ブログ仙岩

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大石邦子「明日を信じて」

2021-02-10 05:16:00 | エッセイ
氷雨の中で、山茶花の花がさいている。会津で咲かすには可哀想は花かもしれないが、雪が降ろうと、健康に咲いてくれるピンクの花である。
今年はどんな年になるだろう。何時でも会いたい人に合え、他愛もないおしゃべりを人目気にせずに楽しむことが出きる、そんな日が再びめぐってくれたらどんなにいいだろう。
しかし、コロナの感染が止まるところを知らず、医療現場は崩壊しそうだともいう。いのちと経済が天秤にかけられているような恐ろしさも感じる。それでも、今年中には必ずや新型コロナを乗り越える道が開かれると信じたい。それまでは、夫々が緊張感をもって、出来るかぎり自分で自分を守る外ないのだと思う。自分を守ることはきっと誰かのためにもなる筈だから。
朝の検温、マスク、うがい、手洗い、換気も忘れない。歩けない私には自粛なき生活など望むべくもないが、目に見えない不安と背中合わせの中で、日々働いて下さっている方々を思ったら、これくらい努力は当然なさねばならないと思う。
昨年、左右の腎臓内に石が溜まり、痛みが脇腹から背中を襲う。昔を思えば耐えられない痛みなどないはずなのに、これが老いというものか、ちょっと寂しくなり、母が恋しくなる。
父や母はとうの昔、何の前ぶれもなく一瞬にして亡くなった。父は浴槽の縁に凭れ、母は私の胸に倒れ込んできて、呼べど叫べど。そのままだった。父は。私が静岡の熱海でリハビリをしている時で、真夜中の高速をひたすら帰ってきたが、父は硬く冷たく、まだ若かった。磐梯山を見るたびに、あの日のことを思い出す。志田浜まで来たとき、正面に聳える磐梯山が、父が両手を広げて私を迎えているように見え、山に向かって泣きながら父の名を呼び続けたものだった。
今回のコロナでも、多くの人が愛する家族を失った。手を握ることも、最後の「ありがとう」を言うこともできないまま、遺骨になって戻ってくる。なんと残酷な別れだろう。
明日を信じて、私たち一人一人が、新生活をきちんと守って生きる努力する以外に道はない。