オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

思えば長い・・・歳月が、

2018-02-16 | Weblog

2/16(金) 昨日、かつての部下(この言葉は好きじゃないが敢えて)KATUTA君が、愛媛県の山中から奥さんと一緒に東京に来た。今夕「奈加野」にて、KATUTAの盟友TERASHIMA君が横須賀から来て、一献交わすことになっている。

先輩で上司でもあったMASUDAさんはインフルエンザに罹ったと、昨日連絡があった。久しぶりにお会いできると、愉しみにしていたので残念だ。TERAは、MASUDAさんの下で、物流改革に汗を流した。

カッチャんは、スタッフが減り続ける中で、減らない業務量に悪戦苦闘した。私は悪代官のように『骨は拾ってやる、死んでもやれ』と、今ならパワハラ、過重労働の典型のようなことを言ったりやらしていたが。それもこれも叱咤激励、ステップアップの通過儀礼さ?。そんな時代であった。

それでも、楽しいことも沢山あったはずだ。会津の出張では、東山温泉でカルタ姐さんの軽妙な唄と踊りに大喜びし、カッチャんテラちゃんコンビは六本木辺りをうろついて軟派しては難破したりと・・・・。そんな忙しい日々ながら、奥さんと小笠原島まで旅行しやがった。一週間以上も休暇を取って・・・・・。

骨を拾うの約束は、それから十年も経って果たせたかもしれない?。地元、松山でその他大勢の管理職になりそうだったKATUTAを、横須賀の研究所にいた私の下に呼んだ。そこからKATUTAは、大いに羽ばたいたから。

その彼も、胃癌の手術を契機に退職。四国山脈の高原に在る町、久万高原に暮らす。電話の話では、雪が1mも積り、雪掻きが大変だったとか。

当時のことが、三十年以上も前のことながら思いだされる。今夜もそんな話で盛り上がるだろう。お互い、長い付き合いになったもんだ。

昨夜は長い付き合いがもうひとつあった。神保町の「楽屋」なるステージ付のカフェレストラン?で、我が歌姫、橋本葉子さんが出演したのだ。初めての店で、客足が心配、とのメールを貰った。

儀を見てせざるは雄なきなり、とか云う言葉あるじゃない。わたしゃ、親友のHOYA兄いに助っ人を頼んで店に乗り込んだ次第さ。健さんの映画のような、切込みじゃないけどね。ドスならぬ、財布を懐に忍ばせてさ。

葉子さんは相棒のダーナとの出演だった。なにしろ、葉子さんの歌とピアノは、赤坂東急・マルコポーロに彼女が出ていた頃からだ。こっちは長~いよ、四十年以上になるからね。

                        

尤も、親しく付き合うようになったは、彼女が旦那の東郷さんと六本木で「禅」と云う店を始めてからだが。それからでも三十五年になるか・・・・。

昨夜はワンステージだけ聴いて、人形町に戻った。「ローカーボ」で、この日に佐賀から上京したNAKAMURA大将と会うことになっていた。

神保町に向かう前に「こま吉」でHOYA兄いと待ち合わせ、ホッピーを飲み、神保町でハイボール、ローカーボでもハイボール、最後に唄でもと寄った「セイジュ」で、またしてもハイボールを!。水腹だぜ!。

                       

帰宅は零時過ぎになっていた。

前夜に三時半に目覚めているので、今朝は七時まで寝てしまった。目覚めなかった。バランスがとれてるねぇ~。

鍋で米を炊くも長女の弁当には間にわなかった。長女には電気釜に残っていた飯を入れた。少ししかなかったが、ダイエットにはいいだろうよ

                   

菜は、「チンジャオロースー」と「茄子味噌炒め」「小松菜・土佐天・椎茸・薄揚げの煮物」「ホーレンソウの卵炒め」、長女には冷凍のシューマイを温めた。

そんな次第で、バタバタの朝となった。

                    

 

 

 

 

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