(世の中のことは、すべて六分、七分成功したらそれでよいと思わなければならない)
武田信玄は、よくこういう論法で人に対した。
「戦のことは勿論だが、万事物事というのは、すべて六、七分ほどにていいと思うべきだ。八分まで成し遂げようとすれば必ず失敗する」
これは信玄が後のことを考えて、相続人を決めた時の言葉である。信玄の子勝頼は気ばかり焦って信玄の目から見るとまだ不十分だった。そこで信玄は、勝頼の子信勝を相続人に定めた。
勝頼が文句を言った。
「信勝はまだ幼く、力がありません。人間でいえば六、七分でしょう。なぜ、私を押えて私の息子を相続人になさるのですか?」
この時に信玄は、
「たとえ信勝の力が六、七分であろうと、後の足らずをおまえをはじめ多くの部下が補ってくれる。おまえは八分の力を持っているかも知れないが、まだ後の二分を補ってくれようとする部下が育っていない。だから、いまは信勝を私の跡継にすることが、もっともいいのだ」
しかし、信玄が死んだ後、勝頼はこの言葉を守らなかった。そのため、武田家を滅ぼしてしまった。
(したいことをするな。嫌なことをしろ)
信玄は、暇があるとよく部下を集めて話をしたり聞いたりした。ある時、
「人間というのは、身分が高かろうと低かろうと、自分の身を保って行くために大切なことがひとつある。何だと思う?」
と訊いた。部下たちは互いに顔を見合わせて、
「ちょっと思い当たりません。身分の高下を問わず、共通して身を保つに必要なことというのは、いったい何でございましょうか?」
と訊いた。
信玄は答えた。
「私が自分を戒めているのは、自分の好きなことはなるべくしないこと。むしろ、嫌だなと思うことをするように努めている。これがいま身を保っている理由だ」
これは同時に、
「嫌なことから先に手をつける。嫌なことというと、どうしても先延ばしをしたり、あるいはやらないように横着を決め込む。しかし、これが自分を弱くする。自分の好きなことばかりしていたのでは人間は強くならない。また他人のためにはならない。目の前に嫌なことと好きなことが並んでいたら、嫌なことの方から手をつけるべきだ」
ということだった。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
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