じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

南風のたより 家を建てる 4

2020-03-09 17:00:12 | 南風の便り
家は建った 確かに建った、が

家は予定より大幅に遅れながらもなんとか格好をつけてきた。
フィリピン人ならとっくに住み始める程度の完成度ではある。
しかし私は、どこまでいっても日本人なのであった。
しかも、筋金入りの頑固おやじでおおむね完成などと言う状態で入居することは気持ちが許さなかった。

12月20日の新居完成パーティーの知らせはもう出してしまっている。
この場合の出したは「口に出した」のであって正式なものでは無いが、関係諸氏津々浦々まで話しは行き渡っているはずだった。
今さら延期など出来ないのだが、2003年12月19日現在メイン会場となるリビングルームは床のタイルも張られていず、壁は今塗っている真っ最中で、トイレはまだベン座が付いていなかった。
トイレのドアの取り付けもまだだったので私は到底この家には住めないのだ。

18と19日は大工が5人入り夜の11時頃まで仕事をした。
大分仕事は進んだが、それでも私には20日に間に合うとは思えなかった。

この残業が面白かった。
5時が定時だが、この日は6時頃まで仕事を続け一旦中止して食事をした。
そして食事の後軽く一杯やる。
その後は仕事をしながらちょっと手を休めては軽く一杯飲んでは仕事を進める。
私は日本式に2割5分増しで日当を払うのかと思ったが、どうも食事代と飲み代を私が持つだけで良く、特別手当ては必要無いと言う事で納得した。

19日の夜はタイル張りの二人は家が近い事もあって12時近くまで働いてくれた。
しかし、9時過ぎからは、仕事をしているのか飲んでいるのか良く分からないところが有ったのは否めない。
早く終わって翌朝早めに来てくれた方がはかどったような気はするが、これがフィリピンスタイルなのだろう。

20日の朝、エリックは相当早く来ていたようだった。
昨日雨で出来なかった外回りを、今は止んでいる雨が降り出す前に片付けてしまう為との事だった。

この日のエリックは無口で、少しの時間も惜しんで作業を続けていた。
それにつられるように他の4人も黙々と働いていた・・・のは午前中だけ。
昼飯の後はペンキ屋を中心に馬鹿話しをしながらのいつものムードに変わって行った。
私はペンキ屋に、客が来た時にみっとも無いので、カウンターだけは塗り終えて欲しいと何度も言ったのだが、急ぐ様子は見せなかった。
後で感じた事だが、鼻歌やお喋りが出た時点で一応の見栄えを確保できる見通しが 立っていたのだろうと思う。

この日、12月20日はジェフリーの娘、ルイーザの誕生日パーティーも兼ねていた。
近くの教会から牧師を呼んでお祈りをしてもらう予定だった。
6時頃から客が来るからと言ってあったにも拘らず牧師は4時少し前に現れた。
4時頃と言えば後片付けの真っ最中で落ち着いて座るところも無い状態だった。
しかし来てしまった者は仕方が無いので、邪魔だったが中で待ってもらった。

最後まで慌てたがなんとか午後6時前には格好がついた。
フィリピン人は働かないとか、仕事は遅くていい加減だとか、仕事に関して良いイメージは皆無だったがここ数日は見直した。
やる時にはやるじゃないかと感心したがそもそもこれ程遅れたのが問題なのだ。
日本なら2ヶ月も遅れたら大騒動になるが、ここはフィリピンなのである。
今夜に間に合ってめでたくパーティーが開かれれば万事はパッピーエンドなのである。



パーティーに先立って待ちくたびれていた牧師が祈りを捧げ、この家に住む者と列席者の健康と繁栄を祈ってくれた。
私は牧師が何を言っているのか見当もつかなかったが、神妙な顔をして少し控えめに、うろうろと牧師の後をついて回った。
新築の家に捧げるお祈りの内容は全く分からなかったが、サントニーニョを祀った祭壇の飾り方は日本の神事のそれと良く似ていた。

中心にサントニーニョ像を置きロウソクを2本立てる。
捧げる花は造花と生花の両方だった。
そして供物は、油と酒、米と水と小銭だった。
縁起物の違いはあっても格好は良く似ていると感心した。

牧師は、聖水を全ての部屋の四隅に振り掛けて短い祈りの言葉を言う。
私は言葉も意味もわからずその後にずるずるとついて回っていた。
次にルイーザの誕生日を祝うお祈りが捧げられて、一通りのややこしい神事は終わった。
私は牧師に、神様への感謝の言葉を述べろと言われて戸惑った。
言葉に詰まっているとルイ-ザの母のハニ-が察して代りに短いスピーチをしてくれてパーティーは始まった。

ドゥマゲッティー在住の日本人が3名、御祝に来てくれたのは大変うれしかった。
100人を超す人たちが銘々に食事をしながら、小さなグループを作って話しをしている。
ジェフリーにどんな人が来ているのかを聞いてみると、ほとんどは私の知らない「近所の人たち」だった。

ダイビングのガイドに警官のロイがいる関係で、庭には赤色灯ならぬ青色灯を回したパトカーが止まっていた。


   ・・・では また・・・

        ではまた

        (2014年 1月 書きました)
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