信玄の経営の才を示すものとしては、「甲州法度之次第」よりは、筆者が「信玄メモ」と呼んでいるもののほうが優れているように思う。このメモは、他国から甲斐の国にやってきた商人の情報を聞き記したものであるが、信玄が並の武将と異なるのは、一つの情報源を盲信することなく、さらにクロスチェックしている点だ。
たとえば、隣国から入国した商人に国情を聞き、メモしたあと、さらに別の隣国商人から聞いて書き加える。その上で分析をし、正誤を判断するのである。
信玄は、このような詳細な情報収集をしていたから各地の情報にはかなり精通していた。そのうえ、家臣を商家に奉公させ、そこから各地に行商人に仕立てて派遣し、諜報(ちょうほう)活動をさせるまでしたから徹底をきわめたといってよい。
しかも、この行商を通じて甲斐や武田家についての欺瞞(ぎまん)情報を流して敵将の戦略を混乱させる高等戦術まで用いている。やはり、情報については並々ならぬ感覚と才能を持っていた織田信長さえも、信玄のニセ情報にはふりまわされたという。
国内政治としては、僧侶の妻帯(さいたい)を許可する代わりに、妻帯した僧には新たな税を課したり、富士登山者に入山料を課すなど、ユニークな発想をしている。さらに、御勅使川(みだいがわ)と釜無川に大規模な治水工事を実施して、信玄堤を築き、水害防止だけでなく新田開発をすすめたり、甲州内の金山開発をもすすめている。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
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