5/19(木) 今日も朝から初夏の日差し。その日差しを受けて出勤は十時。昨晩の出撃は19時過ぎと、一時間ほど早かった。「ローカーボ」のカウンターで、口開け客としてHOYA兄いを待った。時をおかず姿を現し、先ずは乾杯!
今度の伊豆への演歌旅のスケジュールを渡してなかったので、先ずはその相談。「なるべく近場で、手軽に済ませたいよね」と、想定どうりの応えがかえってきた。『それじゃ修善寺あたりにしようか?そこならNAKAさんの旅情も、湯の香芳しき演歌もマッチするだろう』と応じた。
ほどなく、上大岡(横浜市)まで物件の査定に出掛けていた悪徳チャンが姿を見せた。顔を見せるなり「と~いわ、疲れた」を連発し、姿をくらまそうとする。「それはねえんじゃないか」と引き止め、一杯やりながら旅の宿、行先について喧々諤々となった。が、落ち着くところは、安くて時間が掛からない処であった。
二軒目の「ちょっぷく」に行くと、どうやら満席の様相。出入り口の前まで、テーブルが出ていた。これじゃ遠慮しておこうと、地下鉄の入り口まで行ったが、「天や」でちょい飲みセットをやってから帰ろうとなった。人形町の交差点を渡って「天や」へ。30~40分いてお開きとなった。パトロール隊も些か草臥れモードである。
そんなことで、学芸大学に着いたのは22時を回ったばかり。駅横のフライショップ「さぼてん」が店仕舞い前で、在庫限り30%Offの札を掛けていた。貧乏オヤジは、この値引きの誘いに弱い。明日の弁当の「カツ煮」にしようと一枚買ったのである。
そんなことで、今朝の弁当は「カツ煮」がメインである。他には、シメジ・人参の豚肉巻とホウレンソウのお浸し、出汁巻卵、豚の燻製であった。
- ショートストーリ 湯 ヶ島 -
人形町パトロール隊の伊豆への小旅行では、湯ヶ島温泉の旅館「湯ヶ島館」を候補に挙げていた。実は、十代の終わりにこの旅館にまつわる或る出来事があった。
当時、三島に下宿をしていた僕は、初夏の或る日、下田に行こうと思い立ち伊豆箱根鉄道で修善寺へ、そこから遅いバスに乗ったがそれは湯ヶ島までのバスだった。終点の湯ヶ島に着くとすっかり日は暮れて、山間の村は闇の中に沈んでいた。終着のバス停に下りたのは若い男と、地元の人らしき三・四人だけ。
其処で気付いたのは湯ヶ島から先へ、下田に行くバスはなく、三島へと引き返すバスも終わっていると云う事実。すっかり困り果てた。ここで宿を取ろうにも持ち合わせが無かった。下田まで行くと、高校の同級生がホテルに就職をしていたのでそこで厄介になろうという甘い考えでいたのだ。
世間知らずの若者の困った顔を見ていたのだろう。全てを読み取ったに違いない若い人が「俺の処に来いよ」と、言ってくれたのだ。否応は無かった。ただほっとした僕は、言葉に甘えて付いて行くことにした。山の中の村は静まりかえって、物音ひとつ聴こえない。その闇の中を、道路から下った細い道を谷川の方へと降りて行く男の後に従った。
谷川沿いの橋の手前に小さなアパートが建っていた。そのアパートの鍵を開ける前にひと言「俺の友達だと言うことにしておけ」といった。小さな土間と、六畳ほどの部屋、窓の向こうから谷川の瀬音が聞こえた。二つ引いた蒲団の手前の蒲団に身を横たえた。ほどなくして電気を消した男はもう一つの蒲団に入った。
部屋の中をつぶさに見る余裕も時間もなかった。電気を消した向こうから瀬音がはっきりと聞こえる。その方向を見ていると、小さな灯りがゆるゆると飛んでいた。ホタルだった。
すっかり寝入っていたが、何かの気配に目が覚めた。すると、枕元をまたいで向こう側の蒲団の方に出した足元が見えた。女性の足だった。それで合点がいった。男と一緒に暮らす女が遅くになって帰って来たのだ。「俺の友達にしとけ」と言った男の言葉が分った。二人で暮らす部屋に、見ず知らずの僕を泊めてくれたのだ。
いつの間にか眠っていた。目覚めると夜が明け、男は出掛ける仕度をしていた。女は未だ眠っていたろうが、覚えがない。土間を出ると、細い糸のような雨が降っていた。
男が差し掛けてくれた番傘に入り、杉木立の細道を上のバス通りへと歩いた。深い闇と、谷川の瀬音、糸のような雨と杉木立の山道。それが初めての湯ヶ島の印象として残る。見ず知らずの若者を泊めてくれた男、男の差し掛けた傘に書いてあった「湯ヶ島館」の墨痕。きっと、この旅館で働いているに違いない。
あれから半世紀にもなろうとしているが、湯ヶ島の闇の深さとあの一夜のことは忘れられないでいる。