ひまわりさんより(8月1日)
今日は職場の新聞に書いた夫の記事をご紹介いたします。
私の原点のようなこと
「お宅のお子さんの場合、このままで行くと、言語障害をともなう脳障害を起こす恐れがあります。
ですから・・・」若い医師の言葉がそれから先は聞こえなくなった。
目の前が真っ白になり、「言語障害をともなう脳障害」という言葉が、私の頭の中を駆け巡った。
長男は、生まれた時未熟児ギリギリの2500グラムの体重で、血液検査の結果が思わしくなく、
生後3週間目に、清瀬市にある、国立小児病院を紹介され、そこで、
高ヒスチジン血症という先天性代謝異常の診断を受けたのだった。ただ救いは、
この病気は、脳が形成される6歳ぐらいまで、低ヒスチジンのミルクや食事を続けて行けば、
障害が起きなくなるかもしれないということだった。
その低ヒスチジンミルクの量を決めるためにそのまま入院となった。
ミルクを与えて、長男の細い腕に針を刺して血液を採り、
長男にとって一番良い低ヒスチジンミルクの量を決める検査をするためというだった。
面会に行くと、長男はいつも、小さなベッドで、砂袋の間に哺乳瓶がはさまれ、そこからミルクを吸っていた。
それから3か月、検査が繰り返され,たまたま遠くへ転勤することになり、退院となった。
その時、若い医師から言われたのは、「お宅のお子さんの場合、ヒスチジンの値は高いけれども、
ミルクの量を変えても、その値以上にはならないから、もう普通の食事をしても大丈夫です」と言われたのだった。
私も家内も、本当に驚き、また感謝した。
退院しても、これからは、0,5グラム単位でミルク量の調節をしながらの生活を覚悟していたので喜びはひとしおだった。
あれから30年、長男は、現在、外資系の会社に勤務し、身長183センチの大男になって、
話をする時、見上げなければならないのが困るが、健康に過ごしている。
聖書には、「人間の体は神の宿る宮」と言われている。
神の宿られる宮としての体を、より健康的に保つことが大切なのである。
長男の出来事は、私にとって、命と健康について考えさせられる原点のようなものになっている。
失敗はあるが意図的な罪は犯さない(デビット・カン講演7)
ですからイエス様は、私を愛するなら、私の戒めを守りなさいと言われました。
神様を愛するならば、神様の戒めを破ることはなくなります。不可能になるのです。
意図せずして失敗したり間違いを犯したりすることはあるでしょう。やるつもりではないわけです。
何か急いでいて、誰かにぶつかったとします。やるつもりではないわけです。
「あ、すみません」と言いますね。私も時には失敗します。そのつもりではないわけです。
意図せずして、誰かを傷つけることもあります。そんなつもりはないんです。時には忙しすぎて、
物を忘れることがあります。心がせわしくなって、誰かに対して失礼なことをすることがあります。
神様は、そのような私たちの心の内を理解してくださいます。
しかし私たちは、愛する者に対して、意図的に罪を犯すことはなくなるのです。では完全とは何でしょう。
神の戒めを守るということはどういうことでしょう。心をつくして神を愛することです。
神様に心を捧げて、心をつくして神を愛するなら、神様の愛が私たちの心の中に注がれます。
そして、他の人々をも愛することができるようになります。はじめに、神の愛が注がれるのです。
そしたら、自然に私たちは相手を正しく扱うことができるようになりまし。接することができるようになります。
これこそが、神の戒めを守るということです。