
古座川町と串本町に境界を越え、下りに差し掛かった所で、藤の花が咲いていたのでストップ。写真を撮っていると下には川が流れていました。

               

どうやらこの川は上野山から古座川に向かって流れていた川ではなくて、津荷へと流れていく川のようです。

          

魚が3~4匹泳いでいるのが見えると思いますが、おそらくウグイだと思いますが、臆病で私が近づくと影に逃げてしまっているのです。

          

佐部の集落も終わりに近づいて、この案内板がありました。佐部城址があることになっているのですが、周りを見渡してもそれらしきものはありません。
車ですから田原の駅の方には行かず、山奥へと入っていく道を選びました。

          

上田原という集落に来ているようなのですが、パラパラと家は続いてあります。行く手に祠らしきものが見えてきました。

          
          

いったい何を祀ってあるのか判然としません。

          

左横には碑文もあるのですが、何と刻んであるのか判明しません。きっと佐部城のことでも書いてあるのでしょうか。

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大辺路の迂回路

2009-05-04 05:00:00 | 田舎
熊野参詣のルートは一般的には中辺路を通るのが通常であったようで、何よりも王子の多さがそれを示しているのですが、遠くても景色の雄大なこの海辺の道を選ぶ大辺路のルートもあったと言われています。

串本・袋のJRガード下から山へと入っていくとされるこの辺りの大辺路は、橋杭岩を過ぎた辺りで海岸に出、姫から伊串にかけての旧道を辿り、一旦42号線に出会うものの、2~30mで狭いJR沿いの道を古座川河口まで歩いて、そこから渡し舟に乗って対岸に辿り着き、そのまま津荷を通って田原の手前まで浜を歩いたようです。

しかし、海が荒れたときなどは浜道は通れず、当然天候の回復を待つか、迂回路を探さなければなりませんでした。

古座川町役場の近くにあった渡船碑は、その迂回路のあったことを示すものでもあり、その場から上野山の虫喰岩を見ながら山越えし、田原まで行く道が迂回路だったのですね。

          

迂回路で一山越えるのですが、頂上は地蔵峠と呼ばれていたようです。この立て札は頂上のものではありません。上野山地区にあったこれからが山登りですよというところに立っていました。今の舗装されている道路は山を巻きながら、距離はありますがゆっくりした登りです。

          

立て札のすぐ横に獣避けのネットで遮断されて入っていけませんが、大辺路と書かれた案内板があり、道も続いているようです。このまま真っ直ぐと山頂へと歩いていくのでしょうね。

          

なんと、ネットに囲まれたところには牛が放牧されていました。牧草など皆無なので放牧とは言えないのかも知れませんが・・・

 
       
               

山頂付近には、大辺路の案内板があちこちに点在しています。今気が付いたのですが、よく見ると案内板はは侍女たちが被っていた笠の形をしています。

          

ある案内板の横にあった道標、『右へやまみち 左へさべみち』とあります。この先に佐部という村落があるのですが、自分が立っている所から考えると、逆ではないかと思うのですが、歩くと佐部には左へ行ったほうが近いのでしょうね。

          

頂上から上野山の村落が見えます。頂上を越えると串本町になりますが、古座町と言った方が判りよいかも知れません。山の中では串本町と古座川町の境が至る所にあるのです。

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