中下さんからはウルビノがラファエロの故郷であることも教えてもらいました。ほかにもルネサンスの巨匠ブラマンテもすぐ近くの町の出身だそうです。また、アルベルティもこの町に関係しています。
町の中心部にあるパラッツィオドゥカレは今は美術館になっていますが大変美しい古典的なファサードを持っています(下の写真)。これは、ルネサンスのウルビノ領主フェデリコ・ダ・モンテフェルトがフランチェスカやジョルジオマルティーニなどを起用して造ったもので巨匠アルベルティも参加したとも言われています。モンテフェルトの肖像はピエロデルファランチェスカの横顔の絵が有名で、ウフィッツィ美術館にあるそうです。
私たちはまずLa Rampaを経てSanzio Theatreに向かいます。
城壁都市の下(外)と上(まち)を繋ぐのがLa Rampaです。英語で言う斜路rampのことです。城壁の外にある駐車場もデカルロの基本計画によるものですが、この駐車場と上部の街を繋ぐらせん状のランプを再生したのもデカルロです。上の写真の丁度アール上に突出した部分にあります。その上にあるのがSancio Theatreです。デカルノとの最初の出会いに感動して登りましたが、うかつにも写真を撮るのを忘れてしまいました。先回のブログにも出てきたルネサンスの建築家ジョルジオマルティーニが最初につくったものです。ランプのモチーフはデカルロが好んだようで彼のデザインのいたるところに出てくるのを見ることになります。
内容があい前後しますが、デカルノのウルビノ計画の基本的な考え方は、1950年代までの農業経済から観光と大学によるまちの活性化をめざしたものであったようです。そういった意味ではバス広場や観光案内所があるまちの玄関ともいえる駐車場広場(ここの地下には大駐車場があります)と上の街をどう繋ぐのかは重要な意味を持ちます。ルネサンスのまちにふさわしくランプでアクセスさせるというのは建築と都市をつなぐ秀逸なアイデアだと思います。
Sancio Theatreでは市の方も案内してくれました。1970からデカルロによる改修が始まっています。客席はおそらくそれほど改変を加えていないと思います。
しかし、ホワイエは劇場というのは都市的空間(Urban Space)であるという建築家の考えに沿って大幅に改変されたようです。
中下さんが市の人としゃべっています(上の写真)。市の人といっても「役人」風でないのは海外のどの都市に行っても感じることです。
デカルロがあけたトップライトです。パラッツィオドュカレの塔を見せて関係性を作り出しています。この劇場はもともとはその中にあったPascolini Teatreを継承しているからでしょうか。
このほかオーケストラピットなど既存構造を活かしながらいろいろ工夫を加えていました。
ホワイエにデカルロが開けた窓からはウルビノの街を一望することも出来ます(上の写真)。
残念ながら東京でホールのホワイエから周囲の町が見えたら正直なところ興ざめすることも多いのではないでしょうか。彼らのまちではベルディの歌劇とまちは違和感なく繋がっているのでしょう。
天井桟敷から舞台を眺めます。袖舞台や奥舞台は広くありませんがうまく使いこなす伝統があるのだと思います。
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