9/26(日)九月二十四日の午後、予定通りに東京に戻った。土佐黒潮鉄道・ごめん奈半利線の安田駅11:02発に乗車、安芸駅で乗り換えて野市駅~タクシーで高知空港と云うルートであった。
高架の無人駅から望む田園に青空が広がり、その先が我が故郷。一月余、この地を離れる。帰郷は11月1日予定である。そして、柚子の収穫と干柿を作るのだ・・・。
高知空港のロビーに入ったのは搭乗時刻の一時間前と早く、ロビーは閑散としていた。東京便は一日四便が欠航したまま、むべなるかなだ。が、搭乗機の乗車率は70%程度であった。
帰宅時刻は16時丁度だった。帰宅後、先ずは自室掃除に取っ掛かった。そして、一月前にコロナに罹患して亡くなった橋本葉子さんのCDを流した。今、この時間も葉子さんの唄が流れている。私が好きな「あなたは旅人」が・・・。三ケ月足らず前に彼女の演奏と唄を聴いて「それじゃまた、10月に」と、笑顔でサヨナラしたのが永の別れとは・・・。
帰京の翌日夕、かつてのスタッフNOBORU さんと有楽町で会った。彼らが移籍した会社の状況など聞きながら、JRガード脇の居酒屋で暫し歓談。この店は日比谷のビルに勤務した当時、TUGAWAさんと毎夜酌み交わした店である。三十年近くも前のことになるが、当時の記憶は鮮明に残っている。
そんなt当時のことをNOBORUさんに話しながら、メガイハイなる大ジョッキのハイボールを飲み「このジョッキ重いなぁ」などと云う。ジョッキの重さに比べれば、なんと我が人生の軽さよ!。
彼と別れ、有楽町から日比谷線で人形町へと移動。自粛要請の長さに業を煮やして営業再開の「うまし」でNUMATA氏と合流した。今後の計画など話し合うも結論は?要は私次第であろうが・・・。
今夜(月)も「うまし」にHOYA兄い、佐賀から上京のNAKAMURA達と集う。一月ばかりの上京で会っておきたい人、決めるべきことと課題満載だ。
こればかりは果報は寝て待て!、と云うことにはならん。
さておき、今朝から弁当オヤジが復活します。