暇だったのでPCで台湾のホテルの位置を確認などしていた。
予約したAgodaのページの説明では台北駅から650メートルというのだが、google mapで調べるとどー見ても1キロを超える。
まっ、直線距離で測っているのはいつものことですが、1キロならばタクシーに乗っても良いかなと思う距離です。
初乗り料金は1.2キロくらいで、今年の5月と変わってなければ270円くらいだったはず。
まぁ300円なら苦労して探すよりもタクシーでと言いたいところですが、それでは街の空気感や匂いが薄まってしまうので歩く所存ではあります。
台北駅には距離にして1キロ以上の地下街が通っていてそこはショッピングモール・・・と、いうよりは屋台かで店の雰囲気でありましょうか。
まっ、それが通っていて東側の1番から西側の、たしか24番くらいまであったはず。
で、調べた結果、20番で南側に出て重慶南路1段を南に歩き、南封街1段の交差点を西へ、とこんなシミュレーションをしてみた次第であります。
先ほど調べたら手持ちの台湾のお金は3000元ほどありましたのでタクシー代は余裕です。
そんな訳で今夜の行き先はたぶん迷わないと思うので、夜遅くても近くで一杯やれるところはないかと調べてみました。
が、台湾というのは日本のように路地に小料理屋があって軽く一杯、なんて条件は少ないようで、呑むならいわゆる飲食街へ出向かないとダメなようであります。
ずいぶん前・・・と言っても7~8年前と思うのですが台北駅のそばに宿泊して路地裏の飲み屋を探索した記憶があるんですが、それが何処であったのか分からないのです。
さて、色々探しているうちにヒットしたのが日本で言うところの「風俗関係」であります。
私は台湾のその手の事情には疎くてさっぱりなんですが、やはり、アジアなんですね。
と、いうよりも自分が訪れた国のすべてにその手のものは存在した訳で、世界でも極貧と言われるネパールの田舎にもそれはありましたから、商売と言いますか職業としては万国共通なのでしょう。
さて、台湾の風俗なんですが、台湾経由での行き先がその方面では一部マニアに絶賛人気のアンへレスなので実践する気は無いのですが、街の雰囲気は見たいと思ったのであります。
しかし、仙台には国分町という歓楽街がありますがそぞろ歩いたとて何も面白いことは無い訳でして、そこは少しなりとも銭を握って扉を開け腰を下ろさ無いとムフフやエヘヘな世界は覗け無いと思うのであります。
そんな訳で調べた結果は森林北路という道筋にそれらは展開されているらしいのですが、そこは5月に訪れた際に泊まった宿からほど近いのです。
へぇ・・・気がつかなかった、であります。
若かりし頃からアジア全域を股にかけムフフとエヘヘな世界に没頭してきたと自負する私がそれと気付かずに見過ごした風俗や飲屋街・・・そんな事って有り得るか、と私の自尊心が揺らいだのであります。
あれです・・・地べたにプラスチックの椅子を置き七輪で鶏の足とか頭を炙ってツマミにしてドブロクを飲ませていたラオスの飲み屋でも、私はその状況の中からムフフなことやエヘヘなことに通じる道があるのを見抜いた眼力がある訳です。
そんな自分が見逃した台湾の風俗・・・見過ごす訳にはいかなくなったと、使命感に燃えたのですが、そこではたと気がつきました。
もう若く無いさと君に言い訳したねぇ・・・と。
そう・・・あの頃のように擦り減ったビーサンをペタペタ言わせてアジアの国の路地を徘徊し、野良犬の糞を踏んでは癇癪を起こしつつもムフフなことやウフフなことを探し当てては痛い目にあい、エヘヘと笑ってごまかせた若さはもう無いのであります。
やっぱしアンへレスで馴染みの店でビール片手に怠惰に過ごす夜がお似合いですね。
予約したAgodaのページの説明では台北駅から650メートルというのだが、google mapで調べるとどー見ても1キロを超える。
まっ、直線距離で測っているのはいつものことですが、1キロならばタクシーに乗っても良いかなと思う距離です。
初乗り料金は1.2キロくらいで、今年の5月と変わってなければ270円くらいだったはず。
まぁ300円なら苦労して探すよりもタクシーでと言いたいところですが、それでは街の空気感や匂いが薄まってしまうので歩く所存ではあります。
台北駅には距離にして1キロ以上の地下街が通っていてそこはショッピングモール・・・と、いうよりは屋台かで店の雰囲気でありましょうか。
まっ、それが通っていて東側の1番から西側の、たしか24番くらいまであったはず。
で、調べた結果、20番で南側に出て重慶南路1段を南に歩き、南封街1段の交差点を西へ、とこんなシミュレーションをしてみた次第であります。
先ほど調べたら手持ちの台湾のお金は3000元ほどありましたのでタクシー代は余裕です。
そんな訳で今夜の行き先はたぶん迷わないと思うので、夜遅くても近くで一杯やれるところはないかと調べてみました。
が、台湾というのは日本のように路地に小料理屋があって軽く一杯、なんて条件は少ないようで、呑むならいわゆる飲食街へ出向かないとダメなようであります。
ずいぶん前・・・と言っても7~8年前と思うのですが台北駅のそばに宿泊して路地裏の飲み屋を探索した記憶があるんですが、それが何処であったのか分からないのです。
さて、色々探しているうちにヒットしたのが日本で言うところの「風俗関係」であります。
私は台湾のその手の事情には疎くてさっぱりなんですが、やはり、アジアなんですね。
と、いうよりも自分が訪れた国のすべてにその手のものは存在した訳で、世界でも極貧と言われるネパールの田舎にもそれはありましたから、商売と言いますか職業としては万国共通なのでしょう。
さて、台湾の風俗なんですが、台湾経由での行き先がその方面では一部マニアに絶賛人気のアンへレスなので実践する気は無いのですが、街の雰囲気は見たいと思ったのであります。
しかし、仙台には国分町という歓楽街がありますがそぞろ歩いたとて何も面白いことは無い訳でして、そこは少しなりとも銭を握って扉を開け腰を下ろさ無いとムフフやエヘヘな世界は覗け無いと思うのであります。
そんな訳で調べた結果は森林北路という道筋にそれらは展開されているらしいのですが、そこは5月に訪れた際に泊まった宿からほど近いのです。
へぇ・・・気がつかなかった、であります。
若かりし頃からアジア全域を股にかけムフフとエヘヘな世界に没頭してきたと自負する私がそれと気付かずに見過ごした風俗や飲屋街・・・そんな事って有り得るか、と私の自尊心が揺らいだのであります。
あれです・・・地べたにプラスチックの椅子を置き七輪で鶏の足とか頭を炙ってツマミにしてドブロクを飲ませていたラオスの飲み屋でも、私はその状況の中からムフフなことやエヘヘなことに通じる道があるのを見抜いた眼力がある訳です。
そんな自分が見逃した台湾の風俗・・・見過ごす訳にはいかなくなったと、使命感に燃えたのですが、そこではたと気がつきました。
もう若く無いさと君に言い訳したねぇ・・・と。
そう・・・あの頃のように擦り減ったビーサンをペタペタ言わせてアジアの国の路地を徘徊し、野良犬の糞を踏んでは癇癪を起こしつつもムフフなことやウフフなことを探し当てては痛い目にあい、エヘヘと笑ってごまかせた若さはもう無いのであります。
やっぱしアンへレスで馴染みの店でビール片手に怠惰に過ごす夜がお似合いですね。
今日から6連休・・・時給の労働者には嬉しくもあり悲しくもあり、です。
なんとなれば、休みはそのまま収入減になる訳でして手放しでは喜べない。
だったら働いていろ、となる訳ですが、タイヤも浮き袋も空気を入れ続けたらいつかは破裂しちまう訳で、どこかで抜かないと身がもたないのであります。
今年の自分は労働者であったなとしみじみ思います。
肉体的奮闘という意味では生涯でもかなり上位の稼働率だったと思います。
まっ、植木屋といいますか、造園屋の真似事などしたのがアレなんですが、来年もそんな仕事があるとは思えないので今年は偶々でありましょう。
労働・・・なんとなく重い響きの文字であります。
労・・・すぐに思い浮かぶのは「苦労」「疲労」「過労」と重苦しい意味が出る訳であります。
で、労を調べて納得であります。
出典『角川新字源 改訂新版』
旧字は、会意。力と、熒(けい)(𤇾は省略形。家が燃える意)とから成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す。教育用漢字は省略形による。
で、こなたWikiによると・・・労(ろう)とは律令制の官人が官職に勤務すること及びその勤務期間を指す。労効(ろうこう)ともいう。また、特定の官職における勤務期間を年労(ねんろう)とも称した。・・・とあるわけです。
で、労働の働は、これこそ文字どおりでして人が動く、で成ったものだそうであります。
そういうことだと「動」も気になる訳ですが・・・
出典『角川新字源 改訂新版』
形声。力と、音符重(チヨウ)→(トウ)とから成る。仕事をする、ひいて「うごく」意を表す。
と、いうことで意外や驚きの説明は無く、そう言うことですか、でありました。
うーん・・・「労働」の響きに重いものを感じて掘ってみましたが、意に反して大して深くなかったであります。
貴方は「労働」好きですか❓
私は働くのは嫌いですが報酬は好きであります。
で、仕事に生き甲斐とかも見出せない人でして、やれそうな役務の中で己の心身に苦の少なそうなものを選択している訳であります。
とは申しましても、この歳になってもやってみるまでは判らないんですけれども。
余談ですが、自分に合った仕事を探すとか言える人って凄いと思います。
ましてや大した量の仕事をこなした経験もない若い者が言うのを聞くと「その前に自分ってなんだか分かっているのか」なんて斜めに見てしまうのであります。
さらに余談ですが・・・これっていろんな処に当てはまる訳でして、対人関係とか、生活全般に言えると思うんであります。
言ってみれば、生きていくのは労多いものだけれども、その中でも自分に合った不幸を選べればそれが幸である・・・なんちゃって。
なんとなれば、休みはそのまま収入減になる訳でして手放しでは喜べない。
だったら働いていろ、となる訳ですが、タイヤも浮き袋も空気を入れ続けたらいつかは破裂しちまう訳で、どこかで抜かないと身がもたないのであります。
今年の自分は労働者であったなとしみじみ思います。
肉体的奮闘という意味では生涯でもかなり上位の稼働率だったと思います。
まっ、植木屋といいますか、造園屋の真似事などしたのがアレなんですが、来年もそんな仕事があるとは思えないので今年は偶々でありましょう。
労働・・・なんとなく重い響きの文字であります。
労・・・すぐに思い浮かぶのは「苦労」「疲労」「過労」と重苦しい意味が出る訳であります。
で、労を調べて納得であります。
出典『角川新字源 改訂新版』
旧字は、会意。力と、熒(けい)(𤇾は省略形。家が燃える意)とから成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す。教育用漢字は省略形による。
で、こなたWikiによると・・・労(ろう)とは律令制の官人が官職に勤務すること及びその勤務期間を指す。労効(ろうこう)ともいう。また、特定の官職における勤務期間を年労(ねんろう)とも称した。・・・とあるわけです。
で、労働の働は、これこそ文字どおりでして人が動く、で成ったものだそうであります。
そういうことだと「動」も気になる訳ですが・・・
出典『角川新字源 改訂新版』
形声。力と、音符重(チヨウ)→(トウ)とから成る。仕事をする、ひいて「うごく」意を表す。
と、いうことで意外や驚きの説明は無く、そう言うことですか、でありました。
うーん・・・「労働」の響きに重いものを感じて掘ってみましたが、意に反して大して深くなかったであります。
貴方は「労働」好きですか❓
私は働くのは嫌いですが報酬は好きであります。
で、仕事に生き甲斐とかも見出せない人でして、やれそうな役務の中で己の心身に苦の少なそうなものを選択している訳であります。
とは申しましても、この歳になってもやってみるまでは判らないんですけれども。
余談ですが、自分に合った仕事を探すとか言える人って凄いと思います。
ましてや大した量の仕事をこなした経験もない若い者が言うのを聞くと「その前に自分ってなんだか分かっているのか」なんて斜めに見てしまうのであります。
さらに余談ですが・・・これっていろんな処に当てはまる訳でして、対人関係とか、生活全般に言えると思うんであります。
言ってみれば、生きていくのは労多いものだけれども、その中でも自分に合った不幸を選べればそれが幸である・・・なんちゃって。