機材満載の軽トラ
アメリカ人のダン
8月某日、アポ島で昼飯を食べていると若い白人の男性が近付いて来てた。
彼は流暢なビサヤ語で私に話し掛けた。
白人コンプレックスを持つ私は英語で話しかけられる事に対して身構えていたので少し拍子抜けした。
と、文字にすると劇画調なのだが実際は、唐突に大声でダイビングの料金を聞いて来たのだった。
流暢なビサヤ語でまくしたてた内容は、フルレンタルのランチ付き2ダイブで1000Pにしろと言うずうずうしい話だった。
しかも、マラタパイから便乗してきたので帰り足が無くドゥマゲッティーまで乗せて行けと言うし。
私は、タンク代とボート代を考えても2500Pが相場だ言ったのだが、彼は1ダイブ10ドルが相場だと言い張った。
そんなダイビングサービスがあるのならそこへ行けと私も強気に出たが、彼のしょんぼりした顔を見てつい、「しょうがねぇーなぁー」と言ってしまった。
彼に日本語が分かるはずは無いのだが、彼はそれを交渉の余地ありの言葉だと思ったらしく、1500Pでどうかと、言葉を和らげて下手に出てきた。
どうせ明日も一人客を乗せてアポに来るので1000Pでも良かったのだが噂が強いので1500で話を決めた。
ダンはセブに住むアメリカ人で、もう7年もこちらで仕事をしているとのことだった。
それにしてもビサヤ語は上手だった。
ビサヤ語も英語も半端な私をからかって彼は、ビサヤ語と英語を教えるからダイビングをタダにしろと言った。
アメリカ人から英語を習うのは魅力的だったので突っ込んで話をすると、セブに来てくれたらなで誤魔化されてしまった。
私はくやしかったのでその後のブリーフィングは日本語で通してやった。
翌日は日本人客をノノイに任せ、ダンは自分がガイドをしたのだが、何が気に入ったのかとても楽しかったと言ってくれた。
握手をしながらまた来るぞと言っ彼に、1500ペソならお断りだと言って見送った。
オカイ・オカイ(Ukai-ukai)
ドゥマゲッティーのとなり街のバーコンでフェスタがあった。
日本で言えば村まつりに当るものだろうと思う。
村祭りには出店がたくさん出る。
店の種類は様々で、アイスクリーム屋、ホットケーキ屋、日本のガマの油売りのような怪し気な薬を売るじいさんやら、おもちゃ屋、履物、鞄、野菜、果物、ブタ、鳥・・・・とにかく手持ちの物を売ろうとする人々が軒を並べる。
フェスタの物売りで一番場所を取っているのは古着屋だ。
古着や古靴などをテントを張った店で売っている。
このような店をオカイ・オカイという。
冷やかしで覗いて歩くと、男女を問わず、下着から豚革のジャンパー、穴の開いたジーンズにフリースのシャツ等、自分はボロ布に見える下着まで売られていた。
ほとんどが海外から送られた中古品である。
日中の気温が30度を超す南国で革のコートや綿入りのジャンパーや日本でも冬用の衣類がたくさん並んでいた。
そして、それを買う人がいるのに驚いた。
ひとりの男がフリースのプルオーバーを買った。
250ペソはけして安い買い物ではないが、男はそでを通して満足そうな笑みを浮かべていた。
彼はフリースを着たままフルフェイスのヘルメットをかぶりバイクに乗って立ち去った。
彼の足元は編み上げのワークブーツで固められていた。
彼の足元は編み上げのワークブーツで固められていた。
日中の炎天下で気温は33度位・・・感覚の違いに驚かされた。
高校生・リトル
近所の高校でMr&Miss.ナンバーワンを決めるコンテストが開かれていると聞いて見に行った。
うちのサービスで時々ガイドをしてもらっているロイの娘のリトルが出ると言うので見に行ったのだ。
このコンテストはペアで出場して歌やダンスを競うのだが、流石に東洋のラテンと言われるフィリピンの高校生でそのノリは素晴らしかった。
このコンテストはペアで出場して歌やダンスを競うのだが、流石に東洋のラテンと言われるフィリピンの高校生でそのノリは素晴らしかった。
歌の部では、目をつむって聞いているとマライアキャリーやセリーヌディオンがぞろぞろと出て来るのだ・・・なぜか女性の声ばかりが聞こえていた。
ダンスも凄かった。
私はダンスなんて全く知らないのだが、見ていて楽しくそして美しかった。
例えばリトルは14才なのだが踊る姿にはもう大人の色気さえあった。
例えばリトルは14才なのだが踊る姿にはもう大人の色気さえあった。
遠いステージを35ミリコンパクトカメラで写したので豆粒だが、リトルのスタイルの良さは分かると思う。
ちなみにリトルはNo.1に輝いたので夜はロイの家で祝賀パーティーでした。
・・・ ではまた
では また
(2003年 9月 書きました)
素晴らしいです。
そう読ませる文章がうまいからだと思います。
またまたぁ〜文章がうまいだなんて・・・知青さんに褒められたら私ゃ空に舞い上がりますよ〜