森羅万象・考える葦  インターネットは一つの小宇宙。想像、時には妄想まで翼を広げていきたい。

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【ドイツ】 ドイツのあれこれ5…ドイツの国章、日本の国章は?

2018-05-19 23:59:14 | ドイツ;政治、経済/投資、文化、歴史、美術…

  ドイツの国章 

① ドイツの国章(ドイツのこくしょう) wikipediaに拠る 
ドイツ語: Bundeswappen Deutschlandsは、金色のフィールドに黒い鷲(アドラー)をモチーフにしている。現在のドイツ連邦共和国の国章が定められたのは、1950年である。

 ② 日本の国章
  日本では、法令上明確な国章は定められていないが、伝統的に天皇が紋章として使用し、今日でも皇室が事実上の家紋として使用している十六八重表菊が、慣例として国章に準じた扱いを受けている。

 国章のような扱いをしている事例としては、日本の在外公館では「菊の御紋」が掲示されている。また戦前においては、旧陸軍の軍旗の竿頭と、旧海軍の軍艦の艦首には「菊の御紋」が取り付けられたほか、郵便切手にも菊の御紋はあしらわれていた。

日本国旅券の表紙に表示されているのは、十六八重表菊をデザイン化した十六一重表菊である。1920年の国際交通制度改良会議で、パスポートの表紙に国章を記すように採択されたが、当時の日本に法定の国章がなかったため、デザイン化した菊の紋章が1926年から採用された。

【語学】 中国語を学習しようとした四つの理由…

2018-05-19 23:21:16 | 中国;香港、政治、 経済、科学技術、軍事、文化、歴史、美術…

 英語、ドイツ語、それに中国語と一時、3か国語を学習していた期間が
ありました。後に中国語からは落ちこぼれてしまうのですが、当時は
中国語を学習する理由が四つありました。

 ① 中国語を学習すれば、英語と同じで可能性としては何億人と
   話しが出来るようになる。

 ② 中国の歴史、特に三国時代と唐、明、清、それに孫文から毛沢東の
   時代に興味あり、さらに孫子や漢詩、故事(鶏鳴狗盗など)・来歴も
   好きなこと。

 ③ 中華料理が好きなこと。
    焼き餃子、水餃子、チャーハン、焼きそばは勿論、麻婆豆腐、北京ダックの皮、
    ふかひれスープ、それに月餅、ゴマ団子、杏仁豆腐に至るまで。
    飲む方は、老酒、白酒(パイチュウ)、紹興酒、それに五加皮(うかびー)=五つの果物    などの皮を加えたお酒で身体に良いと言われて飲んでいました。

  ④ 中国語の基礎が出来ていたこと(?)
毎晩の様に熱心に四、五人で某場所に集まり、ロン、ポン、当たれば谢谢!などと
    基礎を学んでいました。(笑)

   取り敢えず、独学でNHKのテキスト、CD付の学習書、辞書などを買って、かなり
   真面目にやっていましたが、七つの大罪の内「傲慢」でとんだ失敗をする羽目に
   なって仕舞いました。その失敗については、後で書きます。
   
    

お気に入り映画7…サウンドオブミュージック、トラップ家の大脱走!

2018-05-19 22:06:06 | ドラマ・映画・テレビ、芸能(人)、演劇…楽しさ、感動は人生の潤い

これも素敵なミュージカルです。こう見るとかなりのミュージカル好きです。
最初にマリアが山で歌っている時から爽やかな空気が感じられました。音楽も
かの有名な"ドレミの歌"ばかりでなく、素敵な曲が多くあります。
 個人的には、パーティの終わりに子供達が一人一人歌いながらベットに行く
時のシーンと歌が好きです。

 ① 『サウンド・オブ・ミュージック』(英: The Sound of Music、「音楽の音」の意)は、1965年に公開されたロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画。20世紀フォックス配給。

 リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の名コンビが1959年11月にブロードウェイで初演したミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を原作とするミュージカル映画で1965年に世界的に大ヒットした。

 この映画は第38回アカデミー賞で作品賞、監督賞(ロバート・ワイズ)、編集賞(ウィリアム・H・レイノルズ)、編曲賞(アーウィン・コスタル)、録音賞(ジェームズ・P・コーコランとフレッド・ハインズ)の5部門を獲得し、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の最後の作品でもあった。



 ② 実際のトラップ一家
  (1)ゲオルク・フォン・トラップは、1880年、現在の クロアチア西部の海辺にある都市ザダル(Zadar)で生まれ育つ。父アウグストはオーストリア海軍中佐で1876年に騎士に叙せられたが、1884年、ゲオルクが4歳の時にチフスで亡くなった。一家はしばらくトリエステに住み、後にオーストリア海軍基地があるイストリア半島のプーラに移住した。

(2)再婚
 1925年にトラップ一家は、ザルツブルク郊外のアイゲンにあるトラウン通り34番地(現ゲオルク・フォン・トラップ通り)に引っ越す。1926年10月、学校を病気で休みがちだった次女マリーア・フランツィスカと幼い四女ヨハンナのために、ノンベルク修道院に家庭教師の派遣を依頼し、マリーア・アウグスタ・クチェラが修道院長の勧めに従い9ヶ月間の予定でトラップ家に住み込む。

 1927年6月、ゲオルクはマリーア・アウグスタに求婚し、11月にノンベルク修道院で結婚式をあげる。このときゲオルクは47歳、マリーア22歳。子供たちは長男ルーペルト16歳、長女アガーテ14歳、次女マリーア・フランツィスカ13歳、次男ウェルナー12歳、三女ヘートウィク10歳、四女ヨハンナ8歳、五女マルティーナ6歳であった。やがてマリアとの間にも1929年に六女ローズマリー、1931年、七女エレオノーレ、1939年、三男ヨーハネスの一男二女が生まれ、12人の大家族になる。
 ※ 約二回りも違っている。

 (3)オーストリア併合と亡命
1938年、オーストリアがナチス政権下のドイツに併合(アンシュルス)される。オーストリア全土にドイツ軍の進駐が進み、完全にドイツの下に組み込まれたが、ゲオルクはナチスの旗を家に飾ることを拒否し、ドイツ海軍省からの召集も拒否した。また、アドルフ・ヒトラーの誕生日にミュンヘンで行われるパーティーで、一家が祝福の歌を歌うことを要求され激怒しつつも、これ以上ドイツに抵抗すれば家族に危険が伴うことを恐れ、一家でオーストリアを離れることにした。

アメリカ合衆国のエージェントから公演の依頼を受けていたこともあり、一家と行動を共にすることに決めたヴァスナー神父とともに汽車を乗り継いでイタリア、スイス、フランス、イギリスへと渡り、サウサンプトンからアメリカへ向けて出航した。アメリカでのビザがきれると再び一家は北欧へ渡り、そこでもコンサートをおこなって、第二次世界大戦勃発直後の1939年10月にニューヨークへ渡った。

(4)渡米と死
1941年、バーモント州ストウの農場を買い取り、ザルツブルク風のロッジを建てる。1942年、ルーペルトとウェルナーは兵役に志願しイタリア戦線に従軍、後年無事に復員する。1943年、アメリカの市民権を申請する。1947年、第二次世界大戦後のオーストリアの人々の窮状を知り、「トラップ・ファミリー・オーストリア救援隊」を設立して、救援活動を始める。

一家は西海岸へコンサート・ツアーに出かけるが、コンサート・ツアーの途中でゲオルクはニューヨークの病院に入院した。その後、ストウの家に戻って静養するが、1947年に肺がんのためストウで67歳で死去した。一家は1948年に合衆国市民権を獲得した。

※ まさに波瀾万丈の人生です。
















【米中】 本、"米中もし戦わば"…トランプ政権の高官が書いています!

2018-05-19 20:38:25 | アメリカ;政治、経済、企業、人物、銃による犯罪・悲劇、文化・歴史、美術…

2016年に一度人気になり、昨今の米中関係で再びスポットライトを浴びています。
 引用文中にあるように、この本の著者が現トランプ政権の通商製造政策局長を務めています。
  
  
 "トランプ政権と米国株投資"というサイトへの全投稿記事です。
  
 『米中もし戦わば』書評とピーター・ナバロの紹介
  更新日:2018年4月19日

『米中もし戦わば』(赤根洋子訳)の著者であるピーター・ナヴァロ(Peter Navarro)は、トランプ政権で通商製造政策局長を務めています。

 ① この人はカリフォルニア大学アーヴァイン校の教授(経済学者・公共政策学者)で、CNBC経済番組でレギュラー出演者として出演したり、ビジネスウィーク誌やNYT、WSJ等に寄稿したりしていました

 17年春頃からは対中外交が硬軟併用の路線に変わり、ナヴァロの影響力は下がりましたが、18年に入り、対立していたゲーリー・コーンNEC委員長が辞任。対中対話路線のティラーソン国務長官も辞任。

中国への知的財産権侵害への制裁措置も決まり、ナヴァロにとって影響力拡大のチャンスがやってきています。

そこで、対中強硬派のナヴァロ氏の著作の要点を整理してみましょう。



 ② 【目次】

1. ピーター・ナヴァロの対中戦略
2. 『米中もし戦わば』の要点2.1. 米中戦争の可能性
2.2. 中国の核弾頭の数は通説よりも多い
2.3. 中国のミサイル戦力には要警戒
2.4. アメリカは台湾防衛の意志を明確に
2.5. なぜ中国に関税をかけるのか?

  ※ キナ臭い本にトランプ政権にキナ臭い人物がいるのに
    意外ではないのですが、やはりちょっとした驚きです。














 

トランプ台風の動き37…250年以上もの美しいクリーンな石炭がある!

2018-05-19 19:35:17 | 政治・時事; トランプ大統領の創り出す世界とは? そして、民主主義を考える!

煙を吐き出す石炭火力発電所

 トランプ大統領のエネルギー政策は一世紀古い!

【原文】
 America is blessed with extraordinary energy abundance, including more than 250 years worth of beautiful clean coal. We have ended the war on coal, and will continue to work to promote American energy dominance!

 (google翻訳)
 アメリカは250年以上もの美しいクリーンな石炭を含む特別なエネルギー豊富に恵まれています。私たちは石炭戦争を終わらせ、アメリカのエネルギー支配を促進するために引き続き働きかけます!

 (凡太郎)
 アメリカは250年以上の美しくクリーンな石炭の価値を含んで特別に多量のエネルギー
 資源を与えられています。我々は石炭に関する争いを止めて、そしてアメリカのエネルギー
 の優越性を推進する為に働き続けるのです。

 
 ① トランプ政権後のアメリカのエネルギー政策予測
     「環境ビジネス オンライン」
井熊 均 2017年03月06日号掲載 (一部引用)

オバマ政権下でパリ協定の批准に向けて積極的に動いたアメリカだが、歴史的に見ると必ずしも地球温暖化対策に積極的な国だったとは言えない。アメリカが地球温暖化対策の推進に一枚岩になれないのは、広い国土の中を動き回る活発な経済活動と広々とした生活空間がアメリカの豊かさを支えている、という意識があるからだ。

そうした活動を支える最も重要な社会基盤であるエネルギーのコストを低く保てるかどうか、はアメリカの政策にとって必達の課題なのである。もちろん、アメリカでも地球温暖化対策を重視する人はたくさんいるが、ドイツのように電気料金を大幅に上げてまで温暖化に対応しようとする政策が全米で受け入れられるとは考えにくい。

アメリカの経済性重視のエネルギー政策は今後一層強まると考えられる。トランプ大統領が化石燃料の開発を妨げていた規制を撤廃し、エネルギー産業重視の政策を進めるからだ。石炭産業を存亡の危機まで追い込み、アメリカの新たな戦略資産であるシェールオイル/ガスを規制した政策は大きく転換されることになるだろう。

 国内の原油生産の減少で衰退しつつあったアメリカの石油精製・石油化学産業はシェール革命で復活した。その上、石油化学など関連産業への投資が拡大し、安いエネルギーを求めて海外からの投資も呼び込み、国内のエネルギー需要を満たし、アメリカを天然ガスの輸出国に変身させた。経済的に見ればいいことづくめのシェールオイル/ガスに関する規制撤廃は、国内の産業と雇用を重視するトランプ政権の方向と整合する。

  ※ 詳しくは、「環境ビジネス オンライン」でご覧ください。
    なかなか良いサイトです。