2/9(水)今日の午後便で一週間ぶりに帰京。先週の木曜日、昼前の便で帰郷してから従兄の通夜、翌日の葬儀に参列してお別れをした。火葬場はコロナの影響で十人だけに絞られたが同行した。
従兄は亡くなる三日前に倒れて救急車で運ばれて以来、意識はなかったそうだ。私が最後に言葉を交わしたのは一月の初旬、四日に帰郷したので多分六日頃であったはず。手土産を持って訪れると「もうなんちゃ喰えんようになった」と、ベットの中から弱弱しく応じたのが最後だった。
ここ数年、顔を合すと「もういかん、しんどうて仕事はなんちゃようせん」が合言葉のようだったが、田圃を回って水の調整、トラクターに乗って代掻きをしていた。数年来、酸素ボンベを引いての日々ながら電動車椅子であちこちしていたが、徐々に弱っていた。
かつてはタバコを随分と吸っていたが、肺が悪くなって禁煙。挙句に酸素ボンベを放せなくなった。私に「マサノリ、タバコは吸われんぞ。止めぇや」なんて、言うようになっていた。私は笑って受け流しだが・・・。
つい三月前まで、一緒にカニ篭を仕掛けていたのだが・・・。老いと衰え、そして命が消える。自然と云えば自然であり理であろう。
この狭い田舎に生まれて、一生をその中に過ごして、炭を焼き、木を育て、農を営みながら大宇宙に通じる生を生きて大往生をした。そう思うのである。チャラチャラと都会の巷を彷徨う我に比べればなんと見事、美しい人生でなかろうか・・・。未だ温もりのある骨を拾いながらそんな思いが去来した。
郷里での短いを滞在であるが、抗原検査を自分でやり陰性を確認した。羽田を発った日は富士山が近くに。帰りは連なる綿雲の彼方に薄く小さく望むだけであった。