3.11の新地町谷地小屋釣師の津波で亡くなった姪も、この「あなたを忘れない7」に載った。
16日夜の地震から1週間となった23日、相馬市栗津の自宅で死亡した太田悦朗さん(63)の遺族の長女は、太田さんの自宅近くに住んでいる。
長女によると、太田さん夫婦暮らし、しかし地震発生前、1階の奥の部屋に居り、入院中の妻と電話で会話していたという。
その後床に就いた太田さんは、地震の揺れで飛び起き、玄関から外に避難しようとして、玄関先で倒れており、異変に気付いた近所の方に発見されたという。
長女によれば、太田さんは以前から心臓に不安があり、死因は心不全だったという。
倒れていた太田さんの手には携帯電話が握りしめられていた。
建設業に従事し、ゴルフや料理が趣味で、三年前の台風19号の水害、昨年2月13日の地震災害が相次いでおり、皆で「もしもの備え」が必要だと話していたという。
長女は地震後の後片付けで、落ち着きがもどるにつれて、ふと「父はもういないんだ」と、寂しさや悲しさが込み上げてくるかもしれないと目を伏せた。24日福島民報より。
写真は、2011.4.7原発事故で避難先の水戸から帰宅後すぐ撮影した我が家の様子。玄関のガラス戸が倒れてガラス破片で入れず、裏から入ったことを思い出す。
16日夜の地震から1週間となった23日、相馬市栗津の自宅で死亡した太田悦朗さん(63)の遺族の長女は、太田さんの自宅近くに住んでいる。
長女によると、太田さん夫婦暮らし、しかし地震発生前、1階の奥の部屋に居り、入院中の妻と電話で会話していたという。
その後床に就いた太田さんは、地震の揺れで飛び起き、玄関から外に避難しようとして、玄関先で倒れており、異変に気付いた近所の方に発見されたという。
長女によれば、太田さんは以前から心臓に不安があり、死因は心不全だったという。
倒れていた太田さんの手には携帯電話が握りしめられていた。
建設業に従事し、ゴルフや料理が趣味で、三年前の台風19号の水害、昨年2月13日の地震災害が相次いでおり、皆で「もしもの備え」が必要だと話していたという。
長女は地震後の後片付けで、落ち着きがもどるにつれて、ふと「父はもういないんだ」と、寂しさや悲しさが込み上げてくるかもしれないと目を伏せた。24日福島民報より。
写真は、2011.4.7原発事故で避難先の水戸から帰宅後すぐ撮影した我が家の様子。玄関のガラス戸が倒れてガラス破片で入れず、裏から入ったことを思い出す。