オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

埼玉家の会

2019-11-04 | 弁当

11/3(日) 時刻は既に11/4になったが、気分は未だ3日の日曜日のままである。

土曜日の夕刻五時に上野駅アトレ二階にある「米香」なる居酒屋で、横須賀の研究所に勤務した当時に単身者寮で一緒だった数名と、隣に在ってお世話になった「埼玉家」と云う店のご夫妻で歓談。年に一度、この時期に持ち回りの幹事で会を開いき旧交を温めている。

今年もスケジュール調整が大変だったと、幹事役のUENOさん。メンバーの二人が欠席で、六人での会になった。特に、私が来週から帰郷するので無理に2日の土曜日に設定してくれたようだ。

五時前に店に入ると、既に埼玉家のご夫妻が着いていた。女将さんが趣味で集めていたぐい飲みの猪口から、記念にと落ち着いた色合いで風雅のある猪口を一つ頂いた。

            

これに郷里の銘酒「南」の大吟醸でも注いで飲むとひと際旨さが増しそうだ!。私も今回で最後になるやもしれないので、自宅の近所にあるケーキ屋「マッターホーン」でクッキーを贖って皆さんに渡した。

このケーキ屋さんに皇室の某令嬢と婚約したKEI君の母が勤めていたので、騒ぎとなったことがある。

三時間の飲み放題と云うことで、よく飲み、食べ、喋りと楽しいひと時はあっという間に過ぎていった。

 

そして今日の夕刻、待ちに待った沼津のMIWA君から電話があった。何十年ぶりかで聞く彼の声は昔のままであった。郷里に引き上げるにあたり、どうしても彼と会っておきたかった。電話番号が分らず、ハガキを出して彼からの連絡を待っていた。

MIWAとは大学一年のオリエンテーションの席で偶然にも知り合い、以来十年に渡り交流がつづいたが、その後途切れて年賀状のやり取りだけになっていた。彼の実家や、新婚間もない彼の家に何度も世話になっている。

早かった彼の結婚式にも出たし、私が結婚した際にはまだ幼い子供を連れて田舎まで来てくれた。剣道部員たち連れて行った夏の大瀬崎、富士の裾野の乗馬クラブに遊んだこと、奥さんの糠漬けの美味かったこと、学生時代の八丈島への貧乏旅行・・・。クルーザーを数年かけて手造りした彼の根気。素晴らしいやつだ。

その後、仕事や遊びにかまけて長い長いご無沙汰となったが、MIWA夫妻の交流、お世話になったことは勿論、人柄と忘れようもなく、会いたくてしょうがなかった。東京を後にする前に会って礼を伝えたかった。

八日金曜日の昼、三島駅で落ち合うことになった。四十年ぶりに会う彼の姿を、彼の親父さんに重ねているがどうなっているだろうか・・・。この夜、どうしても外せない会があり東京に戻る必要がある。昔のようにゆっくりと過ごす時間がないのが残念である。

良い連絡があった後の夕食作りは軽快である。この日の夕食は鍋、アンコウと鶏つくね、豚シャブに野菜をたっぷり。後は根菜の煮物だけであるが・・・。

 

夕食後、友人に渡すのを忘れていた宮本常一の文庫本三冊(民俗学の旅・忘れられた日本人・旅する巨人)を送る用意をした。

明日は、昼前に御徒町へ。駅前の吉池ビルのレストランで五月に急逝したと云う田辺君を偲ぶ会に出る。田辺君とは上野通信機器営業支店時代に一緒だった。明るくてフットワークがよく、営業マンたちは助かっていた。飲み会・旅行会では座持ちがよくて慕われていた。そんな彼らしく、退職後もキャリアを活かした次の仕事で元気に働いていたはずだが・・・。残念である。

 

 

 

 

 

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