じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

あれが欲しい・・・

2020-01-05 12:24:34 | 日記的雑談
皆さん、私はあれが欲しいんですが、しかし誰もくれない・・・くれない❓

命くれない・・・を歌ったのは瀬川瑛子でしたが、今は無関係であります。

あれです・・・gooブログには「いいね」というのがあるんですが、ブログを開設して120日もなるのに私ゃ一つの「いいね」も頂けていないわけです。

「いいね」が無いという事は裏を返せば「よくない」のかと思うと切なくて心が傷むのであります・・・なんちゃって。


令和二年一月五日の朝日 1


令和二年一月五日の朝日 2

どっちも同じ朝日なんですが皆様はどっちが好きですか❓ 
なぁにぃ~❓ どっちも嫌いですとぉ~❓ 

だからそういう冷たい事言うなょなぁ~ 新年早々悲しくなるでしょう

いや、自分の部屋の窓からパチリとやるだけのお写真なんですが、それでも少しは考えるわけであります。

で、朝日、というなら下の写真だろうけど自分の好きなのは上だよな、なんて思うわけであります。

なんと申しましょうか、以前はお日様を概ね左に置いていたんですが今は右に置くのが気に入っているわけです。
いや、どっちも似たようなもんなんですけど、自分としては脇役といいますか、お日様を際立たせる絶好の相棒は雲だと思うのでお日様が小さくなっても雲を多めに入れたくなるのであります。
その結果、右側は山が高くなり雲が入り難くいのでこんな図柄になると・・・。

なんですとぉ~ 講釈を聞いたからってダメなものはダメ、ですとぉ~ そだねぇ~





雪になりました

お日様を見ていたら雪が降ってきました。
風はないので吹雪じゃ無いのですが降り方が激しく景色が霞んでしまいました。

いや、我が家地方では、朝焼が赤い時の空気は水蒸気が多いわけでいずれ崩れるんであります。

で、今日の雪を撮って、人間の目ってのは凄いものだと感心したわけであります。
なんとなれば、目で見たものは面白い風景だったのに撮ってみたらなんだこりぁ~で、愕然とするのであります。

まっ、小さな画面に入りきらない自然の大きさという壁は知っているつもりなんですが、
それにしても雪の降る風景は何度撮っても上手くいった試しがありません。

いや、わかっているんであります。
写真は光を撮るってことで光が少なく色もほとんど白だけとなれば際立ったものが写る道理が無いのであります。

まっ、自分が、降っている雪を主体に上手く撮ったのを見た記憶が無いだけで、たぶん撮っている人はたくさんいるんでありましょうけれども。

で、人間の目ってのは曖昧で茫洋な中に雪の粒を見てしまうから凄いと思うんであります。

いや、技巧的に見えるようにする手段が無くは無いけれども、出た目の写真が好きな自分流とは違うので加工はしない前提であります。

まっ、ヘボが何を語るか、と言われればそこまでなんですが、おおっ、と思って撮った雪の写真が思いの外不出来だったことの言い訳を考えてみた次第であります。

おおっと・・・時間・・・じゃ無いな。

2時半からバイトなんであります。



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あと360日ですよ

2020-01-05 10:41:29 | 日記的雑談
光陰矢の如し 少年老い易く 学成り難し

マジで65歳までを振り返ると瞬く間でありまして、遠すぎる昔は夢か現か自分でもあやふやであります。

そして、少年を過ぎ青年期を超え、おっさんと名乗ったのもつかの間、もはやジジイと呼ばれることに何の抵抗も無い歳になりました。

一番身にしみるのが「学成り難し」でありまして、この年まで来ちまうと、もはや無学無知のまま逝くのは確定であります。

そして、自分の無学を振り返った時、せめて、せめて微積分とは言わないけれども因数分解までは修めたかったとしみじみ思うんであります。

いや、これ半分ほんとーでして、中学もまともに終わっていない自分の劣等感とでも申しましょうか・・・あっ、これが世に言うトラウマなのかな❓

あと何年生きますかね❓
これがわかったらこの先の生き様も決めやすいんですが、神も仏も教えてはくださりませぬ。

いや、いつ死ぬかわからないから生きる醍醐味があるとも言えますかね❓

あれです・・・60を過ぎた頃から死生観を考えるようになったわけです。

死に向かって生きる・・・けど、自分も含めて大概は明日死ぬとは思っていないわけでして、下手したら90過ぎの年寄りでも死ぬ事なんか考えていない風な人がい流わけです。

たぶん、死ぬまでは生きているんだから気にするな、捉われるな、が正解なんでありましょうけど、自分は残り時間を知りたいのであります。

残り時間を知る最大のメリットは、銭の計算であります。

残りの生涯で食う飯の数が割り出せれば、米味噌醤油を買う銭勘定ができるわけであります。

そして、残り日数分の缶ビールも、まっ、多少の値上がり等の誤差はありましょうが、おおよその見当つくわけです。

と、いう事で、銭が無いと生きられない現代においては死ぬ日がわかるメリットは絶大だと思うんであります。

いや、ダメか❓
辛い人生を送っていて余りに長い老い先など示されたら自殺してしまうかもしれない・・・そっか、自分みたいに能天気な人ばかりとは限りませんから自分が死ぬ日は知らない方が良いのかも、ですね。

この話は行き詰まったのでおしまいです。




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