いや、田舎町ですぜぇ~・・・飲み屋街、屋台通りを一通り歩いてみましたが、まっ、普通に東南アジアのそれでありました。
ただ、隣のタイなどと完全に違うのは、如何わしさは隠されている、と言う感じがするのです。
如何わしいものかない筈は無いのですが、それが社会主義国の姿なのか、簡単に目に付くところには無いのです。
何となくベトナムに似ている・・・そうか、社会主義国かぁ~。
昨晩は屋台通りを歩いていたら日本人の若者に声をかけられ、嬉しくなって座り込み話をした。
他愛ない話だったが、いろいろと面白かった。
2人居て、一人が23歳で、日本を出て三週間目で既に金が無いと言う華奢でよく喋る男。
もう一人は、日本を出て四ヶ月目で、まず、マニラの英語学校で三ヶ月修行をしてアジアデビューをしたと言う、なんだか計画的な21才の若者。
21才の方がマニラでの出来事を語った中に、睡眠薬強盗で30万盗られたという話が合った。
マニラで何処に住んでいたの、と聞けば、パサイだと・・・如何わしくて楽しいところだ。
ああ、二十歳やそこらでマニラの甘い毒に当てられたら人生危ういな、と、思って武勇伝に水を向けると、たった三ヶ月の間にフィリピーナと将来を誓う仲になったとの事。
俺、あんなに熱く女性に接したの初めてでした、と言う彼の目はラオスに居たくないと訴えていて、完全にマニラに向いていた。
マニラでフィリピーナかぁ~・・・懐かしすぎるわぁ、と、思ったし、彼のこれからの事の顛末がほとんど見えていたんだけれども、敢えて黙っていた。
21才の彼曰く、日本で事業をやる資金なんて無理だけど、フィリピンにはまだまだチャンスがある、と語って、フランチャイズの権利が一口10万でビジネスに参加できるのだそうだ。
睡眠薬強盗から何も学んでいないようで微笑ましかった。
そして、これについては忠告してあげた。
それ、随分昔から流行っているねずみ講の一種で、ジョリビー講って言うんだぜ、と言うと黙ってしまった。
23才の彼は饒舌だった。
しかし、現実なのか空想なのか良く分からない話で、たぶん嘘八百なのだろうと思った。
彼の取り留めの無い話は、出国するのに飛行機に乗り遅れチケットを無駄にしたことから始まった。
しかし、搭乗手続きを済ませているのに乗らなかったと言うのは国際線では考えられないので、どこかで読んだ旧い本の話か何かを脚色したのか、と思った。
この人はしきりに金の無いことを言い、帰りのチケットも無いと言う。
明日の目しだいも無いと言うので300バーツを恵んでやった。
彼は喜捨を知っていて、これは喜捨だからと言うと、目の前の金をやっと受け取った。
それまで貰う言われは無いと、手を出さなかったのだ。
随分飲んだ。
ラオビールの大瓶で6~7本を空きっ腹に流し込んだので結構効いた。
つまみは、炭のコンロを片手に売り歩くスルメだった。
海の無いラオスで何故こんなにスルメが、と思って屋台の人に聞いてみると、海が無いから何でもかんでも干物なんだよ、と教えてくれた。
今も昔も海のものはベトナムから来るのだそうだ。
21才の彼がネットで情報を売って金にしている、と面白い事をいった。
どこかの会社に依頼されているのだそうだ・・・ああ、あれか?とピーンくるものが有った。
最近流行のネットライターと言う仕事か?
アレは確か原稿用紙一枚200円程度だったはず。
それでも無収入よりは確実に良い。
ああ、其の手も有ったか、と、思ったが、書くことに義務は感じたくないし、第一安いとはいえ金になる文章は書ける気がしないし。
飲み続けるうちにますます支離滅裂になる23才に、天性の能天気を見た気がした。
生来のいい加減男なのだろうとしか思えない言葉が続く。
時々意地悪く釘を刺す・・・それって何時まで続けられるの?最後は見えてるし、死ぬしかないね・・・うん、すぐに死ぬべきだよ、と、追い込んでみたりした。
人間は生きるか死ぬかしかなくて、より快適に生きるか不自由に生きるか、それの振れ幅を自分に合わせるしかないと思うんだが、マックス貧乏は精神的に自由化と言うと、社会を支配するのが金なんで、金と縁が無いと言うことはとても不自由なんだよね、と、意地悪く言ってみたりした。
かれらは酔っ払ったおっさんの言葉をよく聞いてくれた。
2人に共通の構造は・・・争うのは苦手・・・そんな感じだった。
屋台の勘定は450円だった。
かわいいお姉ちゃんの居る店で飲むはずだった展開が一番予期していなかった方向へとズレた。
ああ、旅って、面白い。
ただ、隣のタイなどと完全に違うのは、如何わしさは隠されている、と言う感じがするのです。
如何わしいものかない筈は無いのですが、それが社会主義国の姿なのか、簡単に目に付くところには無いのです。
何となくベトナムに似ている・・・そうか、社会主義国かぁ~。
昨晩は屋台通りを歩いていたら日本人の若者に声をかけられ、嬉しくなって座り込み話をした。
他愛ない話だったが、いろいろと面白かった。
2人居て、一人が23歳で、日本を出て三週間目で既に金が無いと言う華奢でよく喋る男。
もう一人は、日本を出て四ヶ月目で、まず、マニラの英語学校で三ヶ月修行をしてアジアデビューをしたと言う、なんだか計画的な21才の若者。
21才の方がマニラでの出来事を語った中に、睡眠薬強盗で30万盗られたという話が合った。
マニラで何処に住んでいたの、と聞けば、パサイだと・・・如何わしくて楽しいところだ。
ああ、二十歳やそこらでマニラの甘い毒に当てられたら人生危ういな、と、思って武勇伝に水を向けると、たった三ヶ月の間にフィリピーナと将来を誓う仲になったとの事。
俺、あんなに熱く女性に接したの初めてでした、と言う彼の目はラオスに居たくないと訴えていて、完全にマニラに向いていた。
マニラでフィリピーナかぁ~・・・懐かしすぎるわぁ、と、思ったし、彼のこれからの事の顛末がほとんど見えていたんだけれども、敢えて黙っていた。
21才の彼曰く、日本で事業をやる資金なんて無理だけど、フィリピンにはまだまだチャンスがある、と語って、フランチャイズの権利が一口10万でビジネスに参加できるのだそうだ。
睡眠薬強盗から何も学んでいないようで微笑ましかった。
そして、これについては忠告してあげた。
それ、随分昔から流行っているねずみ講の一種で、ジョリビー講って言うんだぜ、と言うと黙ってしまった。
23才の彼は饒舌だった。
しかし、現実なのか空想なのか良く分からない話で、たぶん嘘八百なのだろうと思った。
彼の取り留めの無い話は、出国するのに飛行機に乗り遅れチケットを無駄にしたことから始まった。
しかし、搭乗手続きを済ませているのに乗らなかったと言うのは国際線では考えられないので、どこかで読んだ旧い本の話か何かを脚色したのか、と思った。
この人はしきりに金の無いことを言い、帰りのチケットも無いと言う。
明日の目しだいも無いと言うので300バーツを恵んでやった。
彼は喜捨を知っていて、これは喜捨だからと言うと、目の前の金をやっと受け取った。
それまで貰う言われは無いと、手を出さなかったのだ。
随分飲んだ。
ラオビールの大瓶で6~7本を空きっ腹に流し込んだので結構効いた。
つまみは、炭のコンロを片手に売り歩くスルメだった。
海の無いラオスで何故こんなにスルメが、と思って屋台の人に聞いてみると、海が無いから何でもかんでも干物なんだよ、と教えてくれた。
今も昔も海のものはベトナムから来るのだそうだ。
21才の彼がネットで情報を売って金にしている、と面白い事をいった。
どこかの会社に依頼されているのだそうだ・・・ああ、あれか?とピーンくるものが有った。
最近流行のネットライターと言う仕事か?
アレは確か原稿用紙一枚200円程度だったはず。
それでも無収入よりは確実に良い。
ああ、其の手も有ったか、と、思ったが、書くことに義務は感じたくないし、第一安いとはいえ金になる文章は書ける気がしないし。
飲み続けるうちにますます支離滅裂になる23才に、天性の能天気を見た気がした。
生来のいい加減男なのだろうとしか思えない言葉が続く。
時々意地悪く釘を刺す・・・それって何時まで続けられるの?最後は見えてるし、死ぬしかないね・・・うん、すぐに死ぬべきだよ、と、追い込んでみたりした。
人間は生きるか死ぬかしかなくて、より快適に生きるか不自由に生きるか、それの振れ幅を自分に合わせるしかないと思うんだが、マックス貧乏は精神的に自由化と言うと、社会を支配するのが金なんで、金と縁が無いと言うことはとても不自由なんだよね、と、意地悪く言ってみたりした。
かれらは酔っ払ったおっさんの言葉をよく聞いてくれた。
2人に共通の構造は・・・争うのは苦手・・・そんな感じだった。
屋台の勘定は450円だった。
かわいいお姉ちゃんの居る店で飲むはずだった展開が一番予期していなかった方向へとズレた。
ああ、旅って、面白い。