ひまわりさんより(8月25日)
今日は、以前属していた教会のO姉妹が、安息日の集会に出席してくださるという連絡を受けました。
そこで、姉妹の好きな、花を集会室に飾ろうと思って、散歩コースにある野の花、
むくげ、月見草、ススキなどを取ってきて花瓶に挿しました。
そして、集会では特別讃美歌として、夫とデュエットで、聖歌にある「シャロンの野花」の歌を賛美しました。
午後は、しばらく行っていなかった従兄弟の家をたずねました。
従兄弟は、近所に折り合いのよくない人が住んでいたのですが、
その人のお孫さんが夏休みの宿題の観察用にひまわりを欲しがっていることを聞き、
季節外れに自分の家の通路に咲いていたヒマワリをあげたところ、相手が心を開いて、
7年目にしてはじめて、感謝の言葉を言ってくれたことを
話してくれました。
野の花は、固い人の心をとかし、柔らかい広い心をつくってくれるのだということを感じました。
母の祈り(デビット・カン講演3)
時には、私のために祈ってくれました。私は大きくなって、世的なことに興味を持ちました。
しかし、教会を去ることはできなかったのです。
どうしてかと言うと、そのたびに母の顔が思い浮かび、私を思いとどまらせました。
彼女が亡くなる直前に、私に語った言葉は、
「息子よ、イエス・キリストに忠実であり続けなさい」というものでした。
私がこうして立って、説教壇から説教するとき、母は一番前の席に座って私の話を聞いているのですが、
彼女の手はこのように握られていました。「アーメン、アーメン」と言ってくれました。
そして、説教が終わった後、私の所に来て、私の手を彼女の頬に置いて、「先生ありがとう」と言ってくれました。
母が私をどのように扱ってくれたかを、私は皆さんに申し上げたいのです。
彼女の、私の人生に対する影響は、はかりしれないものがあります。
亡くなる前の数年間、彼女は重い病気を患いました。
イエス様がおいでになるとき、私の母はきっと墓から甦ることでしょう。
そして、私にこのような質問をするはずです。「息子よ、今日は何の日だろうか」。
私がどのように答えると思われますか。「お母さん、今日は永遠の安息日ですよ。
もう決して離れ離れになることはありません。決して年をとることもありません。
死ぬこともありません。永遠に一緒にいることができます」
すべてこれは、イエス・キリストの恵みによるわけです。
神様はこのような素晴らしい家族を私に与えて下さったのです。