オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

山里の日々

2022-11-26 | 弁当

11/26(土)今日は小雨ながら朝から正午頃まで続いたが、寒くない一日であった。こんな日、田圃畑の作業はしない。長くつが泥まみれになるので・・・。

そんなことで、昼前に安芸市まで買い物に行くことにした。市の中心まで車で25分くらいの距離である。大した買い物ではないが、大型のホームセンターやスーパーがあり概ねの品が手に入る。それと、メリーガーデンでパンジーを買うためである。

帰りに大心劇場に寄り「杣人物語」なるドキュウメンタリーの短い映画(一時間十分)を観た。森林女史会なる団体の活動の一環であったが、館主から誘われていたこともあり観ることにした次第。

残念ながら、内容的には発見も驚きもなかった。山村に暮らす老人たちの今と過去、その人生について語らすだけのもので、物語と云うには物足りなかった。今や何処にでも転がっている事実と話である。

帰宅し、姪の店「いなかじかん」でコーヒーを飲み、目前の川を暫く眺める。川はすっかり渇水している。そうだ!カニ篭を仕掛けて置いたままだ・・・、思い出した。

              

家に戻り花壇にパンジーを植え、暫く手を入れていない花壇の手入れで二時間が経過した・・・。

畑~渋柿剥きに干柿の手入れ、飯つくりと、なんとも締まらない日々であるが、撒いた野菜の種の芽吹きに一喜一憂し、吊るした柿の手入れにあくせくしている。

            

今月初めから24日までの間に渋柿を剥かなかった日は・・・、なんと三日だけである。これはもう病と云うべきであろう!。24日にこれが最後と、綺麗な愛宕柿を十五個剥いて吊るしたのだが、余すところ二週間となった帰京までに仕上がらないであろう。

飯の方と云えば、間引き蕪を食すことが連日続いている。捨てるにしのびず、煮・ソテー・揉みと手を変えながらだが、品が変わらないから流石に飽きる。

菜園の端っこに転がっていたゴーヤを発見したはいいが捨てられず「ゴーヤチャンプル」にしてみたりと、野菜中心の食事ながら、一人飯は過食になりがちだ。飲みながら喰うしかないからねぇ~!。

                

 

そんな代り映えもしない日々が続いて、これからもつづくのであろう。これを称し、平穏と云うか?。心配は、播いたホウレン草の芽が一向に出てこないことだ。我が人生と同じか?。

 

 

 

 

コメント
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