ひまわりさんより(8月19日)
今日は、朝の3時半ごろ目が覚めてしまいました。
そのあと寝むれないので、『キリストの実物教訓』を読もうと思って起きることにしました。
夫や子供を起こすといけないので、電気をつけないで、一階の集会室まで行こうと階段を降りていきました。
階段には手すりがついているので、真っ暗でしたが安全に降りることができました。
その時、「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」(詩篇119:105)
という聖句を思い出しました。
暗闇の中でも手すりがあれば安全に行けるように、み言葉は、私たちを安全に導いてくれるのだと思いました。
朝読んだ『キリストの実物教訓』にはとても大切なことが書いてありました。
「聖書の探求によって受け得る教育は、救いの計画を体験的に知ることである。
このような教育は、魂の中に神のみかたちを回復する。
それは、誘惑に対して聖徒の心を強固にし、この世界に対するキリストの恵みの働きを、
キリストと共にするのに、適したものにする。
この教育は、彼を神の家族の一員とし、光の中にある聖徒たちの嗣業にあずからせる」
見失われている後の雨の備え(デビット・カン講演25)
この点を、多くのアドベンチストが見失っています。
どのようにして後の雨に備えるのかということを・・・。
「もう、完全にならなくちゃいけないんだ。親切にしなくちゃいけないんだ。愛をもたなくてはいけない。ああ、節制しなくてはいけない。
ああ、あなた白米食べてたでしょう。罪だよ。ああ、牛乳飲んだでしょう。あ、牛乳に白砂糖入れて飲んだでしょう」。
そういう態度のアドベンチストが大勢いるわけですね。
保守的な人たちの中に、そういう人たちが大勢います。完全というのは、
神様の愛を心にいただいて、もう罪を犯さなくなることなんです。健康メッセージ、健康改革、たしかに大事です。私たちが完全になる手助けをしてくれます。私たちが、明晰な頭脳を持って神様の言葉を、み心を理解できるように助けてくれます。私たちの、体、思考、感情を正しく保つ手助けをしてくれます。しかし、健康メッセージを受け入れたからといって、それが、私たちを義とする功績となるわけではありません。