一家庭に2枚の布マスクを配ると、風の噂に聞いたんだけれども、私はまだ受け取っていません。
巷では、カビが生えたマスクだったとか、小さすぎて子供用か?と、騒がれている訳ですが、現物を見ていないので何も言えず社会から取り残された感は否めません。
皆さんは貰いましたか?
私は、どんな品でも良いので欲しいであります。
で、それがとんでもない物なら、それはそれでブログのネタになるし、素晴らしい物であれば安倍ちゃんを褒めるネタに使おうと思っている訳です・・・だから俺にもマスクをくれ、であります。
こんな記事を見つけました・・・朝日新聞なので嫌いですが、まっ、仕方が無い。
いや、頭脳明晰なんでしょうなぁ・・・そして、人に読ませる論文に慣れているんでしょうなぁ〜参りました。
ボンクラ頭で反論しようとしても隙が無く、恐らくは「お前のかぁちゃんデベソ〜」になってしまうので迂闊に返せません。
なんと申しましょうか、安倍の政治の良し悪しは別にし、また論文の好き嫌いを抜きにして読むと、頭の体操には良く効きました・・・久しぶりに左巻きに納得させられそうなり、安倍ちゃん応援団として反省するところであります。
しかし、アベノマスクは安倍ちゃんは殆ど与り知らない所で案が生まれ、具体的な図面も官僚が書いたんでありましょう。
で、その過程では、安倍ちゃんよりも厚労省内部の力関係などが作用し、俺にも一丁噛ませろ的なセンセーも現れ、予算に関しては中抜きが施され、下請けもそれらの息の掛かったところへと流れたんでありましょう・・・と、自分は推測する訳でして、関係省庁の報告と相談にマスク不足に頭を悩ませていた安倍ちゃんは「ソレ良い話しだね、勧めてちょうだい」程度の返事をしたものと思うんであります。
国のトップですから、予算のチェックや再計算や発注元の素性の確認なんて実務はする筈もなく、「善きに計らえ」だったと思うのであります。
で、そういう意味では「官僚神話の崩壊」はお説ごもっとも・・・実践の経験値が低いということは、想像力が働かないということでありまして、ネットの時代には大概のことはバレるのが分かっていなかったバカ官僚と、付随する政治家が安倍ちゃんを追い込んでしまったのがアベノマスクだと思うんであります。
さて、この論文はアベノマスクを入り口にして目指すは安倍政権批判なんですが、しかし、展開は上手であります。
「一生懸命頑張ったから、結果は問われない」のであれば、権力を持つ意味が変わる。より内向きに、限定された中で富を分配し、自分たちだけがセーフティゾーン内に留まることだけが自己目的化する。
安倍政権は「改革はまだ道半ば」と言い、「国難突破」と目先を変え、決して結果を問われることを巧妙に避けてきた。結果を出さず、「頑張っている」と言い続ければ許されるとどこか甘く見ているのである。さらに言えば、他国とは違い、もはやどんな失政があっても「一生懸命」のフリを続ければ、選挙で政権交代されることもないだろうと高を括っているのだ。
安倍政権は「改革はまだ道半ば」と言い、「国難突破」と目先を変え、決して結果を問われることを巧妙に避けてきた。結果を出さず、「頑張っている」と言い続ければ許されるとどこか甘く見ているのである。さらに言えば、他国とは違い、もはやどんな失政があっても「一生懸命」のフリを続ければ、選挙で政権交代されることもないだろうと高を括っているのだ。
これも反論できない・・・風に巧く纏められていまして、思わず頷いてしまいます。
しかし、元衆議院議員のセンセーですから、政治にゴールなんて有り得ないことは百も承知で上手に論点をずらしていますね。
改革は道半ば・・・これは憲法改正を視野に入れた時に安倍ちゃんが言う訳ですが、それを邪魔してんのは筆者である
井戸まさえが籍を置いた民主党以下の野党であります。
国民のニーズはどこにあるのかを伝え、政府の政策の何が問題なのかを指摘しているのに「陰謀論」や「分断」と言った言葉で寄せ付けないのは、さらなる社会の弱体化につながる。皆、命の危機を感じているからこそ、社会的責任として「おかしい」ことを「おかしい」と言っているのであり、分断するために言っているわけではない。
筆者は「おかしい」ことを「おかしい」と言っているのであり、分断するために言っているわけではない。と言いますが、煙の無いところに火を起こそうとする野党の言い掛かり的「おかしい」を国民の疑問と正面切って言われるのには騙されません。
さて、言葉遊びで始めたので中身は元から無いんですが、一応オチはつけたいのでナニしますと・・・日本の国会議員は選挙で選ばれ、その中から総理大臣も選ばれている訳です。
議員の中には私の言葉では日本の国益を損なうのが目的と思しき「反日議員」も当選している訳であります。
それらの言う「おかしい」は私の感覚では「おかしく無い」のであります。
ここ、詭弁の論としてとても大切と思うんですが「おかしい」というニュアンスは言い得て妙であります。
「おかしい」は多分に感覚的で情緒的な表現であり、言って見れば鵺のような言葉と私は思う訳です。
不正なら「不正」といえば良く、悪いなら「悪である」と言い切れないところに私は詭弁を感じるのであります。
まっ、言って仕舞えば・・・おかしいと思うのはあんたの勝手ですけど、であります。
さらに、筆者も書いてますが、実務は官僚なんであります。
いや、監督責任が、と言われるかも知れませんが、それはもう少し下の者の管轄でありまして総理がそこまで目を光らせるなんてのは非現実的でありましょう。
おおっと・・・これ以上書くと・・・いや、すでに支離滅裂ですけど、止めておきます。
嗚呼、良い暇つぶしでありました・・・なんちゃって。