結構強い雨が降っています。
日中は夏空で暑かったんですが、雨が降ると涼しくなって良い感じです。
今日も今日とて特別な事は無く、すっかりルーティンワークになった造園科の授業を普通にこなした一日でした。
造園科の日課の草むしりや草刈り、野菜や花への施肥や堆肥の管理。
そして花壇の手入れと大根の種蒔きは造園科よりも園芸科の一日だったのですが、金曜日はそれと決まっているので慣れました。
プロの先生が教えているのに生徒が余計な口は挟めず黙っていましたが、石の多い固い畑に大根の種を蒔いても大した収穫は望めないと思いました。
しかも少し遅いし。
さて、と・・・今日も変化の無い一日と言う事は、書くべきネタも無いと言う事でして、だったら黙って寝ちまえば良いモノをノコノコと出て来る訳です。
ああ、雨脚が一段と強くなってまるでフィリピンの雨みたいです。
雨期のころの午後、こんな風に強い雨がどっと降って来ますが、ふと気がつくと止んでいるのでした。
あっ、プーケットの雨期の雨もこんなでしたね。
そっかぁ・・・我が家地方は只今、束の間の熱帯地方なのかも。
もうすぐ誕生日がやって来る・・・嬉しくも無いけれど、だからとて歳をとるのは嫌では無く、また一つ増えたなと、しばし独特の感傷に浸ったりします。
齢って年齢じゃないと思うようになりましたね、近頃は。
ナントも説明し難いんですが、どれだけ変化に対応して行きて来たか?
やはり上手く言えませんねぇ・・・下品な言葉ですが「修羅場の数」が年齢なのかなと思うのです。
まっ、人それぞれの人生ですから何を持ってして修羅場だったのかも曖昧な話しなのですが。
今の年齢の丁度半分だった30年前を思い出してみると、人生の持ち時間が結構少なく有限である事に気がついていませんでした。
可能性を探り足掻き、失敗しては打ち拉がれ、また根拠の無い希望を背負って立ち上がり前を目指した。
今思うとこんな場面もお笑いぐさなのですが当時は真剣に悩んだ物でした。
どうしようかと悩むのは答えが無いから・・・答えが無いのに考えたって無駄なのに悩んでみるのは、目の前の現実ではなく人生そのものへの不安が為す事であって行くべき方向なんてどうでも良かったんだと今なら笑って言えますが。
若いころから「足るを知る」なんて気持ちでは何も出来なかったかも知れない?
少し前まではそんな事も思っていたのですが今は違います。
何かをする必用が有るのか無いのか、何もしなくて良い人生が有ってもおかしく無いと思うようになりました。
面倒な言葉の螺旋にはまり込む前に軽く流しますが・・・生きるなんて事に意味は無いし、目的など持つ必用も無く、唯生きれば良かったんだと思ったのはつい最近の事です。
そうしたかったらすれば良いだけの事で、したく無いからしないで良かったのに、誰と競っていたのか私の人生は、見えない何かに勝ち続けないと自分が自分を許さなかった。
あっ、雨がやんでいる。 吹き込む風が涼しい。
今呑んでいるのはユスラウメの梅酒ロックです・・・47度は効くなぁ。
山に登ったら必ず降りるし。
降りたら、登ったと言う記憶は残るけれどもそれは過去の事。
登った山の頂きにとどまる事は無い・・・ナンチャって、当たり前の事をしたり顔で語る我は、唯の酔っぱらいです。
ここが好きなんじゃない 花が咲いたらここだった
ナンの因果でアジサイにぶら下がって実ったか?
伸びて来たらフェンスの外でぶら下がった
生まれるって、偶然ですし、その時も所も偶然でしょう。
そう言う始まりに必然が有るとすれば・・・生まれたら死ぬってことだけだと思うんですが・・・う~ん もう2~3杯のんで潰れながら寝たい今夜です。
日中は夏空で暑かったんですが、雨が降ると涼しくなって良い感じです。
今日も今日とて特別な事は無く、すっかりルーティンワークになった造園科の授業を普通にこなした一日でした。
造園科の日課の草むしりや草刈り、野菜や花への施肥や堆肥の管理。
そして花壇の手入れと大根の種蒔きは造園科よりも園芸科の一日だったのですが、金曜日はそれと決まっているので慣れました。
プロの先生が教えているのに生徒が余計な口は挟めず黙っていましたが、石の多い固い畑に大根の種を蒔いても大した収穫は望めないと思いました。
しかも少し遅いし。
さて、と・・・今日も変化の無い一日と言う事は、書くべきネタも無いと言う事でして、だったら黙って寝ちまえば良いモノをノコノコと出て来る訳です。
ああ、雨脚が一段と強くなってまるでフィリピンの雨みたいです。
雨期のころの午後、こんな風に強い雨がどっと降って来ますが、ふと気がつくと止んでいるのでした。
あっ、プーケットの雨期の雨もこんなでしたね。
そっかぁ・・・我が家地方は只今、束の間の熱帯地方なのかも。
もうすぐ誕生日がやって来る・・・嬉しくも無いけれど、だからとて歳をとるのは嫌では無く、また一つ増えたなと、しばし独特の感傷に浸ったりします。
齢って年齢じゃないと思うようになりましたね、近頃は。
ナントも説明し難いんですが、どれだけ変化に対応して行きて来たか?
やはり上手く言えませんねぇ・・・下品な言葉ですが「修羅場の数」が年齢なのかなと思うのです。
まっ、人それぞれの人生ですから何を持ってして修羅場だったのかも曖昧な話しなのですが。
今の年齢の丁度半分だった30年前を思い出してみると、人生の持ち時間が結構少なく有限である事に気がついていませんでした。
可能性を探り足掻き、失敗しては打ち拉がれ、また根拠の無い希望を背負って立ち上がり前を目指した。
今思うとこんな場面もお笑いぐさなのですが当時は真剣に悩んだ物でした。
どうしようかと悩むのは答えが無いから・・・答えが無いのに考えたって無駄なのに悩んでみるのは、目の前の現実ではなく人生そのものへの不安が為す事であって行くべき方向なんてどうでも良かったんだと今なら笑って言えますが。
若いころから「足るを知る」なんて気持ちでは何も出来なかったかも知れない?
少し前まではそんな事も思っていたのですが今は違います。
何かをする必用が有るのか無いのか、何もしなくて良い人生が有ってもおかしく無いと思うようになりました。
面倒な言葉の螺旋にはまり込む前に軽く流しますが・・・生きるなんて事に意味は無いし、目的など持つ必用も無く、唯生きれば良かったんだと思ったのはつい最近の事です。
そうしたかったらすれば良いだけの事で、したく無いからしないで良かったのに、誰と競っていたのか私の人生は、見えない何かに勝ち続けないと自分が自分を許さなかった。
あっ、雨がやんでいる。 吹き込む風が涼しい。
今呑んでいるのはユスラウメの梅酒ロックです・・・47度は効くなぁ。
山に登ったら必ず降りるし。
降りたら、登ったと言う記憶は残るけれどもそれは過去の事。
登った山の頂きにとどまる事は無い・・・ナンチャって、当たり前の事をしたり顔で語る我は、唯の酔っぱらいです。
ここが好きなんじゃない 花が咲いたらここだった
ナンの因果でアジサイにぶら下がって実ったか?
伸びて来たらフェンスの外でぶら下がった
生まれるって、偶然ですし、その時も所も偶然でしょう。
そう言う始まりに必然が有るとすれば・・・生まれたら死ぬってことだけだと思うんですが・・・う~ん もう2~3杯のんで潰れながら寝たい今夜です。