前川國男と堀江佐吉という偉大な建築家、棟梁の作品は前回までのブログで紹介しました。
今回は趣が変わり、まち並みの話しです。
これまで取り上げた建築はすべてお城の南側にありますが、北側に重伝建地区があるというので足を伸ばしました。弘前城の追手門(亀甲門)は北側にあったそうです。お城の北に面して一筋が町人町(弘前で一番古い亀甲町)、その北側に碁盤目状に屋敷割りを行った上で武士を住まわせました。
まずは、亀甲町の巨大な町家に驚きました。重要文化財石場家住宅です。こみせも長いですね。
一筋の町人地を過ぎるとこのような風景が展開します。
板塀やさわらの生垣、薬医門などが残っています。そのときは気づきませんが、パンフレットによると玄関までの飛び石も残っているそうです。
一部のお宅は市の所有で見学ができます(写真の門と内観は別の住宅です)。
今鶴岡で羽黒手向のまち並み整備に関わっているので、電柱、電線がない(見えない)こと、ガレージの色彩が統一されていることなどが印象に残ります。
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