ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

白河皆既日食

2022-10-15 04:43:57 | エッセイ

1887年(M20)8月19日白河皆既日食が天門関係者によって観測された記事が、1936年6月18日に50年前の白河日食観測を新聞や

雑誌で特集していた。

「天地忽にして晦冥、太陽・月体に消ゆ、白河町小峰城跡に司天台、不朽に残る貴重な記録」の見出し。

「白光消滅す。皆既末期となる。地上真っ黒」

この白河日食は日本で初めて学術的な皆既日食観測で、観測範囲は東北南部から関東北部と新潟で、

観測地の一つに白河市の小峰城が選定され、アメリカのデビット・トッド博士(白川駅前の旅館に宿泊)ら観測隊がやってきた。

地元で協力したのは、数学塾「不求庵」の旧白川藩士市川方静とその塾生。

当初から悪天候を予想していたので、小峰城(甲班)の他に、3㎞西の水神原(乙班)(現白河市和尚壇)に予備の観測所を設けていた。雷雨は馬の背を分けると言われている。

甲班はトッド博士の望遠鏡で、乙班は市川の発明した市川機で。

やはり当時の天候は午後3時10分月体の右から左に雲が流れる気温24度(当時は華氏温度)。

3時30分21度、雲薄らぐ。3時40分15度雷雨静まる。3時41分13度風静まる。

3時45分10度、皆既初期。3時48分20秒白光消滅。皆既末期。35秒銀線の新月に。鶏の声聞こえる。

3時58分気象新生の感じに。4時42分気象平常に戻る。4時49分50秒太陽左の辺に接する。

この記事が乙班の調査したもので、千葉亀吉が記録した。

エピソードはトッド博士が裸体で水浴び。当時裸体を見せることはご法度で、しかし、まねをする人が現れ警察も苦労したが、その後まもなく水浴びが盛んになったという。

写真は日本初の学術的皆既日食を顕彰する「白河皆既日食の碑」が白河市の城山公園に。

補足、真夏の日中、次第に太陽が隠れ真っ暗に、東北本線が盛岡まで1885年開通し、あまり電灯もない人々はどうとらえたであろう。おそらく恐れおののいたのであろうと想像する。

次に、日本で観測できる皆既日食は2035年9月2日である。13年後である。今から135年前の出来事から148年後に観測できる。

また、今年11月8日に皆既月食が全国で観測でき、光線の影響で赤銅色(ブラッドムーン)に見えるようです。参考はTime10/13号。